「清 竜人TOWN」という、ひとつの街のはじまりからおわりまで──清 竜人インタビュー

2016年12月5日に発表され、世間の度肝を抜いた清 竜人の新プロジェクト『TOWN』がライヴ・アルバムとして作品になった。OTOTOYではスタート当初から楽曲のフリーダウンロードを実施。期間が短いながらも濃厚な活動だった『TOWN』について、清 竜人にインタビューをおこなった。
清 竜人TOWN / TOWN
【配信形態】
ALAC、FLAC、WAV、AAC
【配信価格】
単曲 257円(税込) / アルバム 2,100円(税込)
【収録曲】
Disc1:TOWN LIVE RECORDING
01. TOWN / 02. それでいい! それがいい! / 03. 俺の街まで来いよ! / 04. やりたくないぜ! / 05. 青春 / 06. I Don't Know! I Don't Care! / 07. 縮んでどこにもありゃしない! / 08. 糞小便の歌 / 09. おい! ハゲ! ボケ! カス! / 10. 大丈夫! 大丈夫さ! / 11. ケツの穴ちっちゃいね! / 12. ほどほどに生きましょう! /
Disc2:配信音源
01. TOWN / 02. それでいい! それがいい! / 03. 俺の街まで来いよ! / 04. やりたくないぜ! / 05. 青春 / 06. I Don't Know! I Don't Care! / 07. 縮んでどこにもありゃしない! / 08. 糞小便の歌 / 09. おい! ハゲ! ボケ! カス! / 10. 大丈夫! 大丈夫さ! / 11. ケツの穴ちっちゃいね! / 12 ほどほどに生きましょう!
INTERVIEW 清 竜人
「TOWN」は2017年2月2日、渋谷の「街」で誕生した。まだ清 竜人25(2017年6月17日解散)が活動していた時期だ。
TOWNの始動は2016年12月5日に発表された。衝撃的だったのは、そのヴィジュアルだ。清 竜人は全裸にモヒカンで、しかも背中一面には和彫りの刺青。そして、すべてのライヴは無料として、バンド・メンバーを公募するとともに、「演者と観客の垣根を取り払う」と宣言した。
そして2か月後。ファースト・ライヴの会場である渋谷TSUTAYA O-EASTのステージには大量の楽器が並べられており、開演と同時に上半身裸の清 竜人をはじめとする演者が登場。かと思うと、フロアにも何本ものマイクが立てられており、ステージのマイクと同じ音量で観客の歌声が会場に響いたのだ。
どこまでが演者で、どこまでが観客か判然としない混沌。しかも、TOWNでは毎回機材の位置が変化しており、フロア後方のバーカウンター側にドラムセットが置かれていることもあった。
会場ごとに変化し続けたTOWNは、全国ツアーを行なった後、2017年7月11日に川崎CLUB CITTA’で解散。清 竜人にとっては、清 竜人25に続いて2か月連続解散となった。
今回リリースされるライヴ・アルバム「TOWN」には、TOWNによる全12公演すべての音源を混ぜ合わせた「TOWN LIVE RECORDING」が収録されている。また、ライヴ前にOTOTOYで無料配信されたデモ音源も「配信音源」として収録。CD+DVDセットでは、TOWNの始動から解散までを追った「TOWNドキュメンタリー映像」が収録されている。
このインタビューは、「TOWNドキュメンタリー映像」の先行上映会が開催された、2017年9月7日に行われたものだ。場所はTOWN解散の地である川崎CLUB CITTA’。清 竜人25に続いてTOWNも解散させてから約2か月が経った清 竜人に話を聞いた。
インタビュー&文 : 宗像明将
音楽を軸にしたエンターテイメント的に見せたくなってきて
——今回の取材はOTOTOYとナタリーだけだそうですが、ナタリーが先に取材していたから、これが2本目にしてTOWN最後の取材ですね。
清 竜人(以下竜人) : むしろ入らない予定だったんだけどな……?
——そこはプロモーション活動ということで……。TOWNの終了後、休みの間は何をされていたんですか?
竜人 : 7月いっぱいはこのアルバムの制作とか楽曲提供をしてたけど、8月はほとんど何もしてなくて、ごく潰しのニートでしたね。
——今回ライヴ盤がリリースされるTOWNの名前の由来は「俺たちは同じ街で暮らしている」という意味で、ムーブメントを志向したそうですが、そうしたムーブメントを起こしたかったのはなぜでしょうか?
竜人 : どうしてでしょうね? さっきユーミン(松任谷由実)の話になったんです。彼女はオリジナル・アルバムをたくさん出してるけど、僕には無理だなって思うんです。清 竜人25を含めて今回が9枚目のアルバムで、1年1枚ペースなんですけど、3枚目あたりから「音楽好き」だけでは飽きてきたんで、音楽を軸にしたエンターテイメント的に見せたくなってきて。音楽を突き詰めていくだけじゃ楽しくないから、他のアプローチを探してるんだろうな。そこまで「音楽好き」じゃないからこういう形になってるんじゃないかな?
