新作「サマー・シンフォニー」を期間限定でフリー・ダウンロード
2010年最大のサマー・アンセムが到着! 曽我部恵一の新曲「サマー・シンフォニー」がドロップ。フォーク、ロックやエレクトロニカなど多様なサウンドを作り出す彼の新作は、なんと! 太いグルーヴに憂いを帯びたピアノが印象的な、ミニマル且つ深遠なネオ・ソウル・トラック。ポエトリー・リーディングのような歌い回しでリリックを操る、曽我部恵一流のHIP HOPトラックです。真夏のようにヒリヒリとした孤独の旅路を彷徨う全ての人に、この夏最大級のサマー・アンセムを捧げます! しかも本作の配信形式はHQD(24bit/48kHzの高音質wavファイル)。レコーディングの空気感をコンパイルした立体的なサウンドを今すぐ体感してみましょう!
「サマー・シンフォニー」のフリー・ダウンロードはこちら(期間 : 7/1〜7/14)
「サマー・シンフォニー」をダウンロード頂いた方には、もれなくototoyが昨年8月から提唱しているHQD(High Quality Distribution、24bit/44.1khz以上の高音質音源)の聴き方を紹介する、高音質音楽配信攻略ガイドブック「HOW TO ENJOY HQD ?」をプレゼント。執筆は、音楽ライターでもあり、オーディオ評論家でもある高橋健太郎。ototoyの高音質音源を、このガイドブックを参照に聴いてみてください。
INTERVIEW(前編)
新曲「サマー・シンフォニー」のリリースにあてて、曽我部恵一さんに、ソロ活動をスタートさせてから現在に至るまでの約10年間を振り返って頂いた。今回はまずその前編をお送りする。
これはあくまで曽我部恵一というソロ・アーティストに焦点をあてたものだ。しかし、彼は日本中を車一台で駆け回るロックンロール・バンドの一員でもあるし、様々なミュージシャン達と絡んだプロジェクトも複数抱えている。そしてレーベル<ROSE RECORDS>の経営者でもある。このようにして彼はいつも様々な表情を我々に見せてくれるのだが、同時にそれらはすべて、曽我部恵一という一個人の表現に基づいたものなのだ。後日お届けする後編も楽しみにしていてほしい。こんなにタフなアーティストは他にいないと思う。真夏の照りつけるような暑い日に、ROSE RECORDSで話を聞いた。
インタビュー&文 : 渡辺裕也
ビートルズが<エド・サリヴァン・ショー>に現れた時のインパクト
——今回リリースされる「サマー・シンフォニー」はポエトリー・リーディングのようなスタイルで歌われていますが、これは今の曽我部さんの音楽的な関心が反映されたものなのでしょうか?
去年の初夏辺りに作り始めて、あたためてきた曲だから、あまり時代の流れとは関係ないかもしれませんね。最初にフッと浮かんだ段階では、もっとポエトリーっぽい感じだったんだけど、だんだんメロディも出てきて、ラップでもポエトリーでも歌モノでもないような感じだったから、自分の中で消化するのに時間がかかったんです。最初は弾き語りでスタートして、そこからトラックを作ってみたり、生で演奏してみたりを経て、今の形に落ち着いた。でも、今回リリースするものも過渡期ではあります。今はギター一本でも演奏出来る感じになってきていますね。
——ソロとして活動し始めた当時はどのような心境だったのでしょうか?
不安ではありましたね。バンドが代弁してくれなくなったからね。自分の気持ちをバンドの中に当てはめて表現するんじゃなくて、あくまで自分のことを自分の言葉、声で歌わなければならなくなったから、「がんばらなきゃ」という気持ちでいっぱいでしたね。これがもし自分の名前を冠さずに、英語でユニット名なんかをつけていたら、もう少しその不安も緩和されていたんだろうけど、そのつもりはなかったんです。曽我部恵一という名前でやっていくしかないという思いが強かった。
——それまではサニーデイ・サービスというフォーマットに自分の思いを託してやっていた感じだったんですね。
その方が聴き手も幻想を抱えられる部分が多かったと思うし。それがソロになったということは、それまでの方法論が取り払われて「一人でステージに立って歌ってみろよ」と言われたようなものだから、そこに不安を感じながらも「やるしかない」と思って歌い始めました。「自分の歌って何なんだろう」ということを考えながらね。それは今でも変わらないんです。「これは本当に自分の歌なのか、それともただ作ってみただけの曲なのか」ということを毎回自分に問いながらやっています。
——ひとりの表現者として何かターニング・ポイントになった、あるいは時代の転換期を実感したような出来事はあったのでしょうか?
劇的に変わった瞬間は、やっぱり2001年9月11日だったと思うんです。あの感覚はなかなか言葉にはしづらいんだけど、それ以前と以後で、僕個人は音楽の作り方が変わった。あの出来事によって、物事や現象、気持ちを世界規模で同時に共有していくようになったような印象があるんだよね。90年代にそういうことはなかったから。いろんな場所でいろんな人達がぼんやりと時代の空気を感じながら生きていたんだけど、あれは、世界中の人達が同じ気持ちを一瞬にして共有した出来事だったと思うんだ。それが残念なことにハッピーな感覚ではなかった。あのニュースが流れた時は、一瞬で稲妻が走ったような感覚だったよね。「悲しい」とか「これで世界が分断されるんだ」とか、そういうことではなくて、情報のスピードと、その揺るぎない正確さ、それを共有している人の規模の大きさを、個人でテレビを観ているだけで思い知った。「これからはそういう時代になっていくんだ」という感覚があった。そこにすごく影響を受けたと思う。それまでは個人主義的な“空の色が今日は綺麗だから君に会いに行くよ”というような歌を歌っていたんだけど、「これからは自分が歌うことは世界中の人が瞬時に共有できるものになっていくに違いない」と感じたんだよね。
——あの時、僕はあの情報量をまったく処理出来ずパンク状態になっていましたね。
ネット用語でいう「キターー!!!!」だよね(笑)。それが、例えばモハメド・アリが誰かをかっこよくKOした時ではなくて、ああいう人がたくさん死んでしまうような出来事だったから、そういう表現は不謹慎だけど、俺にとってはそういう感じだったんだよね。ついにこういう時代がきたんだと。それまでもそういう悲劇的な出来事はたくさんあった。俺が学生の頃に起こった湾岸戦争のインパクトももちろん大きかった。阪神大震災やオウムの事件とかもね。でも911はその規模が違ったよね。だから俺はあの時、センチメンタリズムに浸った感じではなかったんだよね。それよりもあのスピード感が衝撃だった。もしかするとビートルズが登場した時もそんな感じだったんじゃないかな。ビートルズが<エド・サリヴァン・ショー>に現れた時のインパクトって相当だったんだろうと思う。「あぁ、これで時代が変わるんだな」とみんな感じ取ったんだろうね。フォーク・シンガーだった人があれを契機にエレキ・ギターを持ったり、子供達が髪の毛を伸ばしてバンドを始めたりしたんだから。