“寿命があるアイドル”の先を目指して──“まんぼう”の愛称で知られる、桐原ユリの未配信4タイトル独占配信

眉村ちあき、小日向由衣の盟友にして、“まんぼう”の愛称でピアノ弾き語りやショルダー・キーボードを使用してのパフォーマンスから作詞作曲、トラック・メイクなど幅広い表現を行うアイドル、桐原ユリ。彼女がこれまでライヴ会場や一部店舗のみで発売していた4タイトル『ままま・まんぼう』『Lady,Girl,Baby』『駆け出してく/もんじゃ』『まんぼう弾き語り全集 2019』が独占配信スタート! なんとそれに加えてここだけのボーナス・トラックも追加! そして、購入者限定リリース・イベントも彼女のホーム、阿佐ヶ谷家劇場にて開催決定! まずは初となる彼女のロング・インタヴューと音源をチェックだ!
未配信楽曲にOTOTOY限定ボーナス・トラックを加えて一挙4タイトル配信!
【まんぼう】桐原ユリ/いいうた【MV】【まんぼう】桐原ユリ/いいうた【MV】
購入者限定イベント開催!
【対象者】
桐原ユリ『ままま・まんぼう』『Lady,Girl,Baby』『駆け出してく/もんじゃ』『まんぼう弾き語り全集 2019』のいずれかをOTOTOYにて購入された方から先着40名
(複数枚購入いただいた方はその枚数分の人数ご応募可能です)
【イベント内容】
会場 : 阿佐ヶ谷家劇場
日時 : 2020年1月24日(金)19時半開場、20時開演
内容 : トーク / ライヴ and more
【応募方法】
https://ototoy.jp/contact/ より「プレゼントの応募」を選択し、「桐原ユリイベント応募」と記載のうえ、
・桐原ユリ『ままま・まんぼう』『Lady,Girl,Baby』『駆け出してく/もんじゃ』『まんぼう弾き語り全集 2019』のいずれかを購入した際使用したアカウントの、メールアドレスもしくはTwitterアカウント名
・購入時のキュー番号
(「XXXXXXXXX」XXX点 ¥XXXXXX(税込) 購入完了のお知らせ(000,000)←この数字です)
・お名前
・連絡先
・ご意見、ご感想
をご記入の上お申し込みください。
【応募締切】
2020年1月17日(金)23時59分まで(定員に達し次第受付終了)
INTERVIEW : 桐原ユリ

眉村ちあきの活躍をきっかけに、一躍注目を浴びた阿佐ヶ谷家劇場。実は彼女以外にも、同所はひと際個性的なアイドルやアーティストを輩出している。そのひとりが、眉村の親友としても知られる桐原ユリだ。
音大ピアノ科出身という経歴の持ち主で、現在はOLとして日々の仕事をこしながらアイドル活動を行なっている。シーンで存在感を増しながら、検索しても彼女の情報はほとんど出てこない。聞けばこのインターネットの時代に、いまだ公式サイトすら作ってもらえないという。
そこで今回は、彼女が何者なのかを徹底的に掘り下げるべくインタビューを実施。終始、髪の毛をくるくると指でいじりながら、告白されたこともあった学生時代のエピソードから眉村との出会い、大好きだという下ネタ、仕事への思いまで、たっぷりと語ってくれた。
インタヴュー&文 : 前田将博
編集 : 高木理太
写真 : 大橋祐希
スカウトされないかなと思って毎週土曜に竹下通りを歩いてました
──出身はどちらなんですか?
香川で生まれたんですけど、父親の転勤が多かったので長野、大阪、名古屋にも住んでいました。中1で東京に家を買ってからは、ずっと東京に住んでいます。引っ越してからは私の部屋が一番、日当たりが良かったので、急に身長が伸びました。風抜けがよくて天井が高かったので、よく光合成できたんですかね。
──今は170センチあるんですもんね。兄弟はいるんですか?
4つ下の弟と6歳下の妹がいて、妹とはsmile@sistersっていう姉妹ユニットを一緒にやっていました。弟は大学に入ってからドラムを始めたので、今はサークルで定期的にライヴをやってるみたいです。
──桐原さんは小さい頃からピアノをやってたそうですね。
4歳から習い始めて、ずっと母親と二人三脚でピアノをやっていました。コンクールにも毎回来てくれたし、いいと思うピアニストの演奏会には必ず連れて行ってくれて。小学校の頃は家にグランドピアノがなかったので、コンクールの前はスタジオに行って練習していました。
──ということは、今は家にグランドピアノがあるんですね。
あります。

