2021/01/05 18:00

自分の心の奥へと航海してゆく、そのサウンドトラック──青葉市子、新作『アダンの風』

激動の2020年も暮れなずむ頃、青葉市子の約2年ぶりの新作『アダンの風』がリリースされました。オリジナル・アルバムとしては『qp』以来、通算7枚目となります。2020年は、自身のレーベル〈hermine〉を設立、またその初頭に行われたデビュー10周年記念公演、さらにはその模様を収めたライヴ・アルバム『"gift" at Sogetsu Hall (Live)』をリリースするなど、アーティストとしての節目を経て、さらに新たなフェイスへと進んだ年と言えるのではないでしょうか。そんななかでリリースした本作。さて、どのように作られたのか、2020年末に行われた、ライター、大石始によるインタヴューをここにお届けします。(編集部)

青葉市子、2年ぶりの新作『アダンの風』

INTERVIEW : 青葉市子

青葉市子は2020年初頭に自主レーベル、hermineを立ち上げると、新しい歌の世界を切り開いた「amuletum bouquet」「海底のエデン」といった配信シングルを次々にリリース。そして同レーベルからの初アルバムとなる新作『アダンの風』をついに完成させた。南の島を舞台とし、「架空の映画のためのサウンドトラック」を謳うこの作品では、沖縄および奄美大島で書き上げたひとつのプロットが軸となっている。この世とあの世、現実と夢、生と死。あらゆる境界線が融解した世界と壮大な生命のサイクルが、歌と音を伴って描き出されている。ファースト・アルバム『剃刀乙女』からちょうど10年。本作はこの10年間の──いや、青葉がこの世に生を受けてからの30年間を集約した作品ともいえるかもしれない。作編曲の共同制作者である梅林太郎、写真家の小林光大、エンジニアの葛西敏彦を中心とするひとつのチーム(青葉は「ひとつの船」と呼ぶ)のもと作り上げたこの一大傑作について、青葉にじっくり話を聞いた。

インタヴュー・文 : 大石 始
写真 : 小林光大

自分自身に耳を澄ませたかった

──今年(2020年)の1月、沖縄に行かれていますよね。写真家の小林光大さんとの旅の記録は「&Premium」の連載「Choe」でも綴られていますが、その旅自体が新作の下地になりました。なぜ沖縄を目指すことになったのでしょうか。

アルバムの構想を練るため、どこか静かなところに身を置きたいと思っていました。草月ホールの公演(註)が終わってからしばらく時間ができたので、ひとりになろうと思って。直前までは北海道の阿寒湖にいたし、その前はヨーロッパの寒い地方にいたこともあって、反動なのか、沖縄に行くことにしました。

草月ホールの公演:2020年1月11日、デビュー10周年を記念して開催されたソロコンサート「"gift" 青葉市子 10th anniversary concert I」。当日の模様はアルバム『"gift" at Sogetsu Hall (Live)』として、早くも2020年4月2日にリリースされている。

──孤独になりたかった?

大勢でいると、その瞬間の感覚を共有してわーっと上がっていくような感じがありますけど、「ところで私は本当のところは何を思っているの?」と自分自身に耳を澄ませたかった。後づけになりますけどね、こういうことは全部。

──では、最初のイメージは漠然としたものだったと。

漠然としつつも、自分の中で小さなピースが揃ったような感覚はありました。去年(2019年)の夏、「Reborn-Art Festival」という芸術祭のため、(宮城県)石巻市の鮎川に滞在していたのですが、鮎川浜は昨年、捕鯨が再開されたところでもあり、夏はツチクジラが獲れるんです。その模様を見学させていただいたこともあって、クジラのことがずっと頭の中にありました。クジラたちは冬になると暖かい海に移動しますから、クジラを追いかけて沖縄に行ったのかもしれませんね。

──沖縄にはそれ以前からちょくちょく行ってたんですよね?

