ZTTとは何だったのか?

80年代に爆発的なヒットを連発したZTTレコード。
怒濤のリイシューを期に、その監修者である渡辺健吾と、レコミュニの代表取締役である竹中直純が、当時の衝撃的な体験をふまえつつ、2000年代からの視点で、その内実を掘り下げる。

(司会、構成、高橋健太郎)

Art Of Noise

対談 渡辺健吾×竹中直純

—健吾さんは今回のZTTの怒濤のリイシューの監修をされている訳ですけれど、ユニクロとタイアップしたTシャツも凄い売れたようですね。

渡辺健吾(以下KW) : ユニクロは二度目の海外進出のロンドンで成功しているんですよ。だから、話がうまくまとまった。音楽レーベルをモチーフにした企画は前からやっていて、ZTTは第二弾だったんだけれども、何かポップなものはないかと探していたところに、サードイアーがZTTをやるという話がひっかかって、可能性ありますか、という打診があったんですね。それで、ZTT側もユニクロ? カッコイイんじゃないかって思ったんじゃないかな。

竹中直純(以下NT) : 海外ではユニクロは安物衣料店ていうイメージ、全然ないですもんね。

KW : そうそう、日本でギャップとかが、本国よりも少し格上に捉えられるのと一緒で。で、ZTTのは実はそこまで大きい企画ではなかったんですよ。全店では買えないんですね。幾つかの店でだけ。原宿店でジャケットを含めた展示をしたりとかだったんだけれど、数としては凄い出た。椎名林檎より売れたとか聞いた…。ちょうど同時期に椎名林檎のTシャツもやってたんだけれど。

NT : それは椎名林檎もZTTも何種類かづつあったんですか?

KW : そうですね、ZTTの方が種類が多かったでしょうね。1アーティスト2種類くらいあって、それを30代、40代の人が大人買いしてくれたのかな。そういえば、今回作っているボックス・セットはTシャツが付くんですよ。フランキーのTシャツって、当時、凄い流行ったらしいんですね。1984年の夏、「リラックス」と「トゥー・トライブズ」が出た後くらいかな。

NT : アルバムの「プレジャー・ドーム」が出るあたり?


KW : 出る前あたりかな。で、調べ見たら、その頃、フランキーのTシャツがイギリスだけで13万枚売れたんだって。それはスローガンが書かれたTシャツで、もともとは、その少し前にキャサリン・ハムネットが作ったスローガンTシャツをポール・モーリーがパクったものなんだけれど。今回、それを復刻したんですよ。でも、復刻するにも現物は残っていないから、いろいろ調べたんですね。フォントとか、どういうの使ってるかとか。そうしたら、バッタもんが凄いあって、裏原宿とかでも売られてる。書いていることは変えてあったりするんだけれど、多分それはもう、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドなんて知らないで作ってる。そこまで行くと音楽性とかと切り離されて、一つのアイコンとして残っているんですね。デザイン面とメッセージ性みたいなところで。特にそのメッセージは引き継がれて、書いてあること面白いんですよね。

NT : 「フレンズ」というドラマでも登場人物が着てたらしいですね。

KW : そうですね。

NT : 時代のメッセージとしてはずっと残ったんですね。

—そのあたりは当時、前面に出ていたプロデューサーのトレヴァー・ホーンよりも、レーベルの頭脳だったA&Rのポール・モーリーの戦略が功を奏したところが大きかった?

KW : そうそう。ポール・モーリーはもともとジャーナリストで、気の効いた言葉の使い方とか、そのへんは当時、凄い刺さったのかなと。

NT : ジャケットも謎めいたものが多かったですね あんまり説明してない。詩が書いてあって終わりだったり。英語が苦手だった僕は、おかげでだいぶ得意になったというか、そのスリーブの意味だけは分かるようにしましたよ。