——TOWNなんて音楽好きが集まっていそうなプロジェクトなのに。
竜人 : TOWNはもともといろんな要素が収斂してできたプロジェクトで。たとえば、スリーピースのバンドで青春パンクをやりたいと思っていたけど、それだけじゃつまらないし、ライヴ・アルバムを作りたいと思っていて。いろんな思惑を引き寄せて、結果的に普通じゃないものになりましたね。
——TOWNには清 竜人25の反動もあったのでしょうか?
竜人 : 多少はあったんでしょうけど、こういう音楽性でやりたかったのは前からだから、反動がすべてではないですね。
——TOWNはパフォーマンス・アート的な側面もありますよね。以前清竜人さんが好きだと言っていた、マリーナ・アブラモヴィッチも連想しました(https://ototoy.jp/feature/20150902)。アート的な要素は意識しましたか?
竜人 : 多少は。意識しすぎるとJ-POPや大衆音楽としてダサくなるし、「J-POPならではのアート」としての塩梅は意識しました。
——「TOWNドキュメンタリー映像」の前半は、TOWNと清 竜人25が裏表のような構造ですね。ご本人としてはTOWNと清 竜人25が並行するのは自然なことだったのでしょうか?
竜人 : TOWNみたいなプロジェクトだからこそ、清 竜人25と並行したほうが面白いと思いました。たとえばピアノ一本の弾き語りなら並行しないけど、俯瞰して見るとTOWNと清 竜人25を同時進行してるのが同じ人間のほうが楽しいと思いましたね。僕は精神的にも肉体的にも疲労しましたけど(笑)。
——OTOTOYでデモ音源を無料配信をしてからライヴをするというスタイルでしたが、実際にライヴを始めたときの感触はいかがだったでしょうか?
竜人 : 基本的にはいい意味で想像通りで、「出だし上々かな」って思ってました。とりあえずライヴを3本決めたけど、お金周りも含めてどうなるのかまったくわからないし、怪我人も出るかもしれないし。その中で続けられるかどうかの試金石が最初の3本で、終わってから全国ツアーやファイナルを決めました。
——となると、2017年7月11日で解散と決めたのはどのタイミングなのでしょうか?
竜人 : 1本、2本目のライヴが終わった後かな。そんなに長く続けるプロジェクトではないので。続ければ続けるほどお金がなくなりますし(笑)。
——「TOWNドキュメンタリー映像」には、清 竜人さんからクラウドファンディングを提案するシーンもありましたね。
竜人 : クラウドファンディングはやりたくはなくて。お金が発生せずに、バンドに誘って、メンバーとしてライヴをして、ライヴハウス全体でライヴをして垣根を取るのがコンセプトでしたから。1000円でも2000円でも取ったら意味がないんです。でも、現実的にどうするのかを考えて、ひとつの案としてクラウドファンディングについて話したシーンでしたね。
——TOWNのステージ演奏メンバーのオーディションの基準はどこでしたか?
竜人 : オーディションではないですね、単純にあみだくじみたいなもんですね。川崎CLUB CITTA'以外は、なるべく新しく来た人に振りわけました。審査基準もなく。
——そんなに単純に決めて、ちゃんとみんな弾けたんですか?
竜人 : まったく弾けない人もいましたよ(笑)。
——え、その人はステージでどうしてたんですか?
竜人 : 顔で弾いてたんじゃないないですか?(笑)
——京都ではダンサーの人もいましたね、もはや音を出してない(笑)。
竜人 : そういう子もいましたね、なんでもありなんで。京都、大阪はたしかにグルーヴがありましたね。
——ステージでの演奏に参加したメンバーには、清 竜人さんのファンも多かったと思います。彼らとライヴをした感覚はいかがでしたか?
竜人 : うーん……。
——特に意識してなかった?
竜人 : そうですね、僕は単純に楽しんでましたね。言われてみて「ファンといえばファンだったな」と。みんな演奏しに来てるから、わきまえてたんじゃないですか? 僕に会いに来る子もいたと思うけど、憂さ晴らしやパフォーマンスをしたい人が多かったですね。
——演者と観客の垣根は意図したように外せましたか?
竜人 : それなりにはできたんじゃないかな。ライヴ・アルバムとして面白いものができたんじゃないかなと思いますね。普通にバンドを従えてリリースしても何も面白味もないし、ライヴ・アルバムは嫌いで。でも、嫌いだからこそライヴ・アルバムを作りたいと前々から思っていて、ライヴの本当の意味を探して作りましたね。
人間味のあるプロジェクトだったなと思います
——ライヴの本当の意味とはどういったものでしょうか?