──家はかなり広いんですか? 話を聞いていると、すごく育ちが良さそうですよね。
一戸建てなんですけど、都心から1時間半の田舎に住んでいるので。でも苦情が来て、ピアノの部屋は完全防音にしてもらいました。
──本当にピアノに力を入れていたんですね。
実は母親とは何度もケンカしていて、ピアノ辞めればいいじゃんって言われたこともあったんです。でも私は諦めが悪いので、「絶対辞めない!」ってボロボロ泣きながら言ってました。
──コンクールでは賞をとったりもしてたんですか?
とったこともあったし、中学校まではまわりにちやほやされていました。自分の環境が恵まれてる自覚もあったし。
──では学校生活も順調だった?
小学校の時まではスクールカースト的なものの上の方には所属できなかったので、ずっと憧れがありましたね。中学校に入ってからは自然と上の層に属することができて、ちゃんとかわいくしている人たちとか、クラスの決め事をしている中心のグループにいました。
──充実してたんですね。
今思えば、中学校の頃くらいしか告白されたこともないですね。当時は身長も低かったし、おしとやかなキャラクターでいられたんです。
──高校はどうだったんですか?
それまで公立だから育ちがいいと思われていたけど、私立の音楽高校に行ったら果てしない子しかいないんですよ。海外の研修とかでヨーロッパとかに行ったりすると、友達がお父さんの限度額のないカードを持ってきてたり、いい感じのお店に行って平気で5~6万とか使ったり。

──ピアノはどうだったんでしょう。
全然でしたね。当たり前に弾ける子ばかりだったので、劣等感がすごかったです。学校の中でも優秀な子が集まる教授の先生についてたんですけど、「なんであなただけ弾けてないの?」って言われることが多かったし、いつもレッスンが終わった瞬間にボロボロ泣いてました。
──それでもピアノをやめようとは思わかなった?
思ったこともあったんですけど、それ以外の選択肢が見つからなかったんです。普通科に転入してった子もいたけど、私は運動も勉強も得意なわけでもなかったので、ピアノを諦める勇気もなく。
──では音大に進学したのは自然な選択だったんですね。
そうですね。将来はピアノの先生とかになるんだろうと思ってました。
──大学ではピアノ科だったそうですが、進学後はいかがでしたか?
高校は逃げ場がなかったので、大学の方がまだ気楽でした。あまり行かなくても、たまに先生に怒られるくらいだったので。あと高校まではあまりバイトができなかったんですけど、大学ではバイトをいっぱいしました。それで自由にお金を使える環境になって、結構遊んでいましたね。それまでは全然遊ばなかったし、友達とマックとかサイゼリアに行くことさえなかったから、ちょっとおしゃれなごはん屋さんに行くだけでも楽しかった。
──それなりに楽しんでいたんですね。
でも成績が落ちて、そんな状態なら学費払わないからって親とケンカになりました。1番嫌だったのは、妹に塾のお金とかを我慢してもらって学費を払ってるって言われたことで。それで私が学費払うためにさらにバイトをしまくって、余計に成績が落ちて家族と距離があいて、家に全然帰らなかったときもありました。居酒屋で朝までバイトしたりとか。大学時代は相当、親に心配かけましたね。
──卒業後は就職したんですよね。
卒業すら危うい感じだったんですけど、結局ぎりぎり卒業できたので、3月に駆け込みで就活したんです。選択肢が、まいばすけっとみたいなイオン系のお店の店長候補か、生命保険の営業しかなくて、絶対に店長はできないと思ったので生保にしました。
──ピアノの先生ではなかったと。
それだけだと自立して生活できる収入ではなかったのと、音楽の先生は結婚してからでもなれると聞いたので。あとずっと音楽だけの世界で生きてきたので、ちょっと違う世界も見てみたかった。このとき、はじめて自分の意志で進路を決めた気がしますね。

