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INTERVIEW : TWEEDEES

マニアックなポップス愛好家を唸らせてきたTWEEDEESの4年ぶりのアルバム『World Record』は、4年のインターヴァルからもわかる通り(昨年ミニ・アルバム『国境のエミーリャ』を配信リリースしているが)、なかなか難産だったようだ。その背景にあったのは何なのか。沖井礼二と清浦夏実が率直に明かしてくれた諸事情は、意外でもあり深く頷けるものでもあった。
インタヴュー・文 : 高岡洋詞
写真 : 飛鳥井里奈
夢の強度もさらに高くしてやろうじゃないか
──沖井さんはコンセプトを考えて遊ぶのが得意だと清浦さんが話しておられましたが、今回もそういうものはありますか?
沖井礼二(Ba)(以下、沖井):今回は正直な話、コロナ禍のおかげでいままでのやり方ができなくなっちゃったんですよ。僕は音楽を聴いたり映画を観たりするのが好きなんですけど、音楽を聴いても楽しくないし、大好きだった映画も味気なく感じるようになっちゃって。「だってこの人たちマスクしてないじゃん」みたいに、その世界に自分が入って夢を見るということができなくなったんですね。確かにこれまでは、自分で考えたコンセプトみたいなものにBGMをつけるように1曲1曲作ってたんですけれども、どう作っていけばいいのかわからなくなっちゃったんです。
──それは大変でしたね。
沖井:でもバンドも音楽もやめるつもりはないから、七転八倒しながら試行錯誤を重ねてなんとか出来上がったのがこれです。コロナで変わってしまった世界とどう向き合うかっていうので、何度も何度も作ろうとしては挫折して、ボツにもなって、この人(清浦)に聴かせたら「つまんない」と言われることもたくさんあって。そのなかを勝ち抜いてきた曲たち、もしくは「これだったら勝ち抜けるぞ」とわかったからできた曲たち。それにこの人が名前をつけてくれたのが『World Record』だと思います。TWEEDEESがこの4年間で色々な世界を構築して、色々な世界を見て、色々な世界を体験して、それを記録したものだということ……なんでしょ?
清浦夏実(Vo)(以下、清浦):はい。沖井さんには作家的なところも多分にあって、コンセプトに合わせて調理をしていくのが得意なので、これまでのアルバムでは自分たちの好きな箱庭を作ってきたんです。けれど、ここ4年間でありがたいことに何度かコラボレーションの機会をいただいて、1曲1曲、新しい引き出しも開きましたし、意外とそういうきっかけで新しい試みもできるんだ、って気づいたんです。それは世界に飛び込んでいくことだなと思ったので、『World Record』というタイトルになりました。
──沖井さんはコラボやタイアップで外部から「お題」をもらうことにはどんな感覚がありますか?
沖井:好きです。言わば「この子に服を着せてください」ってことじゃないですか。でもせっかくオファーが来たんだから、あくまで我々らしく、この子にいちばん似合う服を作るっていうことなので。だったらこういうのもあるかな、って知らない引き出しが開いたりすることもありますしね。
清浦:逆にTWEEDEESになにを着せていいのか沖井さんがすごく悩んでいたので、コラボに救われたところがあります。
沖井:うん。リハビリにはなりましたね。

