2017/01/26 20:50

初のBサイド集をリリースするART-SCHOOL、木下理樹が語る「傷だらけの歴史」

2000年に『SONIC DEAD KIDS』でデビューを果たしたART-SCHOOL。以来、6枚のシングル、11枚のミニ・アルバム、9枚のオリジナル・アルバムをリリースしてきた。そんな彼らが2017年1月25日に初のB SIDES BESTをリリース。事前に行ったファン投票を反映し、メンバーの思い入れと共に選曲した全18曲。 隠れた名曲達が多く収録された今作には、ART-SCHOOLの歴史と思い出が詰まっている。今回は木下理樹(vocals/guitars)にインタヴューを敢行。これまでの活動について彼の思いを訊いた。

ART-SCHOOL初のBサイド集

ART-SCHOOL / Cemetery Gates

【販売価格】
2,700円

【収録曲】
1. ニーナの為に
2. ステート オブ グレース
3. 1965
4. プール
5. I hate myself
6. レモン
7. LILY
8. SKIRT
9. LOVERS
10. MEMENT MORI
11. JUNKY’S LAST KISS
12. LUCY
13. カノン
14. LITTLE HELL IN BOY
15. LOVERS LOVER
16. それは愛じゃない
17. その指で
18. Ghost of a beautiful view

ご購入はこちらから
※今回、OTOTOYでの配信はございません。

ART-SCHOOL『Cemetery Gates』Trailer
ART-SCHOOL『Cemetery Gates』Trailer

INTERVIEW : ART-SCHOOL

ART-SCHOOLが初のBサイド集『Cemetery Gates』を発表する。ファン投票の上位曲を中心にセレクトされた全18曲は、123 RECORDSでのインディーズ・デビュー、東芝EMIからのメジャー・デビュー、そして、ポニーキャニオンへの移籍という、2000年代のART-SCHOOLの軌跡を伝える貴重な資料になっているとも言えるだろう。そこで今回のインタビューでは、木下理樹に改めて2000年代の活動をじっくりと振り返ってもらった。下北沢のシーンから抜け出して、メジャーへと進出するも、混迷を極めた00年代前半。メンバー・チェンジを経て、より深く自らの表現を追求した00年代後半。ART-SCHOOLは果たして何と戦い続けてきたのか? 木下いわく「傷だらけの歴史」の真実を紐解く。

インタヴュー&文 : 金子厚武
写真 : 東玄太

もう一回自分たちの立ち位置というか、キャリアを見直す時期なのかなって

――まずはファン投票を反映させたBサイド集を出そうと思った経緯を教えてください。

木下 : 弾き語りをすることが多くなって、そのときリクエストされる曲が「なんでこんなマニアックな曲ばっかりみんなリクエストするんだろう?」っていうのが多くて、そういえば、Bサイドベストって出してねえなって。それプラス、自分のキャリアを見直す時期が来てるのかなと思いましたね。結成して17年で、アルバムを8枚くらい出して、今は自分のレーベルを立ち上げてやってるわけだから、ここでもう1回自分たちの立ち位置というか、キャリアを見直す時期なのかなって。

――投票結果についてはどんな印象ですか?

木下 : …… 暗いなって思いましたけど(笑)、でもまあ、暗いっていうよりは、もっと根源的に、すごく純粋なものを持ってて…… 何かと戦ってるような曲が多いですよね。

――今振り返ると、当時は何と戦っていたんだと思いますか?

木下 : なんだろう…… 裏表のある人が、大人が嫌いでした。自分は絶対そういう人にはなりたくないと思ってましたけど、今振り返るとすごく幼い考え方だったとも思います。10代とか20歳くらいのときに作った曲も含まれているので、思春期の葛藤もあったんじゃないかな。

――理樹さんにとっては、ほぼ「2000年代 = 20代」なわけで、このアルバムは大人になる過程を追ったアルバムという言い方もできそうですよね。

木下 : 僕は若い頃からバンドをやっていて、今にして思えば、いわゆるキャンパス・ライフを味わいたかったなとか思うんですけど(笑)、でもそれはもう叶わないですし、自分の人生における大切な時間を、ホントにバンドに捧げてたんだなって思いますね。

――では、実際に当時のことを振り返っていただこうと思うんですけど、ART-SCHOOL(以下、アート)は2000年にthe pillowsやBUMP OF CHICKENのスタッフが集まって興した123 RECORDSからインディーズ・デビューしていて、下北沢のギターロックの盛り上がりの中にいた印象があるのですが、実際下北沢に対する帰属意識があったと言えますか?