KW : 最初、このプロジェクト始めた時は、そのへんも何も考えないでやってたというか、適当にそのへんに転がっている本から引用した言葉とかを羅列しただけだろうとか思ってたんだけれど、意外に考えられていたんですよね。やっぱり、知性派というか。ポール・モーリーはフランキーのシングル作る時に、人間に最も訴えかける三つのセンセーショナルな要素をテーマにするって決めていたらしくて、それは戦争とセックスと宗教だって。それで「リラックス」と「トゥー・トライブズ」と「パワー・オブ・ラヴ」になったと。まあ、それもちょっと後付けっぽいけれど、納得するっていう。

Frankie Goes to Hollywood

NT : その後のアート・オブ・ノイズの出方にしても、言葉をうまく使うということをそのまま音に持っていった感じでしたよね。ヴァージョン無限に作っていったり、そのへんはカット・アップとかを意識してたんですかね。

KW : じゃないですかね。ダダだったり、未来派だったり、そういう思想的な部分は根底にはあったでしょうしね、当然。

NT : あの当時って、未来に対する期待が凄いあったと思うんですよ。ドラマや映画では「北斗の拳」とか、「ターミネイター」とか、未来をそういう描き方しているけれど、実はそうはならないみたいな。「マックス・ヘッドルーム」とかね、あれはもう少し後?

KW : そうですね、ZTT時代じゃないですけれど、アート・オブ・ノイズが音楽やってますから。

NT : クリサリス行ってからか。「マックス・ヘッドルーム」も当時、大好きで、今見ると、あまりにもショボくて、結構、笑えますけれど、でも、まさに、今誰でもヴィデオ・カメラ持ってて、ワイファイかなんかで繋がると、どこにでもアップロードできるみたいなことが、昔はエディスン・カーターって人がこんな大きなカメラ抱えて。撮っては逃げるみたいなこと繰り返していた訳ですけれど、今見たら、普通なんだなって思える。今を知ってて当時を見ると、日常がそのまま繋がっているというか。未来ってバラ色でも地獄でもないんだなってのが分かる。それは音楽の話じゃないけれども、当時あったいろんなもの、ZTTもそうだし、マッキントッシュとか、そういうものがみんな教えてくれている気がする。

KW : 調べてみると、ポール・モーリーは音楽に関して口出ししたという記録は残ってないんだけれど、そのへんのコンセプト、言葉の選定とか、グラフィックとかは、ほとんど彼が考えていたみたいですね。フランキーのあのレザー・ファッションも、今だとレイザー・ラモンみたいなお笑いになっちゃうステレオタイプなルクスだけれど、あのもとは「マッド・マックス2」らしいんですよ。ハード・ゲイはこういうレザー・ファッションだと。じゃあ、よしそれで行こうというのを決めたのはポール・モーリーみたいですね。

808 state

NT : そうなんだ。じゃあ、そういう音楽以外のことに、あらゆる細かい指示を出して、随所にそういうポール・モーリー節みたいのが出ていたっていうことなんですね、ZTTというのは。

KW : そうそう。

NT : 僕は福井の田舎住んでる高校生だったんだけれど、凄く憶えているのは、FMの番組にフランキーが出ていて、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドっていうのはゲイになるという英語のスラングだって、喋ってたんですよ。僕はそれを30手前まで信じてて、人にもそう言ったことがあって、それはめちゃめちゃ腹立ってる。

KW : ほんと、当時多かったですね、そういうの。当時の日本盤ライナーも、今回、引っ張り出してみたんですけれど、使い物にならないんですよ。大御所の方書いてるんだけれど、間違いが多過ぎて。

NT : 当時、スリーブの中に入ってる解説を読むの楽しみだったんですけれど、ちゃんと調べて書いてなかったんですね。

KW : というか、今みたいに情報がないから。レコード会社に送られてくる英語資料とかしかなくて、それが英語が分かる人間に対して、煙に巻くようなことを書いている訳だから。そのへん、言葉の問題は大きかったと思うんですけれど、日本ではZTTって未だにカルトだし、良い意味でも悪い意味でもアングラというか、当時のカッティング・エッジなイメージを持ったまま持続している思うんだけれど、イギリスの状況を調べると、物凄いポップ・スターだし、トレヴァー・ホーンは小室哲哉以上のビッグ・ヒット飛ばした業界随一のプロデューサーだし。youtubeとか見ると、カラオケで歌ってる映像がたくさんあるんですよ、みんなで「リラックス」歌ってるみたいな。日本だとちょっと考えられないじゃないですか。