竜人 : ライヴ・アルバムで、ピッチを修正したり歌い直したりする人もいるけど、そこに僕は意味を見出せないんです。僕の求めてたライヴ感は「奢らない感じ」ですかね。みんな「最低限うまくないといけない」とか「プロなりにしっかり歌う」とか考えるけど、僕は「それはライヴでやる必要はないな」と考えたんです。模索した結果の僕なりの答えですね。
——「TOWN LIVE RECORDING」では、清 竜人さんと観客の声がほぼ同じ音量で収録されていることに驚きました。
竜人 : 僕のアルバムじゃないですからね。ソロじゃないんで。
——「TOWN LIVE RECORDING」は全12公演の音を混ざあわせたそうですが、具体的にはどういう作業をしたのでしょうか?
竜人 : エンジニアは大変だったでしょうけど、12公演すべてドラムはクリックを聴いてたから、全会場の演奏の尺は同じなんですよ。会場に来た全員の音がひとつの音源に混ざってるのはロマンがあっていいなと思いますね。東京と神戸なんて500キロ以上離れてるのに、ひとつの音源に入ってて。
——そういうロマンはTOWNで活動していた頃から感じていましたか?
竜人 : 感じましたね。人間味のあるプロジェクトだったなと思います。
——TOWNの活動の中で変化はあったでしょうか? 特に清 竜人25解散後に。
竜人 : 清 竜人25が解散した6月17日以降に全国ツアーをしてるんで、いきいきしてるんじゃないですか?(笑)単純に労働の割合としてTOWNだけやってればいいんで。ツアーでは作るものもなくて、ライヴをするだけだったから楽しかったですね。飲んで食って。
——TOWNだけになってからは、もう楽しんでいただけ?
竜人 : 遊んでただけですね(笑)。仕事だけど、単純に音楽を楽しんでましたね。あの全国ツアー、僕の中で一番楽しかったかも。
——なぜですかね?
竜人 : 気負うこともないし、神経を尖らせるようなライヴでもないし、そのときの全力を出せばいいし。全曲やっても30分だし(笑)。
——清 竜人25もTOWNも、方向性がまるで違うようで、清 竜人さんはひとりではありませんでした。しかも「家族」から「街」とどんどん開かれていきましたね。
竜人 : スケールを大きくしようとは意識してないかな。ただ、やりたかったプロジェクトなんで。
——とはいえ、「TOWNドキュメンタリー映像」を見ると、清 竜人25とTOWNが並行していた時期は、そうとう自分で自分を追い込んでいますよね。スケジュールが仕事ばかりになって。
竜人 : 単純にツアーも制作もスケジュールに入れていったら、そうなりましたね。
——巻きこまれた人は大変だったのでは?
竜人 : 儲かりもしないのに手伝わされる人がたくさんいましたね(笑)。文句は……出てないはず(笑)。TOWNにはひとつメッセージがあって、「メジャーでもビジネス的な採算を考え続けるのは楽しくないし、業界人でも無料でやっていいんじゃないか」っていうことですね。そういう試みを0円でやってみて、スタッフ含めて乗ってくれることもありますよ、って。
——なぜ周囲の人々がそこまで協力してくれたと思いますか?
竜人 : 「類は友を呼ぶ」じゃないけど、新しいことが好きな人が集まってるんじゃないかな? 新しいことを考えたり、作戦を立てたり。
——清 竜人25も含めて、自分以外との作業を3年以上した感想はいかがでしたか?
竜人 : もう2度とやりたくない(笑)。もう今、めっちゃ楽ですもん(笑)。憑き物が落ちたみたいに。またやるにしても流動的に、楽にできる雇用形態でやりますね。
——そんなに大変なのになぜやっていたんですか?
竜人 : 楽しかったですよ、メンバーの若い子といちゃいちゃするのも楽しかったし。ただ、自分に適した仕事のペース感とかけ離れてて、今はソロの頃のペース感に戻ってますね。

——TOWN解散後も刺青は残りますが……?
竜人 : まぁ指環をしてるような感覚なんで。服を着てれば見えないですしね。
——でも温泉に入れませんよね。
竜人 : 温泉は入れないけど、(ディレクターの)山岸さんがサウナを作るのでそこはOKです、永久パスをもらって(笑)。
——今後の弾き語りツアーでまたひとりに戻る感覚はどうでしょうか?
竜人 : リハーサルもないようなもんですしね、すごい楽なんじゃないですか? ふらっとホールに行って、ピアノだけ弾いて帰るだけですから。
——清 竜人25やTOWNの楽曲はもう歌わないんですか?
