2022/09/02 17:00

レゲエ、その魅力を現在の視座から伝えるディスクガイド本──書評『REGGAE definitive』

オトトイ読んだ Vol.12

オトトイ読んだ Vol.12
文 : 二木 信
今回のお題
『REGGAE definitive』
鈴木孝弥 : 著
ele-king books : 刊
出版社サイト
Amazon.co.jp


 OTOTOYの書籍コーナー“オトトイ読んだ”。実はここ、書籍というわりとタイムレスな媒体の特性を考えても、あまり「新刊」にはこだわりなく紹介するコーナーでして、少し前の既刊本から古書まで、さまざまな音楽に関する書籍を紹介していこうと思っています。さて、今回は1年半程前に刊行された本なので、既刊本ということになりますね。鈴木孝弥著『REGGAE definitive』。ここ数年、テクノやベース・ミュージックの例をあげるまでもなく、(ダンスホール)レゲエはある種、参照先として引く手あまた。そんなレゲエの案内役として、このディスクガイドを紹介したいと思います。現在へと続く「レゲエ」の音楽性はもちろん、たびたび問題にされる同性愛嫌悪=ホモフォビアなリリックへの批判的な指摘など、現代様にアップデートされたある視点のレゲエのガイド本として紹介します。ライターは二木信にお願いしました。(編集部・河)

レゲエの歴史と、未来に開かれた音楽の価値

──書評 『REGGAE definitive』──
文 : 二木 信


このディスクガイドの全編を貫くのは、「レゲエが人生を豊かにする」という著者=鈴木孝弥の確信だ。「明日のレゲエ・コミュニティにむけて」というロマンチックなタイトルが付けられた序文からしてそうだ。著者は、執筆のために膨大な量のレゲエを毎日聴き続けてもまったく飽きなかったと書き、さらにこう続ける。「世界中のレゲエ・コミュニティを貫いている人間味、あたたかみと、生きること、楽しむことに対する貪欲な波動に、自然と自分も突き動かされて日々を送るようになってくる」

本書の素晴らしさは、そうした情熱だけではない。情熱とともにある、たしかな知識と情報、そして知性も魅力的だ。それらは、長年にわたってレゲエを中心に執筆活動を展開してきたベテラン・ライター / 翻訳家の飽くなき探究心によって得られたもので、一朝一夕のものではない。

事実、著者はこれまでもルーツ・ロック・レゲエに焦点を絞った書籍2冊(『ディスク・ガイド・シリーズ # 009 ルーツ・ロック・レゲエ』、『クロニクル・シリーズ ルーツ・ロック・レゲエ』)を監修している。加えて、『定本 リー “スクラッチ” ペリー』の監修や『レゲエ・アンバサダーズ 現代のロッカーズ──進化するルーツ・ロック・レゲエ』(アレクサンドル・グロンドー著)の翻訳なども手掛けている。

そんな著者がレゲエの通史に向き合って執筆した本書は、ジャマイカがイギリスから独立した2年前、1960年をスタート地点としている。つまり、この独立前後にジャマイカ・オリジナルのスタイルとして誕生した、スカ、ロックステディが起点だ。そして、そこから生まれたレゲエ、ルーツ・ロック・レゲエ、ダンスホールなどをはじめとする、2020年までの主にジャマイカの音楽を、厳選した1000枚を超える作品で紹介していく(オリジナル・アルバム縛りで、一部がEP)。もちろんメインはジャマイカだが、イギリスやアメリカ、日本やその他の国々のレゲエも紹介されている。

まず、レゲエを通史として俯瞰するために設けられた章立てが面白い。その章立てに著者のレゲエ観、ジャマイカ音楽についての歴史認識が表れているからだ。それは、基本的な歴史の整理も含むので、私のようなレゲエの素人にもうれしい。例えば、1966~1968年を「The Rock Steady era」としたチャプターのあとには、「1968 最初のレゲエ」というコラムがある。ロックステディから派生してレゲエが誕生したのが1968年。最初のレゲエは何か?という論争やレゲエの語源を解説する。