トレヴァー・ホーン

NT : でも、トレヴァー・ホーンは、TATUに繋がるようなというか、さっきのどこまで分かってやっていたか問題についていうと、どうなんでしょうね。当時は分かってなくて、いろんなことをやった中で上手くいったことが90年代に残ったけれど、それが通用し続けると思ったのがトレヴァー・ホーンの間違いだったのかなと。2000年代の日本では呆れられて、後楽園キャンセルみたいなことありましたよね。

KW : そういう面もあるだろうし、あと、トレヴァー・ホーンもひとりでやってた訳じゃなくて、脇にポール・モーリーがいたり、優秀なアシスタントやブレーンがいたのがZTT時代で、でも、TATUの頃にはもういなかった。なんか、聞く話によると、トレヴァー・ホーンはほんと、オタクな人で、あの小室さんも今回の事件で露呈したじゃないですか。ただの音楽馬鹿で、社会性ないんだな、みたいなことが。トレヴァー・ホーンも本当に作りたい音楽作るしか興味ない人みたいで、戦略とか、お金とか、そういうのは興味ないらしい。だから、トレヴァー・ホーン周りの人が作ったブランドだったんだな、と。

—サンプリングという新技術をポップ・フィールドで大胆に使ったプロデューサーということで、トレヴァー・ホーンは時の人だった訳ですけれど。

シンクラヴィア

NT : そうですね。当時は技術に対する憧れというのがあって、このアルバムからシンクラヴィア※か、とか、そういうことで興奮したりしていたんだけれど、でも、今はもうパソコンがあれば、何でもできる。聞いたことがない音楽を聞きたい欲求ていうのは常にあるんだけれど、どんな技術を使っているかというのには興味なくなっちゃったというのある。

※シンクラヴィア(Synclavier)。アメリカ合衆国のニューイングランドデジタル社が開発したシンセサイザー、サンプラー、シーケンサーなどの音楽制作環境を統合した電子楽器。1980年代のアメリカの商業音楽制作で一世を風靡した。

KW : だから、トレヴァー・ホーンよりも、ポール・モーリーの存在の方が残るというのは、彼のアイデアの方がもっと凄い長い文脈の中から引き出されているからでしょうね。文学だったり、映画だったり。たぶん、似たような作業はしているんだろうけれど、切り貼り的なこととか。でも、その重みとか、レイヤーの複雑さとか、そういう部分ではポール・モーリーの方が勝っていたのかもしれないですね。

NT : 予測できないことを後のために取っておくというか、良い具合に放置しておくという能力もあったのかな? そうでもないか。90年代以降、急に聞かなくなりましたもんね。

KW : あぶくのように散りましたからね。移り身はあまりうまくなかったかもしれない。完全博打打ちだったと思いますよ、彼らは。今では考えられないような金のかけかたとかしていますから。たまたま売れたからいいけれど、売れなかったら破産している。ホントかどうか分からないけれど、「リラックス」って、制作費だけで7万ポンドだったって。

NT : 当時で言うとどのくらい。2000万?

KW : 当時の2000万ですから、今でいうと、もっとでしょうね。セカンドの「リヴァプール」は、当時あまり売れなかったんだけど、それでもリクープ・ポイントがね、なんと250万枚だったと。

NT : そういえば、アート・オブ・ノイズのバス・ドラムの音でしたっけ。イギリス海軍に依頼して、砲弾を実弾で打って、それをサンプリングしたっていう。

KW : サンプル・ネタを集める行為に、当時のエンジニアの人達はハマっていたそうで、マイクとか持ち歩いて、半年くらい実験してたらしいですね、アート・オブ・ノイズができる前に。で、トレヴァー・ホーンは全部廃棄しろと言ってたらしくて、ホントは消さなきゃ行けなかったネタだったものを、編集、加工して、これだったら行けるって時点で、車の中でトレヴァー・ホーンに聞かせた。そうしたら、彼も乗って、それでアート・オブ・ノイズが生まれたらしい。

NT : ZTTってコンプリートした人いるんですか?

