2022/02/10 12:00

アジアの都市がもたらしたポップ・ミュージックの“洗練”──書評 : 菅原慎一 + パンス監修『アジア都市音楽ディスクガイド』

オトトイ読んだ Vol.8

オトトイ読んだ Vol.8
文 : 河村祐介
今回のお題
『アジア都市音楽ディスクガイド』
菅原慎一 + パンス : 監修
DU BOOKS : 刊
出版社サイト
Amazon.co.jp


 OTOTOYの書籍コーナー“オトトイ読んだ”。今回は菅原慎一と本コーナーでもおなじみのパンス監修による『アジア都市音楽ディスクガイド』。いわゆるシティ・ポップ発掘やリヴァイヴァルだけではこぼれ落ちてしまいそうな、しかしそことも密接な関係のある、各地のポップ・ミュージックをセレクト、紹介したガイド本。ここで言う、“都市音楽”とはなんなのか? さっそくいってみましょう。

“都市”の人々が生んだポップ・カルチャー、そのサウンドトラック

──書評 『アジア都市音楽ディスクガイド』──
文 : 河村祐介


本書は主に1970年代以降から現代にいたるまでの、東アジア~東南アジアの国々(韓国・台湾・ベトナム・タイ・インドネシア・香港・マレーシア・シンガポール・フィリピン・中国・ラオス)で生まれたポップ・ミュージック、そのなかからある趣向のサウンドを“都市音楽”(詳しくは後述)として集成、紹介したディスク・ガイド本だ。監修は菅原慎一 と、本コーナーでもおなじみのTVODのパンス。さらには各地のポップ・ミュージックに精通したライター陣による、圧巻の600作品のレヴューが納められている。

中心となるディスクガイド部は、1970~2010年代までを5つのディケイドごとに区切り、国を問わず、年代順・アルファベット表記順で列べられている。その他には、韓国やタイ、中国、ベトナムなど、直接各地のシーンに関わるキー・パーソンとなるアーティストや関係者、その他、識者によるインタヴューやコラムが列ぶ。

まずはその音楽の魅力をというのであれば、まずは掲載作品をならべた『アジア都市音楽ディスクガイド』のSpotifyのプレイリストもある。本著を開く前に、まずはこれを聴いてみることもオススメしたい。前情報なしに、果たしてこれはどの国で鳴らされたものなのか……まずは妄想してみてから各記事で答えあわせするのもおもしろかもしれない。

さて本書のテーマ、“都市音楽”とはなにか。詳しくは監修者ふたりによるイントロ、巻末の柴崎祐二との鼎談をという感じなのだが、本書の紹介のためにも簡単に説明しておこう。

『隆盛する今のシーンの源流には、現在「シティポップ」として注目されている日本のミュージシャンと同じように、西洋の音楽を取り入れ、各国&各都市の文化を反映させながら、いわゆる「洗練」を追求しようと試行錯誤、創意工夫してきた歴史があります。』(菅原慎一 + パンス、『アジア都市音楽ディスクガイド』「はじめに」より)

端的に言って本書掲載でいう“都市音楽”作品の多くは、音楽的に「シティ・ポップ」とその周辺に連なるような作品群も多い。具体的な音楽性を言えば、ソウルやファンク、ディスコ、R&B、ジャズ、フュージョンなどがライトに溶け込んだ、もしくはいわゆるAOR的なメロウネスを持ったポップ・ミュージックといってもいいかもしれない。さらに1990年代以降では、こうした「シティ・ポップ」的なサウンドに加えて、その音楽性はギターポップ、ヒップホップやポップなダンス・ミュージックなど、さらに多様化していく様子もディスク・ガイドの部分では垣間見れる。総じて言えるのは、ワールド・ミュージック的なまなざしで集成された、ある種のエスニックな音楽的要素はあまり見当たらないと言えるだろう(がもちろんにじみ出るものはどうしたってあるのだけれど)。

