2010/01/13 00:00

<だだ漏れ文化>が生み出す新しい音楽環境

鈴木慶一 : twitterを今3人ともやっているじゃない。でも恵一君は「なんでつぶやかなきゃいけないの?」「絶対にやんない」って最初怒っていたよね(笑)。
曽我部恵一 : マネージャーにtwitterをやってくださいって言われてて、「なんで俺がそんなところで、思ったことをちょろちょろ呟かなきゃいけないの」、「呟くことに何の価値があるの」って言ってたのに、数ヶ月後にものすごく呟いてましたからね(笑)。
渋谷慶一郎 : 酔っぱらった時に呟いちゃいますよね。付き合った女の子に電話するのに似た感じで、多弁になりますね(笑)。

——いわば、<リアル・タイムだだ漏れ文化>みたいな感じですよね。今はそうしたツールが沢山あるじゃないですか。でもそれって、完成させて発表するっていうレコードとは別のベクトルのものでしょ。この2つの間の架け橋になるような回路ってこれから生まれたりすると思います?

曽我部恵一 : ある意味それ自体がすでに立派な表現物ですよね。慶一郎さんはクリスマス・イヴにピアノ・リハーサルをustreamで流していたんですよね? ustreamで見ることの出来る無料の動画もベクトルは全然違うけど、一つの表現方法としては成立しているんじゃないかな。

——ただ、歌のある曲で言えば、歌入れの段階とかでは、まだ全然、完成していないってことじゃないですか。だからそれをustreamで見るのとCDで聴くのは全然違うんじゃない?

曽我部恵一 : でも僕はビリー・ホリデーのアルバムとアカペラを歌のブースで撮ったDVDがあったら、後者を買いたいですけどね。

——youtubeで検索すると昔のマッスル・ショールズ・スタジオで、歌入れの瞬間をただ回してる動画とかもありますよね。音とかは全然ちゃんとしていないんだけど、そういうのってゾクゾクしますよね。

渋谷慶一郎

鈴木慶一 : 『ロスト・レノン・テープス』だね。あれも最後の方はヴォーカル・ブース内の音だけだもんね。そうやって録音して折り重なって音が入っている中で、その一部分を抜くと非常にドキュメンタリーな感じはするよね。
曽我部恵一 : ひょっとしたら迫力というか、エッジやリアリティみたいなものは、作った何重かのものよりあるかもしれないですよね。
鈴木慶一 : ブートを聴くとドキュメンタリーの感じがするよね。エアー感があるし、それを聴いていると、よりそこにいる感じがする。だからレコーディングされた完成物を聴くと作品として聴くけど、ブートを聴くと非常に別のワクワクがあるような気がするんだ。それと<漏らしモノ>ってのは近い感じがする。でも、近いけど時間的には違うじゃない? だから、健太郎さんが言った2つの間の何かっていうのは、言おうとしても言えないんだけど。例えばブログを書くよね。同時にtwitterもあるよね。2つあってtwitterをやり出すと、みんなそっちばかりになるんだよね。でも私はブログも書くんだよ。今やっと9月分の日記が終わったところなんだけどね(笑)。あれってどうやって書いているかわかる? 私のスケジュールは全部ケータイに入っているので、ケータイでスケジュールを見て、過去を思い出すんだ。でも、それだけじゃ思い出せないから、メールも見るんだよ。その日にちの周辺のね。写真とかも見て、そこから出来事を思い出して、それで書いているんだよ。それによって、その時言えなかった事だったり、これは漏らしてはいけないってこととかを、わりとすんなり書けている。要するに、物語を一回遡って、再び構築しているようなもの。今どこに向かっているかももちろん重要なんだけど、過去をもう一回構築しなおすっていうのもなかなか面白いものだなって。それは当然作為的な部分も入ってきますけどね。
渋谷慶一郎 : 僕もブログも書いてますけど、何か作っていると落ち込むこととかも当然あるわけじゃないですか。で、落ち込んだ時に一番救いようがないのは、“おれ、何やってるんだろう”って部分ですよね。でも日記をつけていると、確実に自分が何をやっているかっていうことはわかるから、その不毛な自問自答は回避できる。僕は自己セラピー的に5年前くらいに始めてずっと続いてい て、自分のために始めたんだけど、それが結果的にプロモーション・ツールになっているという感じです。それで、さっきのブートの話とか生々しさの話って、いま一番その間を埋められるのは高音質配信ですよね。逆に、ブートみたいなスタジオ一発録りみたいなものを高音質配信でどんどん出しちゃうというやり方もある。その生々しさっていうのはテープのヒス・ノイズみたいなものではなくて、ある意味では本当の生々しさっていうか、その場にいる感っていうのを鮮明に伝えることができると思うんです。CDでも同じ問題はあって、例えばピアノのCDだったら、ホール・リバーブの音というか、立派なホールの空間を録ろうとしているような音のCDがほとんどでピアノを弾いているのを楽譜を一緒に見ながら聴いているような感じの生々しさはない。それが多分ポップじゃないっていうか、音楽に力がないみたいな話になっているんじゃないかな。高音質配信はスピードというかドキュメント性とそういう生々しさの両立を結構容易に出来る感じはしますよね。

量を作っていいっていうエクスキューズがある時代

——ゼロ年代の音楽シーンは色んな意味で大きく変わりましたよね。これは幸せでしたか?