KW : さすがにないんじゃないですかね 今コレクターで集めているような人でも、コンプリートまではいかないんじゃないかな。なにしろ、今だったらやらないようなこと、30枚しか作っていないアナログとかあるようだから。

NT : レーベル買いっていうのを初めて意識したのがZTTだったんですよ。当時、仕事終わって、大阪の難波にあるタワー・レコードに行くと、確か、土曜日か日曜日が入荷日だったんだけれど、ZTTのコーナーに必ず新しいのが林立しているんですよね。絶対に買い切れない。当時、CDがブリスター・パックってのに入っていて、おまけとかも封入さえていて、欲しくてたまらないんだけれど、毎週一万以上の買い物できないから我慢したんですね。で、次の週行くと、それがもう無くなっている。結構買ったけれど10分の1くらいしか持っていないんじゃないかな。

Art Of Noise

—じゃあ、最後にお二人の人生において、ZTTが残した影響というのはありますか?

NT : あらゆるものが未来を向いていた時期というがあって、そこで一本針金みたいに、僕の趣味趣向がそっちに誘導された。それで、「ブレード・ランナー」を上映当時に知ったり、あとは「アキラ」とか、サイバー・パンク小説とか、そういうものすべてに向うきっかけを作ってくれた気がしますね。

KW : プロパガンダを出す時に、まりんと久々に話して、そこで思い出したのは、まりんは根っからのシンセッ子、テクノッ子じゃないですか。で、北海道で、周りに誰も同じ趣味の人間がいなかった時に、ZTTみたいなものが出て来て、物凄く救われた、と言っていた。自分も田舎の高校生だったから、まったく同じこと感じてて、パンクは終わってたし、ニュー・ウェイヴって言われても実感もなかったし、そういう中で一番自分に刺さったもの、今のテクノみたいなものに興味を持ち続ける根っこみたいなものが。あのへんがなかったら途切れてた気がする。周りと全然、話し合わなくなってきていて、フェアライトとか言ってちゃ駄目だったんですよ。そろそろバンド・ブームが来る頃なのに、俺、ドラム・マシーンとか買っちゃって、地味だわーみたいな。

NT : 僕もバンド需要ってのはあって、ドラムでヘビメタやってましたもん。なのに、家帰って、アート・オブ・ノイズ聞いているという。

KW : フランキーやアート・オブ・ノイズが「夜ヒット」に出たじゃないですか。こんなことやって夜ヒット出れるんだってのは、凄い希望だったな。

NT : それと思い出したのは、キャノンのゼロワン・ショップのキャラクターにマックス・ヘッドルームが使われてたんですよ。何言ってるわかんないようなCMだったんだけれど。僕はそれでパンフが欲しくてね、マックス・ヘッドルームが印刷されている、大阪の江坂にあるゼロワン・ショップに行ったんですよ。そうしたらあったのが、ネクスト・コンピューター※ですよ。当時、ジョブズがどうしているとか、そんなことは知らなかった。ただ、輸入したけれども400万ではとても売れなくて、158万円で売っていいですよってその時に話されたんですよね。それが何か違ったもの、恐ろしいものを手に入れたいと思うきっかけになってますね。

※ネクスト・コンピューター。当時アップル社を追放されていたジョブズ氏により創立された。同社は1988年後半、「革命的な」黒いキューブ(立方体)型のコンピューター『NeXTキューブ』を発表した。