本書ではこうした音楽の背景として、都市の存在をひとつキーワードにしている。近代化によってアジア各地に立ち現れた都市化の波は、同時に各国において、出自の違う人々を各都市へと集めた動きでもある。同じ都市に住む価値観を異にする彼らにあっても、共通認識として、当時の進歩的な都市生活とはすなわち欧米的な「洗練」を指していた。こうした価値観と同期する「洗練」が生む、グローバルな洋楽志向のポップ・ミュージック、それが“都市音楽”というわけだ。欧米的に均質化した都市のサウンドトラックとして、これらの音楽が内包するメロウネスは、ある時代の“モダン”を象徴する同時代的な美意識と言ってもいいのかもしれない。この都市化と、その音楽的影響はもちろん日本でも起こったことで、そこで生まれた「シティ・ポップ」もこの“都市音楽”の類型のひとつということでもある。「シティ・ポップ」というタームでは取りこぼしてしまう、その前景や後景、周縁を括るという意味でも、本書には“都市音楽”というタームが必要だったのだろう。

こうした“都市音楽”というテーマの下に集められた音楽からは、「同時代性」とともに、そこにはかすかな「異質」さも同時にじみでててくる。一般に都市圏への人口の集中は、国の政治や産業構造の変化(工業・金融、もしくは商業・サービス業の勃興と発展)と不可分なことが多い。もちろんそれは各国で事情の違いがある。各国の詳しい歴史が本書で語られているわけではないが、1970年代でスタートする時間軸と“都市音楽”というタームでの切り口は、音楽とそこにあるであろう都市の事情の違いというのも気になってくる(それはもちろんここで取り上げられている国々と国境が交わるカンボジアの都市から出てきた音楽の不在も含めて)。例えば同時代で同質な音楽性を持ちながらも現れる、それぞれの要素の“芳醇さ”や“欠落”といった違いはなにによってもたらされたのか。こうした問いがぼんやりと浮かんでくる。こうした話の一部の要因は、ディスク・ガイド前後に納められたインタヴュー記事などでもいくつかの国にに関しては垣間見ることもできる。例えば韓国や台湾などでのある種の地政学的な冷戦下の影響、駐屯するアメリカ軍の存在や文化規制の歴史などだ。また同時代的な「比較」という部分ではディスク・ガイド部分の「国別」ではなく「年代順」という集成方法も効いている構成だ。

欧米化という均質性と各地の事情という差違を土台に生まれた“都市音楽”。こうした音楽を屋台骨に、さらに2000年代以降はインターネットによる情報の均質化は、各地のサウンドにどのような変化と、新たな同時代性をもたらしたのか。そのあたりもまた2010年代のディスク・セレクションまで通してみれば浮かびあがってくる、そんな構成の本だ。

アジアのポップ・ミュージックにおいて、こうして「都市」という場所 / フィールドをひとつ設定したことで、ポップ・ミュージックに対する、その背後の歴史性へのまなざしというのが浮き出てくる。それこそ、帝国主義・植民地、2度の世界大戦、冷戦、そしてグローバリゼーションと、欧米の影響を19世紀後半から絶えず受けていながら、それぞれ文化的な異なるルーツを持つアジア諸国(互いの影響もある)。だからこその違いと同時代性というのもあるだろう。こうした音楽のおもしさを、“都市音楽”という立体的な視点であぶり出し、魅力的なものとしている本書の仕掛けではないだろうか。

と、最後にひとつ蛇足を。ディスクガイド、実際のフィジカルな“本”故の楽しみ方をひとつ、それはパラパラとめくると目に入ってくるジャケットのフロウだ。本著の国を問わない年代順の掲載は、1970年代の「顔」を中心したデザインから、人物写真であっても、1990年代前後のファッションなどの「スタイル」を中心にしたジャケット、さらにどこかアブストラクトなアイコンやイラストなどの「イメージ」に溶解していく現代までの流れというのが目に入ってくる。このあたりもまた各地の差違と同時代性として分析してみるのもおもしろかもしれない。

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