──アイドル活動を始めたのは大学時代なんですよね。そもそもいつからアイドルに興味を持ち始めたんですか?
中学でアイドルが流行っていて、AKB48を聴かないと話についていけないと思ったことがきっかけですね。それで“RIVER”くらいから聴き始めたら、関連に出てきた渡り廊下走り隊の“初恋ダッシュ”とか“完璧ぐ~のね”とかのまゆゆ(渡辺麻友)があまりにもかわいすぎて、そこからずっと、まゆゆの踊りの真似とかをしていました。高校くらいからは、1日中YouTubeでアイドルを見ていましたね。
──最初にはまったのが、まゆゆだったんですね。
そこからスマイレージとか℃-uteとかハロプロも好きで、かわいくてキラキラしたアイドルにずっと憧れていました。
──アイドルのオーディションを受けたりはしなかったんですか?
スマイレージのメンバー募集オーディションがあって、すごく悩んだんですけど、行動を起こすことはできませんでした。ただ高校の頃は塾が恵比寿にあったんですけど、わざわざ歩いて原宿まで行って、スカウトされないかなと思って毎週土曜に竹下通りを歩いてました。怪しい人にしか声をかけられなかったけど(苦笑)。
──当時は地下アイドルみたいなシーンがあるとは知らなかったんですね。
全然知らなかったし、想像もしてなかったですね。大学で声楽も学んでいた関係で、阿佐ヶ谷家へボイトレに通っていたんです。そこで、わぽ(石阪勝久、阿佐ヶ谷家オーナー、会社じゃないもん取締役)さんと知り合って、アイドルをやるようになってから地下アイドルを知りました。
私、オタクにちょっかいを出す妄想をしてるんです
──ではアイドルを始めたきっかけも、わぽさんだった。
もともと妹がアイドルをやりたいと言い始めたのかな。妹が中学を卒業するときに進路に悩んでいて、芸能活動に興味があると言ってたです。それで、わぽさんに相談して、最初は妹だけでアイドルをやるかもってなったんですけど、その瞬間に心の中で「妹がやれるなら私もやりたい」って思ったんですよね。それを伝えたら、ふたりでsmile@sistersとして活動していくことになりました。私が20歳くらいのときですね。
── 一般的に考えると、アイドルとしては結構遅めのスタートですよね。
遅いですね。そこにも劣等感があったので、最初は微妙にサバを読んで「19歳」って言ってました(笑)。

──ユニット時代は、どんな活動だったんでしょう。
2曲だけオリジナル曲もあったんですけど、好きなアイドルのカバ──曲が中心でした。でも早々に解散してしまって、私はソロでやろうと。妹はアイドル・グループに憧れがあったので、別のグループに入りました。今、妹は活動してないんですけど、楽曲提供したいってポロッと言ってたり、本当はまたやりたいんじゃないかな。素直じゃないから、直接は言わないけど。
──桐原ユリという名前は、いつから使うようになったんですか?
最初は本名でやってたんですけど、学校の先生にバレたくなくて、1~2年くらいで改名しました。大学の成績がやばすぎて、バイトも制限しないと破門されるところまできていたので、活動していること自体をばれたくなかったんです。
──どうやって名前を決めたのでしょうか。
そのときにはまっていたソロアイドルが篠原ゆり(現・平野友里)ちゃんだったので、そこからとりました。ソロでやっていくにはどうしたらいいんだろうと思って調べているときにYouTubeに動画を見つけて、かわいいと思って。
──「まんぼう」というニックネームも自分で考えたんですか?
これは改名する前から、活動する上でキャッチフレーズが必要かなと思って言ってました。もともと離れ目で魚顔だって言われ続けてたから、「まんぼう」でいいんじゃないかって。魚介類が大好きだし、お寿司屋さんでバイトしてたこともあるんです。
──そういえば、眉村ちあきさんと知り合ったのもユニット時代なんですよね。
向こうもグループをやっていた時代に、対バンでめちゃくちゃ一緒になったので、だんだん仲良くなりました。1回だけブッキングで誰も集まらなくて、当日飛んだアイドルもいて、結果的に眉村の所属するStar-Bright★REXと私たちの2マンになったこともありましたね。お客さんも3人くらいでした。
──では小日向由衣さんと仲良くなったのもその頃?
2年前くらいかな。レジェンド(小日向)と眉村と、津崎真希っていう鯖のアイドルとかは、会う約束をしなくてもライヴがだいたい一緒だから仲良くなった。

