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2014/11/19 19:00

 

大量の音と謎かけを残したサン・ラー、湯浅学による連載がele-king booksから待望の書籍化

 

『ミュージック・マガジン』誌に2000年~2004年に連載されていた音楽評論家、湯浅学によるサン・ラー連載「てなもんや三裸笠」。サン・ラー生誕100周年を迎える今年、ついにele-king booksより待望の書籍化、『てなもんやSUN RA伝 音盤でたどる土星から来たジャズ偉人の歩み』が刊行された。

土星人を名乗る、まるでサーカスのような格好をした黒人の集団たちが、ときにスウィンギンなビッグ・バンド・ジャズを、ときには集団即興演奏を、そしてまるで宗教儀式のようなチャントを。エジプトの古代壁画から抜け出てきたような衣装を身にまとったピアノ奏者、バンマスと思われるその男、その手元からは、軽快なピアノが転じてして突如としてムーグのビシャビシャのノイズがほとばしる。サン・ラーの音楽には、とっつきにくいところもあるが、サービス精神満点なので入り口が無数にある。

サン・ラーのドキュメント『Joyful Noise』


1930年代、第二次大戦直前から1993年にこの星から去るまで、ジャズを中心に音楽家として活動してきたサン・ラー。ジョージ・クリントンのP-ファンクやデトロイト・テクノなど、20世紀のポップ・ミュージックの様々な部分に現れた、ブラック・サイエンスフィクションの系譜をある種作り出した男でもある。また近年ではいち早く、電子音楽の重要性に気づき、それを既存の音楽的価値観から自由になる手段として活用したアーティストとしても評価されている。しかし、活動の半生、そのほとんどは、その特異な格好、独自のコスモロジーによる思想、あまりにもはやすぎたと言わざるおえない音楽性もあり、いわゆる正統派なジャズ・シーンからは色物扱いさえされ、無視されていた。

1980年代のポスト・パンク(ポップ・グループ人脈の〈Y〉からライセンスされていた)、さらには1993年の没後、『Singles』をはじめとする〈Evidense〉からの再発シリーズや、映画『Space Is The Place』の発掘、エレクトロニック・ミュージックやDJカルチャーの勃興などさまざまな要因によって現在、その音楽性は評価され、むしろ年々そのリスナーを増やしていると言っていいだろう。よく言われることだが、未来の音楽を奏でているという自身の主張通り、半世紀近く昔の作品が現在多くのリスナーに愛されている。

「音楽に対する評価は歴史的事実によって確定されるものではない。むしろかりそめの歴史観をしばしば無効にするから音楽はおもしろい」(本著収録の「よみがえる音と魂」より)

本著はまさに、この国でのそんな再評価をひとつ牽引した『ミュージック・マガジン』誌での湯浅学の連載をまとめたものだ。サン・ラーの作品を、よりとっつきにくく、ミステリアスにさせている原因とも言われる大量の自主制作盤=いわゆる自身のレーベルからリリースされた〈サターン〉盤も含めて、無数の作品を題材に、その音盤からの照射でサン・ラーの存在感、その思想、音楽を写し出す連載だ。ちなみに、その〈サターン〉盤とはライヴ会場などで販売されていた自主制作盤で、いまやインディ・シーンにおいては当たり前の光景だが、それをすでに50年前にはやっていたというのだから驚きだ。しかも、制作費を浮かすためにちょっとした手書きのイラストを、なんてところまで、現在のそうしたシーンの雛形でもある。

自分も含めて、本連載を通して、この国では、その存在を知ったリスナーは多いのではないだろうか。本連載の恒例の書き出しになぞらえれば「サン・ラーの音源を聴いたとき、湯浅学を思うことがある」といったところだ。サン・ラー、そして湯浅学の無限の大事業がこうして書籍として1冊になった。

もともとの連載原稿をサン・ラーのキャリア年代順に整理し、加筆修正された本著は、本連載でも参照されているジョン・F・スウェッドの大著『サン・ラー伝』に並ぶ、サン・ラー研究本と言えるだろう。ある種、難解とも言われるサン・ラーの音楽に対して、まさに「腑に落ちる」という以外にない言葉で解説していく。その文体は、あくまでも洒脱でユーモラス、それゆえに痛快に、すうっと感覚に迫ってくる。湯浅学の音楽評論の節が堪能できる、そんな書籍でもある。

その音に、その姿にピンときたのなら、ぜひともその音盤片手にこの謎の音楽家に迫って欲しい。
(河村祐介)

・ele-kingの紹介ページ
http://www.ele-king.net/news/004107/

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