ベースがいないなかでも美しいものを作りますという、意地

──そして今作にあたりとても大きな出来事として、三人からふたりになったということがあります。それは「Changed」がベースレスで構成されたというところにも出てきているわけですが、どこまで意図してそうしたのか聞かせてください。
加藤:この曲を作っているとき、ベースの音が自分の中で聴こえてこなかったんです。だっていないから。自分がベースを弾くこともできたかもしれないけど、鳴っていないものは入れられない。これはベースがいない曲なんだなと思って、そのなかで一番自然な形にしました。
──不在という状態の存在感はすごく大きいなと思います。どんなことにおいても。
加藤:うん、いないんだなって思うもんね。
尭睦:そうですね。
加藤:「Changed」を一番最初にリリースしたのは、ベースがいないなかでも美しいものを作りますという、意地ですよね。変わっていないかのように振る舞うことを、後ろ指差している自分がいたから。ベースがいないなかで、ちゃんと美しい状態にして出すっていうことをした。
──ライヴでの実感も生まれそうですね。
加藤:そこはまだ難しいんだよね。ライヴではサポートでベースが入るから、全てのバランスが変わっちゃう。
尭睦:曲を作った場所も、札幌の芸術の森の練習室で、そこが少し楽器に触っただけで音が充満するようなところだったんです。レコーディングも小さい音でやっていたから、PAがいる音響で、お客さんに音が吸収される場所でやることを想像できなくて。そこを模索しないといけないんです。
加藤:〈FAHDAY〉の市民会館ステージで「Embrace Me」をやったときも難しくて。ほんとうはただ大きい音あんまり好きじゃないんです(笑)、音が大きいって難しいんですよね。
──やっていることと乖離があるように思いつつ、なんとなくわかる気もしますね。大きすぎる音ってなにもないかのように感じるときがある。
加藤:苫小牧の〈bar BASE〉によく行くんですけど、そこに朝方までいて音を止めたときに、パワーアンプのノイズがうるさかったことに気付いて。それまではアンビエントとか、ラウンジーな音楽がかかっていて、静かだなと思っていた場所に、ノイズが実はいたっていう。それって、静かな音楽がかかっていたことになるのかな? と思って。これまで、音の一番でかいほうは扱ってきたけど、小さいほうも扱いたいんです。最近ライヴで「Embrace Me」をやるときは、ヴォーカル・マイク以外をオフにしていて。ヴォーカル・マイクってなんとなくバンド全体に向いているから、全部これに入ってるじゃんと思って。お客さんの足音の方がうるさいくらいのボリュームで演奏してるんです。
尭睦:あとは大小だけじゃなく、強弱も扱おうとしていて。小さくて強い、ということもあり得るので。
──歌は小さいけど強い、になりやすい要素な気がします。今回は静謐な歌いかたをしていますよね、だけど切実さを感じる。内容はほぼ叫んでいるような感じだけど。
加藤:不思議と叫びたくなかったんですよね、今回。叫んではいますけど。だって聴こえるでしょ? みたいなね。
──〈BASE〉というバーの環境で歌っているのも関係しているのかもな、と遊びに行ったとき思いました。
加藤:〈BASE〉にはみんな人との会話やお酒を楽しみにきてるから、自分の歌が人の楽しみの邪魔をしちゃいけないっていう感覚がある。それは出ているのかもしれない。
──それでも、NOT WONKはライヴハウスにたつことになるわけだから、そこで轟音を選択したのかなとも思います。とはいえ、今作の曲をライヴで聴くというのはあんまりイメージできないですね。もしかしたら教会にいるみたいな気持ちになるのかも。
尭睦:そうなったらいいなと思います(笑)。