一方、90年代以降の章立てには著者の歴史認識がより鮮明に出ている。1993~1999年を、80年代中盤以降のディジタル・ダンスホールの過当競争の揺り戻しとして「The Neo Roots era」と定義している。つまり、刺激を過剰に求めるダンスホールからより思慮深いそれへの移行だ。そこでガーネット・シルクの『It`s Growing』(92年)をその時代を準備した重要作として取り上げ、「スラックネスとガン・トークでデカダンに陥った、その揺り戻しとしての90年代コンシャス・ダンスホール・ムーヴメントを先導した」と簡潔に説明する。

同時に著者は、「The Neo Roots era」においてもみられる、同性愛嫌悪=ホモフォビアを批判的に検討していく。例えば、バウンティー・キラー『Next Millennium』(98年)について、「ヒップホップの交配種に強烈な凄み」と音楽的に評価しつつも、複数の収録曲を「ゲイの人権擁護の点で問題」と指摘。とはいえ、いまから約25年も前の曲だ。それ故に糾弾するのではなく、「格好の研究材料」であるとし、レゲエの罵倒文化の背景を知らなければ建設的議論はできないと綴る。

さらに、このチャプターの前には、「レゲエと聖書とホモセクシャル」というコラムを置き、ラスタファリアンやラスタファリ運動におけるホモフォビアの大元の聖書解釈の相対化を試みている。このような、過去の作品や表現に現在の視点から向き合う知性と批判精神も、本書を読み応えのあるディスクガイドにしている。因みに、約1年半前に刊行された本書をいま書評することになったのも、その点において、先日とあるSNSでのやりとりで、この記事の担当編集と意見が一致したからである。

加えて、“積極的寛容性”とでも言えるものが本書を貫く。それは、ウォーリアー・キングの『Virtuous Woman』(02年)を「歴史に残る名盤」と評価しながらも、またもやみられるホモフォビアを批判したあとの、「こうした見事な作品が呈する問題の丸無視も、アーティストの全否定もよしとしない。考えることがサポートになればいいのだが」というテキストに象徴されている。この“積極的寛容性”は、レゲエを深く愛し、聴き、考え、書き続けてこなければ、到達できないものであると感じる。そうした背景には、レゲエの思想性や宗教性をも受け取り、血肉化し、自身をレゲエというユニバーサルな共同体、あるいはムーヴメントの一部だとする著者の認識があり、だからこそ現代に生きる人間として、差別的な表現を容認しないのだ。"ムーヴメントとしてのレゲエ"に関しては、「ルーツ・ロック・レゲエ、バビロン、Fire pon Rome」「大麻問題」「Reggae Revivalというコンセプト」という3つのコラムが参考になるのでおすすめだ。

このようにレゲエを生きる人間が書いたレゲエのディスクガイドの充実は、あらためて強調するまでもないだろう。リー・ペリーやボブ・マーリーを長年聴いてきた著者が、同時に、ダンスホール史におけるメジャー・レイザーやイクイノックスの革新性や実験性、バーナ・ボーイのポップさを積極的に評価する。これこそがレゲエの美と多様性の魅力と言えよう。そして、その根幹には「レゲエが人生を豊かにする」という確信がある。最後は、〈スタジオ・ワン〉からデビューしたロックステディ・ヴォーカル・グループ、ヘプトーンズ『On Top』(68年)収録のパーティ・チューン「Party Time」について記した著者の言葉で締めくくろう。

“パーティ”は人生の暗喩。人はみな等しく老い、最後は冷たくなる。その前に楽しみ味わう命=同じパーティ=平等の権利。この普遍的な社会性と生命観を歌うスウィートな活力が、作品に永遠の価値を与えている。 ――鈴木孝弥

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