──特に『国境のエミーリャ』とのコラボには大いにインスピレーションを得たのではないかと思いました。昨年出されたコンセプト・ミニ・アルバムから “二気筒の相棒” が収録されていますし、新曲の “ルーフトップ・ラプソディ” もあります。沖井さんのコメントには《あらゆる分断(重要:分断そのもの。分断を促す人たちではなく)への抵抗》《寛容と理解》という記述もありますが、原作は米ソに分割統治された「トウキョウ」の街を舞台に、人々の亡命の手助けをする少女を主人公にしていますよね。
沖井:まったく別の世界だからこそ、僕にとっては逃げ込みやすかったかもしれないですね。『エミーリャ』の音楽を作るのはストレスがまったくなくて、だいぶリハビリになったと思います。しかしながら作品世界のなかには、いまの現実社会とは違った形のシビアな分断があるわけですよ。コロナ以降、物理的に、例えば友達や家族とも会えないという分断もあるし、みんな家にいてインターネットをやるしかないから、言論的な意味での分断も昔よりも強く感じられるようになって──いまひどいことになってるなと思います──結局は現実と同じ話なんだな、と思って。『エミーリャ』の世界に1回行ったからこそ、帰ってきて曲を作れるようになったところはあると思います。
清浦:ファンタジーに救われたと思っています。沖井さんがおっしゃったように、1回『国境のエミーリャ』のフィルターを通した上で、現代に生きてる自分たちの考えを世に出せたのは、正しいコラボだったと思います。自分たちにとってもひとつのきっかけにもなりましたし、『国境のエミーリャ』を好きになってくださる方が音楽からもし増えたんだとしたら、それは嬉しいことですし、幸せな相思相愛コラボだったなと感じています。
──アルバムのひとつひとつの曲はコラボ先の世界観に沿っていることもあって、具体的に「分断はダメ」と言っているわけではありませんが、通して聴いたときに、言葉よりも音楽から伝わるメッセージみたいなものがあるような感触を得ました。
沖井:それはおそらくコンセプトみたいなこととは別の話として、とにかく作品に嘘はつかないようにはしてきているので、こちら側のメンタリティが作品に投影されてしまった部分があると思います。制作期間中に「沖井さんが作ってくる曲は暗いのばっかり」と言われたこともありますけど、まぁ、おそらく暗い気持ちだったんでしょう(笑)。こうであってほしくない、こうであってほしい、こういうものが見たい、という気持ちがとても強く出たんだろうとは思います。
──僕はむしろ楽しいポップな曲が多いと思いました。
沖井:目指したのがそれだったと思うんですよね。基本的には暗いものは作りたくないですから。あと、現実がタフだからこそ、ポップスのなかではきちんと夢を見せたいという、エンタメを職業とする者としての矜持はあるので。現実が以前よりシビアなのであれば、夢の強度もさらに高くしてやろうじゃないか、という気持ちはあります。以前より呑気ではないかもしれませんけれど。
──楽しい印象の曲だけども、わりとシリアスな……。
沖井:気持ちで作っているということですかね。
──清浦さん、一時期は暗い曲が多かったんですか?
清浦:多かったですね。かなり不安定な時期があって、「これ、やるから」って言ってた曲がボツになったりもしましたし、「これでもう出揃っただろう」と沖井さんは言うけど、わたしは足りないと思ったり、バンド内でも意思疎通が取りにくい状況になったりしていました。そんななかでも、いまの自分たちの務めは暗い曲を出すことではないと思っていましたし、もともと夢を見せたいと思ってはじめたバンドなので、自分たちがなにをしなきゃいけないかを意識的に考えた作品なんじゃないかなと思います。というか、考えさせられましたよね、どうしても。
沖井:おそらく、夢を自分でも見たいんですよ。
──自分が見たい夢を描いて、それを聴いてうっとりしたり楽しんでくれる人がいるのは最高に幸せですもんね。そういう意味ではこれまでと同じなのかもしれないけれど……。
沖井:より自覚的にやらざるを得なくなったという。
──そうとう食らったんですね、コロナに。
沖井:僕は食らいましたね。音楽を聴いても映画を観ても楽しくない。あれはつらかったし、いまもつらいです。刺激を受けるために映画を観る、音楽を聴くのに、すべてが砂を噛むような感じになって。味覚障害が感受性に来たみたいな。
──清浦さんはどうだったんですか?
清浦:わたしは沖井さんが曲ができないのなら無理してTWEEDEESをやる必要はないとまで思っていました。わたしまで病んでしまったら話にならないし、とにかくコロナが過ぎてもらわないとライヴもできないし、それまでは健康でいようと思って、山登りばっかりしていました(笑)。

──ふたりでバランスが取れていたんですね。沖井さんは清浦さんの登山みたいに心身の健康を守るためにやっていたことってありますか?
沖井:んー……。
清浦:ないですよ。ないない。
沖井:ぶっちゃけ向き合っていました。逃げられない、ごまかせかないと思って。たぶんコロナがなかったらここまでひどくはなってないと思うんですけど、いろんな分断や対立が生じて、延々やり合ってるじゃないですか、この3年間。つらいですけど、僕はどっちにも与したくないから静観するしかない。ただ目をそらさずにちゃんと見ていなきゃいけないな、と。どっちかに与したらたぶん楽なんですけど、そう簡単に判断できない問題ばかりですから。