2022/01/18 18:00

この国における「音楽」、150年の受容史──書評 : 『ニッポンの音楽批評150年100冊』

オトトイ読んだ Vol.6

オトトイ読んだ Vol.6
文 : パンス
今回のお題
『ニッポンの音楽批評150年100冊』
栗原裕一郎、 大谷能生 : 著
立東舎 : 刊
出版社サイト
Amazon.co.jp


 OTOTOYの書籍コーナー“オトトイ読んだ”。今回は栗原裕一郎、 大谷能生の共著による『ニッポンの音楽批評150年100冊』。そのタイトルの通り、明治から現在にいたるまでの音楽批評書100冊のレヴューとともに、そうした文献を媒介に、日本における150年の音楽批評の概略史が俯瞰できる書籍となっている。今回は“年表制作者”としても知られるパンス(TVOD)による書評をお届けしよう。(河)

音楽批評の通史から見えてくるもの

──書評 『ニッポンの音楽批評150年100冊』──
文 : パンス


 以前、知人とこんな会話をしたことがある。音楽雑誌を読みはじめた思春期の頃は、各記事の選定は、編集部で会議をして、「よし、次はこのアーティストを取り上げよう!」と言った具合に決めて作っているとばかり思っていたけれど、のちのち実はレコード会社が売り出したいアーティストやリリースなどの「広告」と密接な関係のもとできていたと知って、ちょっとガッカリする。そんな経験を経て大人になるものだと……。もちろん全部が全部広告というわけでもないのだけど。とにかくかつては、音楽誌に載る記事を純粋に「批評」として捉えていたので、ある時突然J-POPの超メジャー・アーティストが表紙になったりすると「あれ!?」となりつつ、これを取り上げることにも必然性があるのだろう、と一生懸命考えたりしていたものだった(90年代後半、某雑誌でそんな出来事があったのだった。覚えている人も多いかと思われる)。さまざまな表現への批評に見られる傾向ではあるのだけど、音楽に関しては特に、批評やジャーナリズムが持つ感覚と、広告などの資本の論理が絡み合って出来ていると思う。では、日本においてそんな状況がどのような流れで形成されていったのか。全体を俯瞰した通史的なまとめは意外なほど少ないが、本書はそれを150年ものスパンで捉えるという壮大な試みだ。150年分の主要ブックガイド、音楽雑誌リストまで付いている。起点は日本近代の始まり、その象徴である黒船来航から。

 このスパンでの把握を試みると、当然、日本近代史そのものが見えてくる。ある文化の歴史は社会の移り変わりと手を取りながら成立していく。なかでもいちばん取り上げられやすくわかりやすい例として、文学があるだろう。本書と並行してひさびさに、奥野健男『日本文学史』(中公新書、初版は1970年)も読み返していた。ざっと冒頭の内容を説明すると、明治期の日本は立身出世の時代。実学を重んじ、西洋から受け取るものは科学技術、政治経済などもっぱら「役に立つ」ものが優先されており、文学とかは二の次、三の次。いまっぽく表現するなら「意識高く」ないと生き抜けないハードな状況だった。そんな中インテリかつ「はぐれ者」たち──世の中と上手くやれない人たち──が選び取ったものとして「日本文学」の誕生を捉えるという提起は大変興味深く、自分が日本近代を考えるにあたっての基軸となっている。

 いっぽうで同じ時空間にあった「音楽」はどんな受容をされていたのか知るために、本書を読んでみた。明治4年から6年まで、新政府の主要メンバーや留学生たちは世界各地を見聞するツアーを行う(岩倉使節団)。彼らはアメリカのボストンで巨大コンサートを観て感動している。それは「音楽を一緒に演奏/聴取すること」が国民の団結につながる事実の発見でもあった。普段好き勝手に音楽を聴いている自分みたいな人間からすると忘れてしまいそうになるのだが、音楽が共同体の統合を促す効果を持つのは、いまだにオリンピックの開会式などがもてはやされるように、重要な側面でもある。明治政府は音楽教育という形でその効果を活用した。同時期の文学と好対照を成しているとも気付かされる。その後、明治末~大正になると、西洋の文物を輸入する一辺倒だった状況も変わり、西洋の価値観を自分の表現や振る舞いに位置付ける人々も出てくる。帝国劇場での演奏会を聴き、休憩時間に喫煙所で一緒に来た学友と議論を交わしたりする芥川龍之介もそんな世代のひとりだ。

 そんな具合に大正~昭和~太平洋戦争前後と追っていくにつれ、よくネットで話題になる「音楽と政治」みたいな議論について改めて考えさせられた。というのも、例えば昭和初期などはプロレタリア文学や演劇、美術が盛んで、それぞれ社会と対峙していたわけだが、音楽シーンは実にあっけらかんとしているというか、ノンポリ度数が高いことが分かってくるのだ。太平洋戦争中に各ジャンルの文化人たちで行われた座談会「近代の超克」は有名だが、ここで音楽サイド代表として出ている諸井三郎の意見は実に穏当なものだ。他にも戦争中は体制翼賛的な風潮に乗っかってジャズの悪口を言ったりしているけど、敗戦後はあっさり方向転換していたり、社会の動きとはどこか遊離したところで成立している感覚は、いまに始まったことでもないと分かる。

 戦後はどうだろうか。60年安保以降、竹中労らによって主導された「流行歌」への批評は、日本共産党など旧来の革新派と新左翼の対立構造とも同期していた。この流れは『ニュー・ミュージック・マガジン』にも連なる。70年代以降の『ロッキング・オン』は、「ロック」という概念を独立させ、社会性が希薄な文芸的な語りを生み出した。その手法は、のちに90年代の『ジャパン』云々にまつわる騒動を(去年!)産み落としてしまったとすら言えるので色々と思うところがあるが、本稿ではとにもかくにもそれが日本型サブカルチャーのひとつの姿だったと指摘するに留めておきたい。

 と、大まかに内容を追って個人的な実感をある程度まとめてみたものの、150年を追うにあたり、「音楽批評はこうだった」と答えを出すことなんてできるはずはない。当然、本稿では言及しきれない側面も多々ある。さまざまな流れが並行し、絡み合い、例外的な出来事も生起したり、といった全体を浴びるような気分で読むことをおすすめしたい。それが通史を知ることの醍醐味でもあるので。

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