木下 : 当時帰属意識を持ってた人で、売れたバンドはいないんじゃないかな?  みんなそこから、ノルマを払ってなんぼみたいなところから抜け出したくてやってたと思うから。当時ACIDMANとかストレイテナーとかと、打ち上げでちょっと話したりするのは、「いつ抜け出せるのかな? 」みたいな話だったし。まあ、そもそもその前にはギター・ポップのムーブメントがちょっとあって、僕らはどこにも居場所がなかったんです。まだ「ギター・ロック」って名前も付けられてなくて、自分たちがやってるのは普通のロック、もしくは「インディ・ロック」だと思ってたから、「これをギター・ロックっていうんだ」って思いましたね。

――確かに、ひとつ上の世代にはShortcut miffy!とかがいたから、「下北系」って言ったときに、世代によってイメージが違ったりもしますもんね。では、帰属意識とは違うかもしれないけど、下北沢GARAGEにはよく出ていたと思うので、ホームのような意識はありましたか?

木下 : 確かに、GARAGEにはよく出ていて、すごくお世話になったんですけど、ホームという感じではなかったかなあ…… SHELTERとか、渋谷屋根裏とかでもよくやらせてもらいましたしね。僕当時は両親に「大学に行く」って言って上京したんですけど、最初はまったく食べれなくて、すごく焦りを感じてたのは覚えてます。

――ひとつ大きかったのが、BUMP OF CHICKENのメジャー・デビューで、彼らのブレイクをきっかけに、下北沢で活躍していたバンドたちが次々メジャーに行き、アートも2002年に東芝EMIからメジャーデビューをしています。当時は「やっと俺たちの番が来た」という感じだったのか、それとももう少し冷静に状況を見ていたのか、どちらだったのでしょうか?

木下 : 「よし、やっと来たぜ」って感じはあったんですけど…… 「こんなにも忙しくなるんだ」っていうぐらい、急激に忙しくなったんですよね。その中でやっぱり、何であんなに仲良かったバンドが、ここまで仲悪くなるのかなとは思いましたね。人気が上がれば上がるほど、バンドの仲は悪くなっていって…… もちろん、忙しくなること自体は全然かまわなかったんです。それまでは地方に行ってもお客さん全然いなくて落ち込んだりしてたけど、その頃からお客さんがすごく増えて、それは嬉しかったけど…… ただ、それと並行するように、人間関係はギクシャクして行きましたね。

ホントに青春としか言いようがない

――今回のBサイド集には2003年発表の『SWAN SONG』から最多の4曲が収録されていますが、言ってみれば、1番混沌としていた時期の作品なのかなって。

木下 : そうですね……でも、当時のことってほとんど覚えてないんです。点としては思い出せるんですけど…… たぶん、嫌なことがあり過ぎて、記憶を消してるんだと思う。そんな中で覚えてるのは、『LOVE / HATE』を出すし、ブログでも書いてみようかなと思って、書き始めたら、その一週間後にメンバーから「やめる」って話を聞いて、「俺ブログ始めたんだけど、どうしよう? 」って、それは覚えてるんですよね(笑)。

――そんな時期に作られた作品に、今も愛され続けている楽曲が多く収録されているのは不思議な気もしますが、音楽ファン的な目線で言うと、切迫した状況にあったバンドが何とか産み落とした作品というのは、特別な魅力があるんですよね。もちろん、本人たちには複雑な思いがあると思うんですけど、『SWAN SONG』はだからこそ愛されているのかなって。

木下 : そうですね…… とにかく、当時はめちゃくちゃ曲を作ってたイメージですね。

――『SWAN SONG』は限定生産盤で、ミニ・アルバムとシングルの2形態でリリースされていましたが、ここにはどんな意図があったのでしょうか?

木下 : 単なる加茂さん(加茂啓太郎 / 当時の東芝EMIディレクター)のフラッシュ・アイデアですよ(笑)。でも、限定1万枚がすぐに売り切れて、反響はめちゃめちゃ大きかったです。

――さきほど、若い頃は大人との戦いだったという話がありましたが……。

木下 : 加茂さんとは戦ってないですよ(笑)。

――はい(笑)。ただ、メジャー・デビュー後というのは、大人と数字の話をする機会も当然あったかと思います。

木下 : 多少はありましたけど、全然ダメって数字ではなくて…… まあ、やっぱり僕が幼かったってことでしょうね。だから、ホントに青春としか言いようがないですね。友情があって、別れてっていう。バンドは結婚とはまた違うと思うから、友情があって、青春があって、それが終わってしまったってことですね。

――「第一期ART-SCHOOLの思い出」と言われたときに、パッと思い浮かぶのはどんなシーンや出来事ですか?