そうですね、公演で何度も行っていました。2015年にマームとジプシーの「cocoon」という演劇作品に出演したときが、最も長い滞在だったと思います。

──この1年で行かれたのは沖縄本島、座間味島、久高島。あと、(鹿児島県に属する)奄美大島にも行かれたんですよね。

はい。1月に沖縄本島と座間味、久高に行き、3月に奄美大島と加計呂麻島へ。8月には八重山の石垣島に、そして9月にもう一度奄美に渡っています。沖縄で書き始めたプロットが強度のあるものだったので、東京にいながら南の島を想像するだけでは描き切れないと思っていました。島の空気の中に身を置いて、皮膚の感覚や嗅覚から掴み取っていかないと、物語から弾かれてしまうような感じがしたんですね。

メロディーがやってくる

──連載でも書かれていますけど、旅をしながらメロディーと言葉を作っていくという作曲方法をしていますよね。たとえば沖縄から奄美への飛行機の機内でボイスメモに歌を吹き込むとか。こういうことは普段からやっているんですか。

はい。ボイスメモの中には何百件と歌のメモが入っています。

──どういうときに言葉やメロディーが浮かんでくることが多いですか。

自分自身はじっとしていて、周りの景色だけが動いているとき、メロディーがやってきます。たとえば列車の中で外の景色を見ていたり、船の上で流れゆく海の景色を見ていたり。

──風景を少し俯瞰したところから見ている感覚なんでしょうかね。青葉さんと風景の距離感がそこから見える気がします。

土地と身体を同化させるイメージです。その場所で水を飲んだり空気を取り入れることによって、土地が持っている力や気配みたいなものが体内にゆっくりと入ってきて、その状態でメロディーや言葉を書く。身体を「管」にするというか。

──管?

土地に馴染んだときに出てくるメロディーや言葉って、もともとその土地が持っているものだったりするので、私自身はそれをみんなと共有するためのパイプみたいなものだと思っています。それが私の仕事なんじゃないかって。

──考え方が少し伝承歌的ですよね。自分の身体を通し、土地で育まれてきたものをアウトプットしていくという。

「人から人」というよりは、「土地から人」へ汲み上げるような感じです。

──プロットは「その島には言葉がありませんでした」という一節で幕を開けますよね。今回のアルバムでは言葉を伴う以前の、根源的な歌のかたちに近づいていこうという意識があったのでしょうか。

(長い沈黙のあと)……私たちは基本的に言葉を使ってやりとりをしていますが、言葉ってある種の選択肢として出てきたものですよね。言葉になる前にいろんなものを感じたり思ったりして、それを濾過し、一文字ずつの言葉に組み替えて話しているわけで、そこにはとっても細かい情報があるんですよね。そちらのほうにちゃんと耳を澄ませていたい。

鯨はエコーロケーション(註)というやり方で、情報をそのまま伝達し合うそうです。思ったことや感じたことを歌声にして、仲間たちとやりとりをしている。他の生物の様々な交信方法を考えてみると、私たちは言葉というとても難しいものを選択したと思っていて。コンサートのときにハミングをしたり、歌詞じゃないメロディーを歌ったりすることがあるのですが、そこには歌詞では単位が大きくて表現できなかった、歌っていることがシンプルにうれしいと感じる、最初の発光のようなものが流れているように感じます。歌詞のある歌も好きですよ、もちろん。それは私たちが共有できるものですから。言葉を使いながら言葉になる前の存在にも、耳を澄ませていたいのです。

エコーロケーション:反響定位。動物が音や超音波を発し、その反響によって物体の距離・方向・大きさなどを知ること。コウモリやイルカ、マッコウクジラなどで知られている。

──作編曲の共同制作者として梅林太郎さんを迎えた理由を教えてください。

梅林さんとは以前からCMのお仕事でご一緒していたご縁もあって、2020年1月にリリースした「守り哥」というシングルで初めて作曲していただきました。多くを語らずとも、こちらの意図をすくい取ってくださる方です。心の中で思っていることを、私よりも先に言ってくださることもあります。言葉で表現できない部分を楽器で表現する場合、どの楽器でどんな旋律を奏でれば、より伝わりやすくなるのか。「守り哥」ではそのような作業を、梅先生とひたすら行っていました。

