2022/06/02 17:00

『stars in video game』から、そして現在へ

『stars in video game』リリース当時のリハスタでの一コマ

アルバムのなかには、“四月”、“かんししゃメシエのまち”、“stars in video game”など弾き語りの楽曲もいくつか挿入されている。2013年にoonoは『stars in video game』のバンド編成にいったんピリオドを打ち、ソロでの演奏に専念することを選んだ。現在は、当時とはまたメンバーの異なる編成でのバンド活動も再開しているが、シンガーソングライターとしての意識の持ちようはどんなものだろう。

oono : みんなの力を貸してもらってやっていたんですけど、1人でもやらなきゃなっていう、そういう気持ちはあったのかな。1人だけでやる心地よさもずっとあるんですよね。(2013年にバンドをやめたのは)単純に心と体の問題ですね。うつとパニック障害になって、ライヴをたくさんやったり、人とずっと一緒にやったりすることが難しくなったんです。いま思えば、アルバムを出す前の1人だった状態にまた戻ったんじゃないかな。あと、ソロでの演奏をやっていくうえで、1人でステージに立っても自分のバンド以上に聴き手を引きつけられるような力をつけないといけないと思ったんです。その背景には、パンクもフォークも好きだという少年期からのアンビバレントな感情もあるんだと思います。

いまは1人ですべてを手掛けた作品を作ってみたいというoono。ここ数年のコロナ禍が活動に与えた影響を訊いてみると……。

oono : コロナでライヴがなくなって、自分がやっていたことを忘れそうになります。でも、コロナ前から自分の状態は結構ボロボロだったので。ずっと地獄だったという感じでもあるんです(笑)。世界が大変な状況になって、むしろ自分自身は落ち着いてきましたね。いま露出はすごく少ないですけど、ずっと楽器は触っています。ライヴが何か月もなかったりすると音楽家としての感覚を忘れちゃうので、この取材もめちゃくちゃ大事なひとときです。田中さん(筆者)みたいな人が、過去にライヴを観たり、出した音源を聴いてくださったり、それを覚えてくれているという発見をできたのは、嬉しかったです。

彼曰く『stars in video game』は「ずっと洞窟のなかにいた自分を外の世界に出させてくれた」アルバムだという。そして、「死んだ友達に教えてもらったことを一回アウトプットした」作品でもあると。

oono : 彼とやっていたバンドは、挫折したわけですよ。そして、彼自身は音楽を外に出すことができなかった。だから、自分がそれをやることに重きを置いていたんです。やっぱりその人に教えてもらったことがめちゃくちゃ大きい。それをまだ自分は見せられていないという動機が、あの時期は強かった。あと、それをバンドですることで、人と人が一緒にやることをなめんな、と言いたい気持ちもあって。でも、それってちょっとずるくて、音楽をやっている理由を他人のせいにしちゃっているわけですよ。自分のいちばん大切な初期衝動とかを、外からもらっているというか。ただ、いまはまた変わっていて、自分と自分の楽しみのためにやっていると思っています。

この取材では、2010年に世に送り出された音楽が、筆者にとって多くの音楽家との新たな出会いをもたらし、以降の人生に大きな変化を及ぼしたことをoonoに伝えてみた。そして、自分にも亡くなった友人がおり、この『stars in video game』に込められた、寂しさや置いてきぼりになった感覚、憤りや悼みの想いが、あらためて聴いたとき、伝わってきたということも。

oono : そういう田中さん個人の経験をふまえた感想がめちゃくちゃ素敵だと思うんです。僕にとって音楽を作ることは、真っ暗な部屋に向けて手紙を投げている感じなんです。それを受け取ってくれた方がいるのを知ると、どっかに届いているんだと思えますね。さらにいうと、その暗い部屋同士は時間も空間も関係なく繋がれると思うんですよ。そこでは大昔に死んだ人の音楽がいきなり受信できるし、逆に僕らの音楽が未来に届くこともある。もっと言えばいま死んじゃっている人とも繋がれると思うんです。そこのでたらめさというか、時間も空間も関係なく届くということに期待して、自分は音楽を続けているんだと思います。

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