とがるー東京の片隅で独り内的闘争を続ける「モダン・グランジ」アーティスト

数多くいるアーティストのなかから編集部がグッときたアーティストを取り上げるこのコーナー。第27回は、横山によるソロ・プロジェクト、とがるをご紹介。コピー・バンドのサークル活動を経て、徐々に音楽の魅力に気づいた彼は、3年前に本格的に音楽活動をスタート。自身の音楽を「モダン・グランジ」と定義するとがるが実現したいサウンドは、一体どのようなものか。現在の音楽スタイルに影響を与えたバック・グラウンドやルーツについてもお伺いしています。
INTERVIEW : 第25回 とがる

もしいま、あなたがソロ・アーティストとして音楽活動をはじめるとしたら、一体どんな表現方法を選択するだろうか?当然、志向するジャンルや趣味趣向によって十人十色の手法があり得るが、ラップトップやスマートフォン1台、そして最低限の機材があれば事足りるだろう。 だが、テクノロジーの時代とも言える今、あえて「独りきり」でバンド・サウンドに取り組むスタイルを取った表現者も確かに存在する。そのひとりが、1997年生まれの若きアーティスト"とがる”だ。今回は愛知で生まれて単身で東京を目指し、ライブハウスの片隅で轟音を鳴らし続ける彼に、初のインタヴューを行った。内向的ながらどこか力強さも感じるその姿勢には、「逃げちゃダメだ」と絶望にめげずに向き合う切実さが見える。
インタヴュー&文 : 松島広人
INTERVIEW:とがる
ー今回が初のインタヴューということで、バックボーンからお話を聞ければと思います。まずはじめに、音楽を好きになったきっかけや、とがるとして音楽をやることになった経緯などを教えてください。
いちばん最初の音楽との関わりは、たぶん10個上の兄からの影響ですね。僕が6歳の時点で16歳だった兄は、友達とコピー・バンドをやっていたので、物心がついた頃からリンキンパークとかFallout Boy、Sum41が家の中で流れていて、それがきっかけですかね。後はあやや(松浦亜弥)とかDef TechみたいなJ-POPも。同世代だと音楽への目覚めは、けっこう早かったかもしれないです。それで、小学生ぐらいから進んで音楽をディグるようになって、漠然と高学年くらいから母に頼んでCDを買ってもらったり、父が聴いてて気になった井上陽水を自分も聴いてみたりしました。なので、そういった土壌はもともとあったかもしれないです。
ー色々な音楽が流れる環境だったからこそ、メロコアなどの洋楽やJ-POPなど、生まれつきジャンルレスに音楽を聴ける土壌があったんですね。
そうかもしれないです。ただ記憶のない頃から音楽が流れているからこそ、「LOSTAGEを聴いてギター始めた!」とか「American Football聴いてエモ好きになった!」みたいな、音楽を好きになった明確な理由を言えなくて。それが無いってのは悲しいんですけど。おもんないっていうか。コンプレックスかもしれないです。
ージャンルレスな感覚が自然と今の音楽性に表れているのでしょうか?
あるかもしれないですね。いま思い返すと、両親や兄弟の部屋から色々なジャンルの曲が同時に流れていて、普通だったら関連がないものを一緒に聴いていたので、ジャンルで分けるような感覚は持てなかったですね。高校生の頃から激情ハードコアとか、エモみたいな音楽も好きだったんですけど、ジャンルとして認識はしてなかったですし。
ー音楽を分けない気持ちの原点だった、ということですね。バンド活動に取り組みはじめたのは大学に進学してからですが、そのあたりの経緯も聞かせてください。
僕は聴くのが好きなだけで、ずっとただのリスナーだったんです。家にある楽器を暇つぶしに触ったり、高校の軽音楽部に入ったりもしたけど、すぐやめちゃいました。実は、最初「真剣にやりたい!」と思っていたのは映画を作ることだったんです。脚本を書いてみたりして、とにかく映画監督になりたかった。でも愛知にはそういう芸術について学べる進路がなかったんで、「じゃあ東京行くか」って気持ちで、映画含めて文化芸術を学ぶために上京しました。ただ結局、生来の人見知りもあって頓挫してしまい…。「映画監督やるために上京したのに辞めちゃった」って状態になって危なかったです。心が死んでしまって…。
ー映画はとがるの音楽に影響を与えている?