──以前、眉村さんにインタビューした時に、桐原さんと話している下ネタの内容は絶対に表に出せないと言ってました。
出せないですね(笑)!
──出せる範囲だと、どんな話をしてるんですか?
私、オタクにちょっかいを出す妄想をよくするんです。物販では、なるべくそういう対応はしないように気をつけているんですけど、前にオタクの前でスカートめくったら困った顔されて、もっといじめてやりたいなって思いました。ペチパンはいてるから大丈夫だろうと思って、めくったんですけど。
──Sっ気が強いんですかね。
どうだろう。高校生や大学生の頃は、スーツを着た大人にいじめられたいっていう妄想を抱いていたんですけど。
──わぽさんがMだから、その影響とか?
わぽさんほどのMはちょっと理解できないですね。たぶんオタクの反応を見ているうちに、影響されたんだと思います。
──AVも好きなんですよね。
見ます! 昔は携帯にフィルターをかけられていたんですけど、エロいワード以外のいろんな言葉を駆使して検索すると、たどりつけるんですよ。

──すごい探究心ですね。
親がでかけているときは家のパソコンで見ていました。でも何度か危険な目に遭いましたね。見ているときに親が帰ってきて、ピアノ弾いてたふうを装うっていう。毎回、履歴を消しているのでバレてないと思うんですけど。
──男性向けのものを見るんですか?
女性向けはソフトすぎてつまらないです。長いですし。ストーリーのいいところが集約されているサンプル動画がちょうどいいですね。
家族が喜んでくれているのがうれしい
──話が逸れましたが、ソロになってからはどんな活動をしていたんでしょうか。
ソロでもずっとカバー曲をやっていましたね。1曲だけわぽさんがオリジナルを用意してくれたこともあったんですけど、しっとり系の曲だったので、“初恋サイダー”が何回も流れるような当時の現場でやるのは嫌だったんです。それでカバーの中でどうしたら楽しくできるかを自分なりに考えた結果、となりのトトロの“さんぽ”や“とっとこハム太郎”を2倍速とか3倍速にして、同じ曲を連続でやったりしていましたね。あとはライヴ中にヨガをやったりとか。
──だいぶ尖った活動をしていたんですね。そこからオリジナルをやるようになったのは?
ある日、急に酒井少年が阿佐ヶ谷家に来て、「オリジナル曲を作らせてください」って言ってきたんです。私もちょうどオリジナル曲をやるべきか悩んでいたから、作ってもらいました。それが去年の夏にできた“魚フィッシュ”です。
──最初は自分で作ったわけではなかったんですね。
本当に即興すらできなかったんですよ。クラシックって楽譜に書いてあることを、いかに忠実に再現するかなので、曲を作るっていう発想が全然なかったんです。小林清美先生に楽曲制作のレッスンをお願いしてから、なんとなく即興もできるようになって、それで最近、作りはじめたところですね。

──自分で作ることに、あまりこだわりはない?
私はお金を出していい人に頼んで、いい曲を作りたいって思っていたんですけど、わぽさんは絶対に自分で作ったほうがいいって言うんですよね。眉村も作ってるじゃんって。私からしたらほぼ独学であれだけできるのは異次元の天才だって、ずっと学校に通っていたからこそ思うんです。もちろん、自分で曲を作れるようになったら楽しいんだろうなっていう憧れも、ずっとありましたけど。
──最近はオリジナル曲や自作曲も増えてきましたよね。
矢舟テツローさんにジャズっぽい“Lady, Girl, Baby”を作ってもらって、最初は難しかったんですけど、最近はすごく歌うのが楽しいです。王道のアイドル曲も突然ぶっこんでみたらおもしろいかなって妄想したりするし、好きなジャンルがいろいろありすぎるので模索しているところですね。
──これからいろんな曲が聴けそうですね。
もっとピアノを弾きながら歌いたいし、トラックも思い浮かんだものを自分で作りたいので、DTMもがんばってみようかなって思っています。やっぱり自分で作った曲がほめられるのは、すごくうれしいので。
──現在も仕事をしながら活動しているそうですが、もともと就職してからもアイドルは続けようと思っていたんですか?
当時は辞めると思っていました。アイドルは寿命があるものだと思っていたし、悩んだ結果、就職もできたし。実はADHDでずっと病院に通っていたんですけど、障害者手帳も交付されるので、親はその枠で就職すればいいんじゃないかって思ってたみたいなんです。でも私は、その交付を受ける前に就活してみたい思いがあって、結果的に就職できたのがすごくうれしかった。誰でもできる仕事ではあるんですけど、はじめて自分で決めたのがうれしかったし、仕事に専念するつもりでした。だからわぽさんにも辞める相談をしていたんですけど、別に辞めなくても、やりたいときにやればいいんじゃないって。それでなんとなく続けてきた感じです。
──そうだったんですね。
それと同時に、眉村が圧倒的な勢いで売れていたので、私はこういうふうにはなれないって思いもありました。それが就職したタイミングと重なったので。