ZTT RECORDS CATALOGUE

Art Of Noise

本来裏方の録音エンジニアやスタジオ・ミュージシャンといったひとたちが、当時最新鋭の技術であった“サンプリング”を駆使して、車のエンジン音や物を叩く音など身のまわりのノイズを再構築することで音楽に仕立て上げ「騒音の芸術」を生みだした革新的グループ。83年のデビュー当時はZTTのボスであり数々のヒットを生んだ名プロデューサー、トレヴァー・ホーンの覆面ユニットであるとの噂以外、プロフィールが明かされずライヴも行わない謎のアーティストだったが、後に、トレヴァーの指揮の下、アン・ダドリー、JJ・ジェクザリク、ゲーリー・ランガン、そしてブレーン的にジャーナリストのポール・モーリーが参加していたことが明らかになる。トレヴァーの発明と言われる“オーケストラ・ヒット”はじめ、当時1000万円以上したサンプラー「フェアライトCMI」に よって作り出されたサウンド・コラージュ。ヒップホップにも多大な影響を与えた、重いビートのミニマルなダンス・トラックの多いアート・オブ・ノイズであるが、美しくメランコリックな「モーメンツ・イン・ラヴ」という代表曲もある。これは、数々のCMなどに起用されたほか、マドンナの結婚式で使われた。また後年の「レッグス」は、ミスター・マリックのテーマ曲としても有名だ。ZTTから離れよりポップなアプローチに向かった彼らは、「ピーター・ガン」でグラミー賞を獲得。90年に一旦解散するが、98年にトレヴァー、ポール、そしてアン・ダドリーによる再結成が実現、ドビュッシーを題材にしたアルバムをリリースしてツアーも行った。


PROPAGANDA

ドイツはデュッセルドルフで結成された4人組のエレポップ・バンド。アバを意識したということからもうかがえる徹底したポップ・センスとドイツらしい重厚なエレクトロニクス、そして84年のデビュー曲でフリッツ・ラングのカルト映画「ドクトル・マブゼ」を題材にするというあたりのゴシック趣味が渾然となり、本国はもとより、イギリスやフランスでもヒットを記録した。実質的なプロデュースはトレヴァー・ホーンではなく、彼を長きにわたって支え、現在はトレヴァー・ホーンの新バンド、ザ・プロデューサーズのメンバーでもあるステファン・リプソンが行っているが、それがかえってよかったのではないかと感じられるバランスの良いアルバム『ア・シークレット・ウィッシュ』は、今でも信奉者の多い傑作だ。その後は、数多くのヴァージョン違いやリミックスをシングルでリリースした。

ACT

プロパガンダのメイン・ヴォーカルであったクラウディア・ブルッケンが、プロパガンダ解体後にイギリスの伝説的ネオアコ系レーベル、チェリーレッド・レコードで活躍していたトーマス・リアと1987年に結成したシンセ・ポップ・ユニット。プロパガンダで見せていたクラウディアの独特な雰囲気を残しつつ、ソロや多岐に渡るコラボへと移行していく前の彼女の才を確認できる。

808 State

アシッド・ハウスの雄、マッドチェスター・ムーブメントの中心的存在として数々のヒットを飛ばしシーンを牽引してきた伝説的アーティスト、808 State。大ヒット・クラッシック「パシフィック」は、89 年当時地元マンチェスターのクラブやレイヴで驚異的人気となり、瞬く間に全英トップ10、そして世界旋風を巻き起こす。テクノ/ハウスの常識を塗り替え続け、ニュー・オーダーのバーナード・サムナーやビョーク、エコー&ザ・バニーメンのイアン・マッカロク、マニック・ストリート・プリーチャーズやソウル・コフィンなど、豪華ゲスト・ヴォーカル陣を迎えた革新的アプローチで一時代を築く。彼らをリスペクトするアーティストは国内外に多く存在し、05年に国内最大の屋内レイヴWIREへ招いた石野卓球を初め、ケンイシイや琉球ディスコ、エイフェックス・ツインらを魅了し、また中心メンバーのグレアム・マッセイは近年人気を集めるSimianMobile Disco やマンチェスター出身の若手エレクトロ・バンドThe Whip へのリミックスを手がけるなど、常に第一線で新しいサウンドを追及している。