竜人 : 歌うことはないでしょうね、再結成しない限り(笑)。
——またやりたいでしょうか?
竜人 : 最低でも干支は一周してからだなと思いますね。メンバーは絶対変えますね(笑)。亜美(今野亜美。元清 竜人25の第3夫人・清 亜美)なんて、僕が40歳だったら39歳でしょ? ……あいつだけ呼ぼうかな、地獄みたいな(笑)。今年メンバーの誰かに子供を産んでもらって、再結成のときに入れるのもいいかな(笑)。
——現在活動を再開している3人の夫人たちにメッセージがあれば聞かせてください。
竜人 : 6月17日というのは僕の中で大きい意味があって、すべてを賭けてラストページを書いたつもりなので、彼女たちの活躍は応援してますけど、僕とは世界線が違うといいなと思いますね。僕やファンの中の3年間が壊れちゃうので、清 竜人25の匂いがしないようにしてます。特にあの子たちが活動しはじめたからこそ。もう旦那じゃないですからね。
——え、みんな設定上は「専業主婦」ですよ?
竜人 : 今も心の中にはいるんですけど、「行方不明で生きてるけど法律上は死んでる」みたいな状態で。
——そんな状態なんですか!?
竜人 : 僕からしたらそうですね、感覚的に(笑)。
アーティストはサラリーマンじゃないから
——来年以降の活動はどうなりそうですか?
竜人 : (ディレクターに)どうしまょうね?(笑) そろそろ考えないといけないから、今月中に考えてみようと思います。12月以降のことをまったく考えずにソロ・ツアーを組んだんですよ。TOWNは無料だったし、事務所に還元しないといけないなと組んだソロ・ツアーなので、後につなげる考えはなかったけど、ひとりで制作してもいいかなと考えてますね。ソロになるのか、ソロ・プロジェクトになるかわからないけど。久しぶりにオーセンティックなポップスを作ってもいいかなと考えてますね。
——清 竜人さんにとって「オーセンティックなポップス」とはどんなものでしょうか?
竜人 : 音楽以外の要素が少ないものですね。清 竜人25もTOWNも音楽以外の要素がありますよね? 清 竜人25はアイドルだし、TOWNもエンターテイメント的な側面もあるし。そうじゃなくて、普通に演奏して、普通に歌うこともしてみたいですね。
——清 竜人さんの性分としてそうなりますかね……?
竜人 : 奇を衒おうとしてないし、何か新しいものを作らないといけないという使命感でやってるだけなんで。過去にないものを作りたいんです。清 竜人25もTOWNもそうでしたしね。「そこまでの濃度で作らなくてもいいかもしれないな」と9月7日現在では思ってますね、明日の午前には変わってるかもしれないけど(笑)。
——TOWNの中でも特に川崎CLUB CITTA'の解散ライヴの映像には、ボアダムスのドラム77台ライヴ(2007年7月7日の『77 BOADRUM』)や、大友良英の「アンサンブルズ東京」(プロと一般参加者が一緒に演奏するワークショップ)も連想しました。でも、清 竜人さんとしてはシンプルに楽しかったという感覚が大きいのでしょうか?
竜人 : あとプラスアルファで、ライヴ・アルバムとして面白いものが作れたし、ソロで活動してきた人間がいまさらバンドのメンバーをヴォーカルまで公募して、全会場の音源をミックスしたりするのが面白かったですね。それをポップスの世界でやることが面白いかな、って。
——ポップスが好きなのはなぜですかね?
竜人 : 別にポップス好きじゃないですけどね。おそらく目立ちがり屋なので、アンダーグラウンドではやりたくないし、でもポップスの中で二番煎じをやっても面白くないんです。だからモグラみたいに地上と地下を行き来してるんじゃないですかね?
——地上、つまりメインストリームというのはやはり意識してるんですね。
竜人 : 全然してますよ。大衆音楽なんで、ある程度の認知度は必要だと思いますね。そこは方法論なんで、大々的に売り出す手あるだろうしも、音楽だけで売れる手もあるだろうし、いろんな方法があると思うけど、そこが一番大事なところだから美しくしたいですね。アーティストはサラリーマンじゃないから。
——清 竜人さんがそういうスタンスでTOWNみたいなプロジェクトを始めて周囲を巻き込んだのがすごいですよね。「巻きこむ技術」みたいなセミナーを開いたら、それだけで一儲けできそうですよ?
竜人 : じゃあ、それでTOWNの分の金を取ろうかな?(笑)
LIVE INFORMATION
KIYOSHI RYUJIN SOLO TOUR
2017年12月1日(金)めぐろパーシモンホール (Sold out)
2017年12月7日(木)京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ(Sold out)
2017年12月8日(金)名古屋 千種文化小劇場(ちくさ座)(Sold out)
2017年12月19日(火)日本青年館ホール