『Ciao!』クロスレビュー
時代の動きを読みとる嗅覚(text by 渡辺裕也)
解散という言葉は使われていなくても、『Ciao!』が実質的にはムーンライダーズの35年を越えるキャリアに終止符を打つ作品となることはまず間違いないだろう。しかしそこには感傷に浸れる余地が一寸も見当たらず、むしろドライなムードすら漂っている。同時にこの6人のメンバーによる最新型の楽曲が無造作に並べられた本作を聴きながら、こうも思うのだ。こんなにムーンライダーズというバンドの性格がはっきりと表れたアルバムもないのではないか、と。
新たなサウンドへの希求と、それによって幾度となく巻き起こるメンバー間の衝突。このふたつは、彼らに限らず多くのロック・バンドにとっての原動力となったものであり、同時に最もバンドを疲弊させる最大の要素ともなり得るものだ。時折の休憩はあったものの、ムーンライダーズがこの2点を保ちながら活動を続けてこれたのは、偏に彼らの編集能力の高さに尽きるのではないかと思う。それぞれのメンバーが個人活動の中で見つけ出してきた音楽性をすべてひとつに落とし込むという、ある意味無謀とも言える行為によって彼らは作品を生み出していく。場合によっては散漫で情報過多になりかねないが、彼らはハイブリットさせていく中で作品にひとつのテーマを見出し、一定の音色を与えることで楽曲同士に連なりを与えてしまう。本作における、パッと聴いたところではイビツにも思える音塊。しかしその至る所に散りばめられた様々な弦楽器によるオリエンタルな旋律は、それぞれの楽曲が持つ別々の物語を1シーン毎にリンクさせていくような錯覚を感じさせる。
その個人活動もまた、このバンドにとっては欠かせないものだった。他のミュージシャンを演奏でサポートすることはもちろん、楽曲提供、そして劇伴の制作などを通して、ひとりひとりが新しい時代の動きを読みとる嗅覚を常に研ぎ澄ませてきたことは、このバンドのエッジーなサウンドを支えてきた何よりもの宝と言っていいものだ。一方で、このムーンライダーズというバンドが時代に選ばれたり、一定の世代を代表したことは一度もなかったようにも思える。それはなぜか。かれらは時代の空気を的確に読みながら、それと寄り添うのではなく、常にそのオルタナティヴを目指したからなのではないだろうか。そしてその姿勢はこの『Ciao!』というアルバムにおいても変わらない。だからこそ、このアルバムを聴いて「現役感がある」とか「若々しい」という感想はあり得ない。ムーンライダーズは、ただムーンライダーズのまま、散ろうとしている。
たゆたう惜別の奏で(text by 山田美樹)
このアルバムからは、武川雅寛のヴァイオリンの音が印象的に聴こえてくる。それはなぜなのだろうか。
ムーンライダーズ結成から35年。このままずっとずっと永久的に存在し、活動を続けるのではないかと誰もが夢のように思い込んでいたところに、無期限活動休止の重大発表。夢から目が覚め、驚き慌てふためき嘆き哀しんでいる人も少なくないのではないか。とりあえず、気持ちを落ち着つかせてこのラスト・アルバムとも言われている『Ciao!』を聴いて欲しい。なぜだか、メンバーの爽やかな笑顔がみえてくる。この選択はマイナスではない、ムーンライダーズでの活動に心残りはない、次は自分の本当に好きな音楽を創っていきたいのだ、だから皆も笑顔で受け止めてくれ、そのように伝わってくる。しかし、その中にひとりだけこの別れをどこか淋しく思っているメンバーがいるように私は感じるのだ。武川雅寛。ヴァイオリン、トランペット、マンドリン、コーラス… マルチにこなすそんな彼の演奏からは、なぜだか哀しげな雰囲気が伝わってくる。