──今後も仕事は続けていく?
すごく悩んでいます。日月が休みで土曜日は出勤なんですけどライヴがたくさん決まっていて、休みをとらないといけないんです。仕事のせいでライヴに遅れちゃったこともあって、めちゃくちゃ悔しかった。自分の中では、今はライヴが一番なので。でも仕事を辞めてしまったら親は心配すると思うし、生活も大変だし。最近はピアノを教えたりもしているので、清美先生みたいにうまくバランスをとりながら活動できないかなって考えています。
──アイドルとしては、これからどんな活動をしていきたいですか?
“寿命があるアイドル”の先に行きたいなって思います。最近は今までやってきたピアノと、自分のライヴをリンクさせられるようになってきたし、自分の曲に感情を乗せて演奏することもできるようになった気がするので楽しいです。お客さんも感動して泣いてくれたり、私の姿を見てがんばろうと思ったって言ってくれたりとか、いままでなかった現象が起きているので。
──それは大きな変化ですね。
あと家族が喜んでくれているのがうれしいですね。大学時代は成績低迷で家に帰らない中でアイドルをやっていたので、あまりよく思われていないんだろうなって思っていたけど、母親が6月に四谷でやったワンマンにも来てくれたんです。ライヴの最後に大学の卒業試験でやったクラシックの曲を弾いたら、当時よりすごく感情を込めて弾いていてうれしかったって、喜んでくれました。
──活動にも弾みがつきそうですね。今はライヴの本数も増えて、アグレッシブに活動していますよね。
やっぱり好きなことだったから。アイドル活動も、共演者を見ることも楽しいし、まわりのアイドルが自分を信じてがんばっているのを見て、私は私でがんばろうと思ったんですよね。どうなるかわからないけど、やりつくしてみたいなって思っています。
一挙配信となった4タイトルの購入はこちらから
LIVE SCHEDULE
桐原ユリ生誕祭2020~パインの想い出~(昼夜2部制)
2020年2月2日(日)@東京 吉祥寺STAR PINE’S CAFE
武蔵野市吉祥寺本町1-20-16 B1
TEL : 0422-23-2251
https://mandala.gr.jp/SPC/access
【1部 (昼の部) 対バン】
開場 : 12:30/開演13:00
料金 : 前売3000円/当日3500円(1D別)
出演 : 桐原ユリ / 小林清美 / 小日向由衣 / イロハマイ / ハザマリツシ / イナダミホ / みのりほのか
【2部(夜の部) ワンマン】
開場 : 18:30/開演19:00
料金 : 前売3000円 / 当日3500円(1D別)
出演 : 桐原ユリ
ゲスト : 矢舟テツロー・トリオ / 酒井(元)少年
イベントの詳細および、チケットのお求めは下記、LivePocketの販売ページよりご確認ください https://t.livepocket.jp/e/l2hlu
PROFILE
桐原ユリ
1月28日生まれ 香川県出身 ニックネームは「まんぼう」※大柄で目が離れていることに由来
ピアノ弾き語り、ショルダーキーボードを使用してのパフォーマンス、作詞作曲、トラックメイクなど、幅広い表現を用いてアイドルとして活動中。
音大ピアノ科卒、2019年現在、昼間は一般企業でOLをしながらも精力的にライブ活動を続ける。
170㎝の高身長を生かしたダイナミックなパフォーマンスとは裏腹な赤ちゃん要素満載のバブみの強いキャラクターが魅力。
その破天荒なキャラクターとボーカル力を生かした繊細な音楽センス、音大で培ったピアノの腕前を併せ持ち多彩な表現を誇る。
略歴:
2015年 実妹と姉妹ユニット、smile@sistersとしてライブデビュー
2016年 桐原ユリ、ソロとして活動開始。
2018年 酒井(元)少年による初のオリジナル曲を発表
2019年6月 自作曲の発表、ピアノ弾き語りなど、初のアコースティックライブを成功
Twitter : https://twitter.com/yuirintaka