はい、やっぱりどこか繋がっていると思います。好きな作品にクリストファー・ノーランの『ダークナイト』とテレンス・マリックの『シン・レッド・ライン』って映画があるんですけど、前者の「行き過ぎた善も悪になりうる」というメッセージや、後者の「説明や台詞を極力排除して、映像で伝える」ことにチャレンジする姿勢に、強い影響を受けています。
ー1度挫折があった上で、音楽活動を始めたんですね。
そうですね、それで何しようかな、人とコミュニケーション取らないとたぶん死ぬなって思って。ただ映画のコミュニティはしっくり来なかったので、コピー・バンドのサークルに2年生の頃から入ってギターを始めました。大学のサークルにはめちゃくちゃ音楽に詳しい人たちがいっぱいいて、カルチャー・ショックでしたけど、Get Up KidsとかAmerican Footballの話も初めて通じて、嬉しかったです。そこで、映画だけじゃなく音楽もオモロいんだなみたいな印象を受けて、真剣に聴くだけじゃなくてやりたい、と初めて意識するようになりました。なので本格的に音楽活動を始めたのは3年前とかですね。バレー・コードが弾けるようになったのも最近みたいな…。
ーそこからバンドを結成するようになったと思うんですが、どういった形でスタートを切りましたか?
楽器を弾けるようになっていって「オリジナルの曲やりたいなあ」って気持ちは芽生えていきました。だけどバンドをやってくれる友達がいなくて。自分だけで簡易的なデモを作って知人に送ってみたんですけど、あんまり興味を持たれなかったんです。だから「ひとりで完結できる音楽やるしかないっしょ!」って思って、当時よく聴いてたPortisheadとかMassive Attackみたいなトリップ・ホップを目指しました。ただ、あくまで独りでやるための音楽、ソロで完結できる音楽でしかなくて。「ひとりMassive Attack」みたいなのは全然楽しめなかったです…。それで、妥協せずやりたいことをやるために、バンド・サウンド寄りのデモを作るようになりました。反応してくれた友達と前身のバンドをはじめて、出来ていったのが、とがるの原形です。最初Webサイトで意気投合したメンバーと吉祥寺Warpで会ったら、たまたま同じ大学の先輩で。それぞれの知人を募って最初は4人で始めました。

ーでも、結局はソロ・プロジェクトになると。
メンバーの趣向とか生活の状況、色々な事情が合わなくなってきて、初企画(moreruやくだらない1日、Teenager Kick Assなど、勢いある若手バンドが集った)の前にメンバーが脱退してしまって。焦りつつも、サポートメンバーをなんとか集めてやり切りはしたんですが。正直それがやむを得ない形で、今まで続いてる感じです。あのときは大変でした…(笑)。
ー意図してソロ・ワークに取り組んでいるわけでも無いと。活動において、ソロであることはプラスとマイナスのどちらに作用していると思いますか?
うーん…やっぱりマイナスですよね。活動自体の維持も含めて、普通のバンドと比べて3倍頑張んなきゃいけないんで。自由度はもちろん高くて、そこは利点ですけど。「何がやりたいの?」ってブッカーに言われて傷ついたこととかもありますし(笑)。
ーちなみに、"とがる"という名前の由来は?同名曲にカネコアヤノの楽曲などもありますが、影響は受けているんでしょうか。
とがる、と名乗ったのは、初ライブの出演前まで名義が決まってなくて、そのときたまたま聴いてたカネコアヤノさんの曲をそのまま持ってっちゃいました。立ってるだけでヤバそうな気配、普通ではない佇まいにカリスマ性とかヒーローっぽさを感じていて、メチャクチャ好きだし影響を受けています。
ー激情ハードコア、Emoに分類されるバンド名も挙がりつつ、カネコアヤノの影響も受けるといった姿勢には、幼少期からのミクスチャー感覚を感じます。ほかに、制作・活動におけるインスピレーションはどのようなアーティストから受けていますか?