木下 : ギターの純くん(大山純 / 現ストレイテナー、another sunnyday)が栄養失調でいきなり倒れて、救急車に付き添いで乗ったのと、ドラムの櫻井くん(櫻井雄一 / 現LUNKHEAD)が盲腸的なものにかかって、メンバー4人で飲んでたときに、パッて見たら顔色おかしくて、笑いながらすごい汗かいてて、また救急車呼んで……。

――「フェスのでかいステージに立ったとき」とかよりも、そっちが先に出てくるんですね(笑)。

木下 : GARAGEを初めて売り切ったときとかは嬉しかったですね。初めて雑誌に載ったり、もちろん、いい思い出もいろいろあって…… この時期は、結構注目されてましたからね。

――アートだけではなく、ACIDMAN、ストレイテナー、Syrup 16g、ASIAN KUNG-FU GENERATIONが次々とメジャー・デビューして、その一方では、MO'SOME TONEBENDER、downy、54-71のようなよりオルタナ寄りのバンドもメジャーに行き、バンド・シーンがホントに面白かった時期ですよね。

木下 : 90年代の半ばから00年代初めくらいまでは、僕も『rockin’on』と『JAPAN』両方読んでたし、面白かったですよね。それをちゃんと体感できたっていうのは、自分の人生においてものすごく大切だったなって思います。

自分たちがいいと思うものをやろうっていう、その意識は強くなってましたね

――メンバー・チェンジ以降は、自主レーベルでの活動を経て、2005年にポニーキャニオンに移籍しています。東芝EMI時代とはどんな変化がありましたか?

木下 : 最初にグラスゴーに行かせてもらったんですけど、もうメンバーが違うんだから、同じ音を目指してもしょうがねえっていうのがあって、周りのことはよくわかんないから、独自の世界観に行こうよって思ってました。『LOVE / HATE』が注目されて、当時新宿にあったリキッドを売り切って、「よし!」ってなったときに、メンバー脱退、活動休止ってなって、俺ホント25歳で人生終わりだと思ったんですよ。でも、そこから立て直して、それでも自分の音楽を作ろうと思ったわけだから、とにかく自分たちがいいと思うものをやろうっていう、その意識は強くなってましたね。

――ポニーキャニオン時代はKARENでの活動も並行して行っていて、アートとは別のアウトプットを持っていたということも重要だったのかなって。

木下 : そうですね。downyのメンバーと、アチコちゃんとやれて、アートではできないようないろんなバンドと対バンできたし、そこからのフィードバックも大きかったですね。

――そのあり方って、今思うと現代的だったなっていうか、メジャーに所属しつつ別のプロジェクトをやるのって、Gotchさんとか、ホリエさんのentとか、今では普通のことになってるけど、それをいち早くやってたのがアートとKARENの関係性だったなって。

木下 : そう考えるとそうですね。もう一個アウトプットを作るっていうのは自分にとって重要なことで、アートではやれないことがやれたし、あとは単純に、作ることの喜びとかね、それをちゃんと確認できたんですよね。

――ファン投票の一位に選ばれたのは、シングル『テュペロ・ハニー』収録の「その指で」でしたが、この結果についてはどんな感想をお持ちですか?

木下 : …… 何で? っていう(笑)。

――「その指で」はポップス寄りの曲で、一般的なアートのイメージであるオルタナ寄りの曲と比べると、ちょっと異色の曲ですもんね(笑)。Bサイド集って、得てしてこういうちょっと変わった曲が選ばれる傾向があるとは思いますが。

木下 : この曲はグラスゴーで作ってて、トニー・ドゥーガンさんが「クレイジー!」って言ってました(笑)。お経みたいなプラグインがあって、最初モグワイのバリーさんがそれも入れてたんですけど、「やめてくれ」って外したんで、それでクレイジーさが減りましたね(笑)。ただ、これもともとは一回ボツになった曲なんです。その後シングルを出すときに、「そういえば、あれがあるじゃん」ってなって、でもアルバム(『Flora』)のタイミングでは、「これ求められてないよな」ってナンバーだったんですよ。

――そういう曲が人気曲になっちゃうっていうのは、面白いですよね。

木下 : もしこれがデビュー・シングルだったら、僕らはSuchmosみたいになれたかもわかんない(笑)。

――確かに、今出してたら、「シティポップ」って呼ばれてたかもしれないですね(笑)。では、先ほどと同じ質問で、「第二期ART-SCHOOLの思い出」と言われたら、パッと思い浮かぶのはどんなシーンや出来事ですか?

木下 : やっぱり、グラスゴーに行ったときかな。トニーのスタジオはモグワイも使ってるスタジオで、そういう機会でもなきゃ、行けないですからね。さっきも言ったように、方向を切り替えて、自分たちの世界観をより深く出したいって時期だったので、そういう意味では上手く行ったと思うし、(『PARADISE LOST』は)今でもいい音で録れたいい曲がいっぱい入ってるアルバムだと思いますね。

――ここまで00年代の活動を振り返っていただきましたが、当時と今を比較したときに、どんな部分で一番の違いを感じますか?