ムーンライダーズは、言わずと知れた超ベテラン・プロ集団。メンバー一人一人に強い個性があり、またその個性がメンバー内で誰とも被らないのがこのバンドの魅力。この6つの個性が集まりひとつの塊となる。それがムーンライダーズの音楽。演奏者や楽器のパーツで聴くなんてナンセンスだ。ところが『Ciao!』の中に、オーウェン・パレットが創り出すような優雅なヴァイオリンの音色がどうしても目立って聴こえてくる。このアルバムに限ってだ。いや、違う。1995年に加藤登紀子と共にハイジャック事件に巻き込まれ、命の危険さえも心配され、その後に制作されたアルバム『ムーンライダーズの夜』。このアルバムにも武川雅寛のヴァイオリンがフィーチャーされている。無事に生還したことを喜び合っているかのように。
武川雅寛は、ムーンライダーズの母体ともなったはちみつぱいの頃からのメンバーだ。当時としては珍しいロック・バンドにバイオリン。そんな彼の才能を引き出してくれた、鈴木慶一との別れを心より惜しんでいるのではないだろうか。そして、その気持ちを最後のこのアルバムに刻みたかったのではないか。私にはそんな風に思えるのだ。
さよならのかわりに(text by 小川ワタル)
ベタを承知で言えば、ムーンライダーズのラスト・アルバム『Ciao!』を聴いて、ビートルズの『アビイ・ロード』を久々に聴きたくなった。特に終盤「キャリー・ザット・ウェイト」から「ジ・エンド」へのつなぎを。つまりそれは、「え?、もう終わっちゃうの?」という感覚。それを『Ciao!』にも感じたのである。35年ものキャリアを持つバンドに対して、「もう終わっちゃうの?」と思わせるなんて、それこそムーンライダーズが今日まで新鮮であり続けたことの証明に他ならないだろう。
楽曲的にも今作はビートルズの色合いが強い。特筆すべきはコーラス・ワークの流麗さ。例えば1曲目「who's gonna be reborn first?」のコーラスは、ザ・ビートニクスの活動もあったからか、後期YMOを彷彿とさせる。テクノ・バンドの印象が強いYMOは、実は後期、ビートルズのようになっていった。そしてムーンライダーズもここにきて、ロックの青年期に立ち返ったような瑞々しさを放っている。また、1曲目のタイトル自体、示唆的だ。アルバム『最後の晩餐』('91)では、一度目の活動休止からの復帰作にも関わらず「Who's gonna die first?」と死を歌い、今回は終わるというのに再生を歌う。ムーンライダーズらしいアイロニーと言えるだろう。
白眉は中盤の「Pain Rain」。これはまさにムーンライダーズ版「マイ・ウェイ」(フランク・シナトラ)だ。全体的に、「もしもムーンライダーズがラスト・アルバムを作ったら」、そんなお題で作ったコンセプト・アルバムのようだ。バンド活動に休止符を打つに際してなお、過去の系譜を引き継ぎながら独自のものへと変換するその妙を感じる。しかしラスト・アルバムのジャケットが、なぜローリング・ストーンズの『メインストリートのならず者』にそっくりなのか。『メインストリートのならず者』は、70年代前半に発表されたローリング・ストーンズが現役バリバリの脂が乗りきっていた頃のアルバムである。そしてこの『Ciao!』も、ムーンライダーズ活動休止の後、新たに聴き始めた人が手にしたとき、この作品で活動休止したことに首をかしげ、充分復活もあり得るだろうと思わせる、そんな脂の乗った作品となっている。でも残念ながら、お歳暮のように届けられた今作を以て、ムーンライダーズとはひとまずさよならである。ほんとうだったら、送り手も受け手も泣きわめきたいくらいのさみしさを抱えながら、そんなセンチメンタリズムをメロディに、歌詞にそっと潜めながらのお別れだ。あなたはそのお別れを何処でするだろう。雨のエアポートか、くれないの埠頭か、それともお月さまとバイバイする夜明け前だろうか。
※岡村詩野音楽ライター講座の受講生のお二人(山田美樹、小川ワタル)にも寄稿いただきました。