──今回のアルバムでは梅林さんによる緻密なオーケストレーションが重要な要素になっていますよね。

今まで歌とクラシックギターでアウトプットしてきましたが、実はファースト・アルバムのころから、頭の中で「ここでオーボエが入って、ここにハープが乗って、次はクラリネットの三重奏が鳴って…」という具体的な楽想がありました。中学の頃、吹奏楽部だった事もあってと思います。そのことを梅先生にお伝えして、みんなで聴けるかたちにできたらいいね、と。

──頭の中で鳴っているものを一緒に形にできるパートナーが梅林さんだったというわけですね。

はい。音楽面では梅林さんとの二人三脚なのですが、もう少し輪を広げて、今回は梅林さん、写真家の小林光大さん、エンジニアの葛西敏彦さんとの4人で制作しました。

──4人のチームだった、と。

「チーム」というよりも「船員」かもしれない。それぞれの持ち場で船を進めていくような感じです。

みんなが同じ船の上で動き続けているような感じでした

──制作はどうやって進めていったのでしょうか。

1月に沖縄に滞在していた時、途中から小林さんが合流して、日々の写真を残してくださっていました。その中で描き始めたプロットを、写真とともに梅林さんと葛西さんに届けました。最初に梅先生から届いたデモは2曲目(「Pilgrimage」)の欠片でしたね。

そうしてそれぞれが欠片を持ち寄って、形にしていくという感じでした。梅先生から届いたデモを持って、もう一度島へ渡り、車で聴きながら島を巡ったりして、そのなかで「この曲は歌詞のない歌にしよう」と閃いたり。葛西さんにも、現地の様子をその都度共有して、録音で使うマイクはどんなものがいいかをスタジオで考えてもらったり。

──かなり複雑なプロセスの下で積み上げていったわけですね。

そうですね。音楽家が曲を作り上げて、エンジニアが録音し、パッケージをする段階で写真家が撮影する、そういうやり方ではまったくなくて。コンパスを持っている人がいれば、舵取りをする人もいれば、食事のための魚を釣っている人もいる。風を読んでいる人がいて… みんなが同じ船の上で動き続けているような感じでした。

──まずプロットがあって、それに音楽をつけていくような、いわゆる劇伴みたいな作り方なのかと思っていました。

軸にはプロットがありますが、そこからは、それぞれがひたすら架空の映画へ向けて仕上げていく感じでした。南の島で少女とクリーチャーが交信する、架空の映画のサウンドトラックです。

こうしてわかりやすく、「架空の」と言っていますが、それは決してどこか遠いお話ではなく、自らの心に宿るお話を描くということでした。作っている私たちも自分の心の中を覗き込むような日々。とても大変なことだったし、辛いことでもあった。見たくないところまで蓋を開けなければいけなかったんです。サポートしてくださっているスタッフも同じ体験をして、みんなで笑って、みんなで泣いて、そうやって作っていきました。幼少期のトラウマだったり、長く閉じられていた扉をこじ開けて覗き込まないと前に進めないということが多々あった。それを無視しようとすると、決まって問題が起きていきました。

──そこまでのことをクリアしていかないと今回の制作に向かえなかった?

それだけ物語の力が強かったということだと思います。物語を忠実に作品に落とし込むためにはそうせざるを得なかった。楽しみながら作るだけでは許されないような厳しさがありました。うまく言葉にできませんが、試練のようなものというか……私たちはそれを「アダン」と呼んでいました。これはもう、アダンだね、と。

──もはやカルマというか……。

名前のつけられない何か、ですね。私のところに「アダン」が来ると、次は梅先生のところに行ったり。それこそ幼少時代のトラウマを解消しながらひとつひとつ作り上げていきました。私だったら両親との関係だったり、どうして生まれてきたんだろうとか、出産する身体で生まれてきたこととか、なぜ人は死ぬのかとか。

──「&Premium」の連載では、古座間味の海に潜った際、「ここは境界線です」という声がどこからか聞こえてきたというエピソードが綴られています。このアルバムで青葉さんはまさに境界線の歌を歌っていますよね。生と死、現実と夢、この世とあの世など、あらゆる二項対立(とされるもの)の狭間にあるものというか。