──全体通して、反復のようで反復ではない、景色が移ろうような演奏や展開の仕方が多いなと感じました。そこは「Same Corner」に顕著ですけど。この曲にはOlololopの高島連さんが参加してますよね。
加藤:去年連くんと北海道のフェスでセッションしたんです。僕とTHE BOYS&GIRLSのワタナベシンゴさんで一緒になにかやってくれってオファーがあって。シンゴさんは音楽のことは加藤に任せるっていってくれたから、詩を書いてもらうことにして。俺は連くん、CARTHIEFSCHOOLの津坂元熙、Glansのヤマダノブヲと50分ワンステージのセッションをやったんです。そのときに連くんがすごくいい仕事をしていて、今回お願いしました。この曲が一番セッションを通して作った曲。セッションで曲を作ることは、ほとんどしないんですけど。大枠なグルーヴとベーシックな形をそこで作って、あとは細かく調理していく感じで作っていきました。
尭睦:ずっと16ビートを絶えず続けていって、加藤くんにはこのコードを使いたいみたいなところがあり、そこから始まってる曲ですね。形ができるまでが、やっぱり長かったですけど。
──というと?
加藤:この曲はソウルにトライしていったんだけど、ただ16ビートをやってるだけだとソウルでもなんでもないので。
尭睦:それだとおもしろみもないですからね。このリズムって気持ちいいね、くらいで終わってしまう。
加藤:ドラムだけじゃなく、ギターとベースの関係性、コードのあたり感とか調整していったよね。
──さまざまな手法を使って、ジャンルを定めないで、そこまで緻密にやるってすごい労力が必要ですよね。よく作り終わったなと思います。
加藤:俺も尭睦も、同じことをやるのが苦手なんだと思う。さっきもこれやったよな、と思ったときにいいと思えなくなってしまうんです。それは曲単位でもだし、同じ曲のなかですらそうで。
尭睦:でも、このメロディをもう一度聴きたいなと思ったときに、どうアレンジしていくのがいいかっていう。
加藤:曲のなかに一番聴いてほしい部分や演奏したい部分があったとして、それをいつ出すのか、どういう形で出すのかっていうことが大事で。落差をつけるとか音を大きくするとか、突然なにかをしてびっくりさせることはできるけど、それって簡単だから。もう少し緻密に、あの部分で出てきたものが形を変えてリプライズ(Reprise)されているみたいなことを、演奏のなかでも曲の構成、アレンジとしても気にしている。形が一緒でもフィールが違うというか。「Same Coner」は一枚岩な曲だけど、同じには聴こえないようにしている、ずっと違うことをやっているように聴こえるはずなんですよ。だって違うことをやってるから、ずっと一緒なんだけどね。
──「George Ruth」の歌の入りではFUGAZIの「I’m so tired」を想起しました。
加藤:なんとなくDCハードコアの気持ちがあったんだよな。ドラムのサウンドを作るときにはツェッペリンの話もしてたね。
尭睦:意外と録って聴いてみたらストーン・ローゼスぽさがあるね、ともなりました。
──あとはスローコアのことも考えていました。ノイジーなギターと重いドラム、そのなかでゆっくり歌うことそれ自体が、癒しになるんだろうなと。
加藤:埋めてくれる音楽って感じがする。でかい音で遅くて重たい音楽を聴いて、めちゃくちゃになりたいみたいな感じで作ったよね。あの曲だけ半端ないくらい音を大きくして、耳を飛ばしながらやってた。癒されたね、「気持ちいい〜」って感じ。
尭睦:「George Ruth」のドラムは叩いてるのは8ビートなんだけど、感じは16ビートで、それに合わせてベースラインは休符の多いパーカッシヴなものになってるんです。そういう歪さの気持ちよさ。ただのっぺりしているわけじゃない、おもしろさを損なわずにできたというところが気に入ってます。
──サウンドの良さや構成のおもしろさっていうのは絶対譲れないんだろうなと感じますね。苫小牧にはすぐそばにいい音響のある箱、〈ROOTS〉と〈bar BASE〉があって、録音当時の演奏者がすぐそこにいるかのような気持ちになることが多々あると思うんです。そういう環境で、10年後、20年後に鳴ることも考えられている作品だと思う。そこもまた「永遠性」なのかなと。
加藤:レコードって写真みたいですよね。そう思ってもらえるということは、しっかりアルバムになったということだな。
作らないとわかんねえ、なんでも

──アルバムであり、それぞれの曲の強度を感じます。ここまでの話をふまえて、最初の「オルタナティヴ」な手法について、もう一度聞かせてください。加藤さんがいっていたことって、オルタナと呼ばれるバンドの表現がジャンルをかき集めて配置し直すことを求められている状況の中で、それをもっと自然な、これまでよく触れてきた音楽性のもとでトライしたということであっていますか。
加藤:うん。なにかに対抗して音楽をすることはしたくなくて。「オルタナティヴ」という言葉自体、もうひとつのなにかという意味がやっぱりあるから、比べる対象がないと成立しない脆弱な基盤の音楽という気がしてる。だから、NOT WONKのことをオルタナティヴといってくれてもいいけど、それを自称するつもりはもうないかな。
尭睦:どんな意味合いであっても、オルタナティヴである実感はないですね。強いていうなら「追求する」っていうところだと思う。
──追求し続けられるのってなんでなんですかね。
加藤:仮説があるから。結果がどうであれ、実証するにはプロセスを辿っていかないといけない。それをやらないと本当のところどうなのか、わからないから。このリズムは本当に10msecうしろの方が良く聞こえるのか、このピッチはあと何セント上の方が気持ちいいのか、ヴォーカルのブレスはあと0.5デシベル小さい方がいいのか。ミクロな世界で本当にそうなのかどうか、試さないとわからないよ。その結果、別に変わらないとか、聴いてもわからないからどっちでも一緒だなってときもある。もちろん。だけど、作らないとわかんねえ、なんでも。いま一番そう思っている。
──「俺はこの街にいるだけだ」っていう詩があるじゃないですか。いったんドアを閉めて、自分のやるべきことをやる、ペースを保ちながら。っていうことなのかなと。
加藤:だって、やらないといけないことって、いっぱいありますもんね。苫小牧に居て…っていうか街の名前ですらどうでもいい。あなたはあなたのいる場所で、やらないといけないことがいっぱいあるでしょ? っていう。それがわかっていても疲れてるとか、できないときの方が多いから。できることはちょっとずつ、やっていく間に人生はあっという間に終わるんじゃないかという気がします。それが見つかっている感じがする。
──『Bout Foreverness』はちゃんと生きている人間による作品だなと。生活も、場所も、これまで歩んできた道のりも、しっかりここに入っている、と思いました。



編集 : 津田結衣
ライヴ情報
NOT WONK TOUR “Bout Foreverness”

2025年2月27日(木) 渋谷 CLUB QUATTRO
2025年3月14日(金) 心斎橋 Live House ANIMA
2025年3月15日(土) 名古屋 CLUB UPSET
ディスコグラフィー
PROFILE:NOT WONK

■公式HP:https://notwonk.jimdofree.com/
■X : @notwonk_theband
■Instagram : @notwonk_theband