鈴木慶一 : ゼロ年代は幸せだったよ。それは何でかというと、20世紀はスタジオでは必ず誰かがアシストしてくれたんだよ。最後必ず。それをなしでやる決心が出来たんだよね。自分でやるぞと。

——慶一さんはすごく量を作るようになったじゃないですか。

鈴木慶一 : そこに行けばいつでも曲を作れるっていう場所があるんだよ。何となくプラっと会社に行ってもコンピュータつけて作ってしまうとか、そういうことが可能になった。それと俺の場合、曽我部プロデュースの影響が強いと思う。「早く歌詞作ってくださいよ!」とか、「もう出来ました?」とかいう感じで(笑)。1枚目のアルバムは、特にその場で作ってたもんね。それともう1つはICレコーダーだね。今までは曲が出来るとケータイに吹き込んでいたんだけど、ケータイのICレコーダーのレベルが低かった。でも通常のICレコーダーを購入したことで、思いついたものをすぐ入れておくことが出来るようになった。だから朝起きて出来た鼻歌が、そのまま曲になっちゃうようなすごい連結の仕方をしている。だから量も増えたんだろうね。

——それも一種の<だだ漏れ>的な文化ですよね。自分内の<だだ漏れ>みたいな。

鈴木慶一 : それは言えるね。環境プラス自分のスピード感みたいなものが早いんでしょうね。ムーンライダーズの録音時のデモ・テープでM13とかって書いてあってさ、これで1枚出来ちゃうじゃんって(笑)。それをすぐにアルバムにしないっていうのがこのバンドの面白いとこなんだけど。
渋谷慶一郎 : 沢山作っているとうまくなっていきますよね。フィニッシュまで持っていけるようになっていく。
鈴木慶一 : あと、スクロール上で言うと、歌詞も含めて縦に作ることが増えたね。曽我部プロデュース時に、歌詞が無いとアレンジしにくいと言われて、じゃあ4小節作る度に歌詞を作って、リズムを作ってっていう作業をするようになった。
渋谷慶一郎 : それは要するに終わらせる方法ですよね。最後まで行った時に終わっているっていう。僕もコンピュータだけの場合はまったくそれと同じ作り方ですね。
鈴木慶一 : だから仮ってことが全くないんだよね。仮に入れておこうとか、仮メロとかがどんどん消えていっちゃって、全部本気になっている。それはすごくスピードが早くなる。それはリハーサルを見せるということに通じるかもしれないし、つまりリハーサルは間違えてもいいやという仮のスタイルじゃなくて、リハーサルすらこりゃちょっと間違えたらまずいぞっていう。

鈴木慶一×高橋健太郎

——昔の作曲家とかってそういう風に作ってたんですかね? 継ぎ足し、継ぎ足し。

渋谷慶一郎 : 人によるんじゃないですかね。モーツアルトは全体像が出来てたっていいますよね。あとはそれをなぞるだけっていう。

——今って全体像が見えない人でもとりあえず全体の形らしいものは作れちゃうじゃないですか。ループにして1番2番3番とか少しアレンジしたら、3分にはなるみたいな。そういうツールが誰でも手に入れることが出来るから、慶一さんなどはあえて、横の全体像を作らなくなったのかな。

鈴木慶一 : 縦に作ったら面白いのは、ものすごく変な方向に行くんで。4小節しかまだ経ってないのに、とてつもない転調をしたり。1番2番3番っていう発想がなくなってくる。
渋谷慶一郎 : あと量を作りたいっていう発想と量を作りたくない発想ってありますよね。量を沢山作りたいって時か厳選して作りたい時かで言うと、僕はいまは結構量を作りたいモード、プロジェクトも立ち上げたいモードで周りも結構そういう人が増えている気がしてるんですよ。
曽我部恵一 : 確かに。でもそれは何でですかね? 僕も量を作りたいと思うんですよ。量を作っていいっていうエクスキューズがある時代なのかな。量はいつでも作りたいんだけどそれを厳選しなきゃいけない時代もあったと思うんですよ。

——慶一さんとかもそういう時代ありましたよね。80年代くらいなんて、2年スタジオ入ってますとかよくありましたよね。

鈴木慶一 : “レコーディング終わりたくない病”みたいなものが、はびこっていた時もあったからね。録っては消し、録っては消し状態でね。それが今では録ったら出し、録ったら出しだね。多分ここにいる3人が同じ意見だっていうことは、きっと何かわけがあるんだよ。
渋谷慶一郎 : ひとつは3人とも出せる立場にいるっていうことですよね。レーベルをやっていたりすることで、作ったら出せるって立場にいる。

——あとは、twitterとかそういうものの流れに馴染んでいる気質なんだろうね。

渋谷慶一郎 : twitterやっていてレーベルをやっているから自開症だよね完全に(笑)。
鈴木慶一 : 共通点はそこ(笑)。
曽我部恵一 : まあ、そこは本当に大きいかもしれないですよね、実は。見せたい、出したいって。
鈴木慶一 : 個人でやっていたら本当にまる見せ状態にしちゃうかもしれない。だけど、ものを作るときっていうのは集団なんだよね。例えば、マネージャーがいたり、やめなさいよって言ってくれる人が出てきたりする。まったく孤立していたら、アウトサイダー・アーティストみたいになっちゃうかもね。出しっ放しな感じにね。そういう人は昔からいたんですよね。そうじゃなくてオーガナイズされた中で自開症になっていくっていうのが今なのかもしれないね。

[インタヴュー] Moonriders, keiichiro shibuya, 曽我部恵一

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