僕は自分の音楽を「モダン・グランジ」と定義しているんですが、これはグランジの持つ"内的闘争の姿勢"を、ジャンルを横断しながら自分も表現したいからです。グランジを今やるならこうだろうな、とむりやり自分を説明するための言葉でもあるんですけど。 だから、やっぱりいちばん特別な存在なのは、ベタだけどカート・コバーンです。彼はビートルズが好きで、パンクやハードロックをやりたくてやってるわけじゃない。フォークソングやポップスをやりたかったわけでもなくて、好きなものを徹底的に、ヌチャヌチャに咀嚼した先にあるものを表現していたと思ってます。その姿勢こそ自分が好きなもので、落ち着く要素です。
たとえば、最近発表したシングル「散瞳不良」とかは、mineralとチャットモンチーの融合を意識してつくりました。チャットモンチーの「ひとりだけ」って曲、めちゃくちゃmineralみたいでカッコいいんです。チャットモンチーは邦ロックだしmineralはエモだけど、解釈によっては点と点が線になる。その繋がった感覚、快感を自分なりに表現したくてやっています。
ーモダン・グランジ、内的闘争といったキーワードには、とがるの音楽の軸としての明確な意志を感じます。より詳しくその意味を伺いたいです。
グランジってパンク・ロックとへヴィ・ロックが融合して出来た音楽で、パンクのリバイバルでもあると思ってて。パンクが外部へのカウンターを掲げてたのに対して、グランジは内省的。自分の内面に徹底して向き合い、反発する音楽として、自己と闘争する感覚がある音楽ですよね。さらにそれを、さまざまな文化を混同しながらバンド・サウンドに帰結させる姿勢を「モダン」とし定義ています。たとえば。ライブだから音楽に組み込むのではなく、同じ文化の中で色々なものに触れられる状態が理想的なので、自主企画では古着屋さんの出店やフリーフード、椅子の配置やテイクフリーの耳栓を置いてみたり、ライブ映像作品には全然毛色の違うバンドを呼んだりしています。
内的闘争というキーワードを軸にしている理由は、個人的に暴力はもちろん、暴力を否定するために暴力的な表現を外部に投げかける構図にも疑問があるからです。アクティビストとして活躍している方々はリスペクトしていますが、個人としてはストレートに社会へのメッセージを外に出すことに抵抗を覚えています。
ーデリケートな問題かもしれませんが、抵抗感の元となった体験や思い出はありますか?
自分は、実はハーフとしてこの国でずっと暮らしてきているんですけど。そのなかで、嫌な経験もしています。それが生来のコミュニケーションの苦手さ、伝えることへの抵抗感とも結びついていて、映画や音楽といったアウトプットを模索してきました。そういった体験から、分断を埋めるために別の分断が生まれてしまうこと、安易に言葉をふるうことに強い危機感があります。たとえば正論があったとして、間違った意見を集中攻撃するような構図が今あるじゃないですか。ああいう十字架にかけるような行為は、ストレスや疑念を生んでしまうので。言葉の持つ力はすごいし、それは良い方にも悪い方にも向かってしまう。だから、自分の思うことや好きなことを音楽でアウトプットしていって、「点と点でわかれている自分と社会」の繋ぎ目を探したいと思っています。まずは内的闘争からはじめて、それを音楽にしていきたいです。
ー「しんどいけど、それでも向き合っていければ良いな」という意志を感じました。最後に、音楽をやる上で軸となっている気持ちを、改めて教えてください。
映画と音楽が好きなんですけど、それは点と点が線になる、つながる感覚が得られる場合、より好きになります。たとえば映画でも音楽でも、娯楽の時間として消費する楽しみ方もあるんですけど、それだけじゃないと思っています。自分の中で自由な解釈を生み出すことを僕は大事にしたくて。ひとつの正解で終わらず、話の筋と全然違う解釈があっていいじゃないですか。音楽でいうと、そういった自由な解釈が妨げられてしまうから、ジャンルの無理な切り取りはあまり好きではないのかも。本筋を理解した上で、なお違う角度から模索を続けたい、という気持ちで音楽をやっています。終わらなくするために。
PROFILE
とがる
1997年生まれ。愛知県出身。大学進学にあたり、映画監督を目指し上京。大学2年生の時に参加したコピー・バンドのサークルがきっかけに、音楽に興味を持ち始める。Webサイトで意気投合したメンバーとバンドを結成するが、解散。現在はソロ・プロジェクトとして活動している。2020年8月、ファースト・シングル「散瞳不良」をリリース。
■とがる公式Twitter:https://twitter.com/togaru_
■とがる Bandcamp:https://togaru.bandcamp.com/album/1st-single