木下 : 面白い動きをしているレーベルが増えたなって思います。Yogee New Waves(以下、ヨギー)のレーベル(Bayon production)とか、Rallyeとかね。あとはWWWやWWWXのスタッフがオウガを手伝ってたり、アップリンクの方が映画のイベントに呼んでくれたり、多面的な動きをしてる人が面白いと思います。僕が初めてD.A.N.を聴いたのは、渋谷のBOYって古着屋で、スタッフのTOMMYとレーベルの方が知り合いだったり、やっぱり面白い動きをしてる人は面白いところを見てるんだなって思ったんですよね。

――理樹さんは今でも若手のライヴをはじめ、いろんな現場に行ってると思うし、そういう人たちと上の世代をつなげるハブになる可能性があるんじゃないかとも思います。

木下 : そうですね…… なれたらいいな(笑)。

――では最後に、『Cemetery Gates』というアルバムタイトルについて話していただけますか?

木下 : あんまりちゃんと考えてないんですけど……「僕の死期が近いのでは」みたいな(笑)。それが世界観ですからね。本当にヤバいんだなっていう。THE 1975の人が、自分は死ぬこととセクシャリティのことしか歌いたくないって言ってて、それって昔マサムネさんが言ってたことと同じだなって思ったんですけど、それは僕も同じなんです。なんでそうなったのかって言われたらわからないけど……「死」ってものに惹かれるからでしょうね。

――死は遠くにあるものではなくて、すぐそばにあるものなんだっていうリアリティはアートが一貫して歌い続けたことで、その感覚は今の若いミュージシャンにとっては表現の前提になったように思います。

木下 : そうですね。最近ぼくのりりっくのぼうよみのレビューを書いたんですけど、すごいなって思って。「こんなの書けないよ。ここまでディストピアなのか」って。まだ彼大学一年生とかでしょ? それであそこまで今の状況を俯瞰で捉えて、言葉を操って、ホントすごいなって。要は、今の十代の子って、ほとんど大人に憧れてないですよね。だからこそ、今自由に見えるシーン、ヨギーとかD.A.N.とかは、メジャーと契約してるバンドよりもより強いものを持ってると思いますしね。

――やっぱり、若い時期っていうのは何かと戦っていて、だからこそ、鮮烈な表現を生み出せる。それは今回アートの初期作を聴いて改めて思ったことでもあります。ただ、そんな若手を導く存在っていうのもやっぱり重要で、さっきハブっていう話をしましたけど、00年代の音楽シーンを体験してきた理樹さんが、若い彼らと混ざり合うことというのは、これから非常に重要なことになってくるように思います。

木下 : 僕はまだまだ自分のやりたいこと、やれることが全然実現できてないと思ってるんで、そこに関してはもう…… 頑張んなきゃしょうがない。ただ、昔と同じ考え方をしてる人には興味がないというか、今はホントに面白い人がいっぱいいるから、そことはきっと自然に繋がっていくんじゃないかっていう気もしてるんですよね。

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LIVE INFORMATION

ART-SCHOOL B SIDES BEST『Cemetery Gates』発売記念インストアイベント
2017年2月18日(土)@タワーレコード新宿店7Fイベントスペース
2017年2月25日(土)@FLAKE RECORDS
2017年2月26日(日)@タワーレコード名古屋パルコ店店内イベントスペース

ART-SCHOOL LIVE 2017 B SIDES BEST「Cemetery Gates」
2017年3月25日(土)@梅田 Shangri-La
2017年3月30日(木)@Shibuya WWW X

PROFILE

ART-SCHOOL
2000年ART-SCHOOL結成。同年9月、1stアルバム『SONIC DEAD KIDS』をリリース。この頃より全国区でのライヴを展開するようになり、美しく純度の高いポップな曲調と轟音ギター、そして木下のあどけなく危なげなヴォーカルで表現する独特の“うた”の世界観を多数のオーディエンスに印象づけ話題となる。何度かのメンバー・チェンジや活動休止を乗り越え、2012年、現在の「第3期ART-SCHOOL」としての活動を開始。2015年、5月、木下理樹が音楽、ライヴ制作、アートワーク・デザイン、フォトグラフ、アパレルなどクリエイティヴで柔軟な発想を持った各ジャンルのスペシャリストが集結したチーム「Warszawa-Label」の設立を発表、2016年5月18日(水)Warszawa-Label第一弾CD『Hello darkness, my dear friend』をリリース、精力的に第一線で今なお活動中。
ART-SCHOOL公式HP

[インタヴュー] ART-SCHOOL

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