ここには様々な言葉のアプローチがあふれている
演奏は実にシンプルでミニマルだ。エレキ・ギターは鳴りを潜め、アコースティック・ギターがそれに取って代わる。音の配置が心地良い。感情の爆発はなく、ヒップホップのトラックのように、淡々と言葉を際立たせている。この作品を生み出すにあたって、昨今の日本語ラップ・シーンの活気が影響しているのは間違いない。そして随所に、後藤正文の音楽遍歴による影響が直接的に見られる。
「Wonderland/不思議の国」のイントロやラップ・スタイル構成はどうしてもBeckの「Loser」を彷彿させてしまうし、Oasisの「Champagne Supernova」のオマージュのような「Sequel to the Story」だってある。後藤がこんなにも大胆にオマージュを全面に音で表したのも珍しい。「俺は変わらず今でもOasisが大好きで憧れているし、これからもそうだろう」。そんな風に聴こえる。やりたいように真似もするんだ。そんな風に聴こえる。
しかし結論から言うと、この作品で特筆すべき点は歌詞にあるように思えてならない。歌詞を詰め込むことができるラップを織り込んだことからもわかるように、ここには様々な言葉のアプローチがあふれている。だが、そのアプローチは断じて押しつけてくるような圧迫感のあるそれとは違う。後藤の言葉はASIAN KUNG-FU GENERATIONという共同体を離れ、パーソナルな言葉としてとても伸び伸びと自由に歌っているように聴こえる。それは彼の温かな発声もあいまって、とても穏やかだ。
そしてアルバム全編を通して最も多いのは「時間は進むし、全てはいつか終わってしまう」という主張である。しかし後藤はこうも歌う。「まやかしの言葉/塗り替えろワンダーランド / 出口なき闇を照らしだせ」。そう。お前がやるんだ。俺だってやってる。10曲目を聴いてニヤッとしただろ?「ねえ君 / ここに居座って / これからどうしよう」。やりたいようにやるんだ。「なびくな / うつむくな / ヌルく集まって輪になるな」。なぜなら俺たちは当然ながら歳をとり、いつまでも若く無邪気ではいられないのだから。そんな風に聴こえる。そして、この『Can't Be Forever Young 』というアルバムには次にこう続くはず。『Can't Be Forever Young (But You Can Become Whatever)』。きっと何にでもなれるんだ。(Text by 半澤良平)