プロットではそこにクリーチャーを置きました。私たちはどうしてもいい/悪い、死ぬ/生きる、黒/白とか、二択にしがちです。そのほうがわかりやすいから。でも、その間のことってとっても重要だと思います。

──そうですね。

死は突然やってくるわけではなくて、私たちは生きながら少しずつ死んでいる。生まれてもいますけどね。クリーチャーという境界線上の存在を置くことによって、辛いと思われる現実を楽しく愉快なものにできるんじゃないかと思いました。

──音楽面でいうと、いくつかの曲で琉球音階のメロディーが挟み込まれていたり、「ohayashi」でインドネシアのガムラン風のアレンジが施されていたりと、さまざまな土地の匂いも散りばめられていますよね。

コーラスではブルガリアン・ヴォイスのような実験もしています。ただ、どこかに限定された場所のイメージを作りたかったわけではないんです。最終的には私たちの心の中に存在している島についての音楽作品にしたかったし、海は繋がっていますから。私には難しすぎて覚えきれなかったいくつかの音階のことも、梅先生は言っていました。

大きなひとつの生命みたいなものを込めたつもりです

─世界各国の音楽的要素は梅林さんが持ち込んだものが多かった?

そうですね、梅先生から教えてもらったことが多かったです。琉球音階は普段から私が感覚的に使っていて。あと、私が日頃無意識のうちに使っていた音階が実はこの島のものに似ているとか、そういうことも梅先生に教えてもらいましたね。

──それは今まで青葉さんが行ったことのある場所の音階だったんですか。

いいえ、知らない土地の音階でした。

──それはおもしろいですね。無意識のうちに特定の音階がインストールされていたという。実在の土地を訪れたことでインスパイアされたものだけではないわけですね。

今回のプロットにしても、沖縄や奄美を訪れたことで突然出てきたものではないと思うんですよね。30年間生きてきたなかで見てきた人生の様々なシーンがあって、それを作品として昇華するにあたって、最終的に島の存在が後押ししてくれたということだと思います。

──あくまでもヒントを与えてくれた場所だったと。先ほど話に出たオーケストレーションにしてもファースト・アルバムの段階から青葉さんの頭の中では鳴っていたわけだし、それこそ学生時代、吹奏楽部で培われたものとも繋がっているわけで、青葉さんのこれまでの道のりがすべてここに流れ込んでいるとも言えそうですね。

今回のアルバムは、人間として産声を上げたとき、あるいはそれ以前のプランクトンの頃の記憶まで辿りながら作りました。アルバムのクライマックスに、「Dawn in the Adan」という曲があるのですが、ずっとずっと繋がってきた命のサイクルに立ち返るような、大きなひとつの生命みたいなものを込めたつもりです。

最終的なアウトプットとしては音楽作品として世に出しましたので、いろんな音楽的な意見などあるかと思いますが、ひとりひとりの手に渡って感じ取ったとき、自分の心の中に宿っている、最初の発光の存在に届くといいなと願っています。光を汲みに、自分の心の奥へと航海してゆく、そのサウンドトラックであれるのなら、とても幸せに思います。生きてこの作品と出逢えてよかった、いまはそんな気持ちでいます。

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PROFILE

青葉市子 / ICHIKO AOBA

音楽家。1990年1月28日生まれ。
2010年にファーストアルバム『剃刀乙女』を発表以降、これまでに6枚のソロアルバムをリリース。うたとクラシックギターをたずさえ、日本各地、世界各国で音楽を奏でる。弾き語りの傍ら、ナレーションやCM、舞台音楽の制作、芸術祭でのインスタレーション作品発表など、さまざまなフィールドで創作を行う。
活動10周年を迎えた2020年、自主レーベル「hermine」(エルミン)を設立。体温の宿った幻想世界を描き続けている。12月2日、”架空の映画のためのサウンドトラック”として、最新作『アダンの風』を発表した。

■青葉市子公式ウェブ
https://www.ichikoaoba.com/
■青葉市子Twitter
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■青葉市子Instagram
https://www.instagram.com/ichikoaoba/
■レーベル〈hermine〉公式ウェブ
https://hermine.jp/

[インタヴュー] 青葉市子

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