祝結成10周年! ジェントル久保田に訊くGFJBのこれまでとこれから
所縁ある仲間たちとともに大盛況のもと幕を閉じたライヴ後日、リーダーであるジェントル久保田にインタヴューを敢行。バンド結成からの10年間をどのように歩み、この先をどう目論んでいるのかを語りつくしてもらった。DSDライヴ作品とともに彼のビッグバンドへの熱烈な思いの丈に耳を傾けていただきたい。
インタヴュー : 飯田仁一郎
文 : 中村純
難しいことしないで聴いてる人が楽しめるショー的なバンド
——早速ですが、どんな10年でしたか?
ジェントル久保田(以下久保田) : この10年は色々変わりましたね。最初の4、5年くらいはサラリーマンが集まった社会人ビッグバンドでした。
——みなさんプロなんですよね?
久保田 : 2人はサラリーマン。普通に平日働いている人もいます。
——結成はどのような経緯でしたか? 久保田さんがやるぞと?
久保田 : そうです。僕が大学のビッグバンドサークルを卒業したときにもうちょっとビッグバンドやりたいねっていう人たちがいて。僕は大学卒業して眼鏡屋さんに就職して1年間名古屋で過ごした後に東京支店で働いていて、みんなビッグバンドやりたいみたいな話をときどき聞いて、じゃあやろうよって始めました。
——結成時にこういう音楽がやりたいというものはあったのでしょうか?
久保田 : ただやるだけではなく、バンドのカラーみたいなのが欲しいじゃないですか。昔からビッグバンドがよりポピュラー・ミュージックだったときのみんなが聴いて踊っている時代が凄く好きで、難しいことしないで聴いている人が楽しめるショー的なバンドがやれると良いなと思いました。最初は言ってみればコピーバンドでしたね。だけど、それだけだとつまらなくなってオリジナル曲をつくってみるという社会人ビッグバンドがあまりやらないことをやりはじめたのが、段々とプロのバンドになっていくきっかけです。
——それはいつごろですか?
久保田 : 石塚さん(所属レーベルのマインズ・レコード代表)と出会ったのが2009年の夏過ぎくらいで、それまでは本当に社会人ビッグバンドだったんですよ。石塚さんとマインズ・レコードと出会い、アルバムを出すということになり段々と社会人バンドかプロかどっちなんだみたいな感じになって、気付いたら段々とプロの仲間入り出来てきたかなという風に感じてきました。それが2年前くらいからです(笑)。
——ちなみに石塚さんとはどういう出会いだったんですか?
久保田 : 石塚さんが管理している神田の岩本町のライヴ・ハウスに偶然GENTLE FOREST JAZZ BAND(以下GFJB)が出たのと、松下マサナオ(Dr)と石塚さんが面識ありまして。
——オリジナルをやり出したのは?
久保田 : オリジナルをやり出したのもその頃だと思います。僕の後輩がビッグバンドのアレンジメントを音楽学校で習っていて、オリジナルとアメリカの曲でもオリジナルのアレンジをつくってよって言ってやり始めました。それは社会人ビッグバンドではあまりやらないことだったんですよね。
——その違った感覚をなぜ持ち合わせていたのでしょうか?
久保田 : 社会人ビッグバンドでは自分たちが楽しむためにやっている人が多いけど、僕はそうじゃなくて聴いている人を楽しませるためのバンドをつくらないとおかしいんじゃないかと思って。あと、オリジナルっていう自分たちの目線でこういう風に曲をみてこういうジャズをやりますってやっていかないと、バンドってつまらないし自分たちの楽しみ方が出来ない。
立ち上げたときに「5年で辞める」と言ったそうです(笑)
——ハマケン(浜野謙太)さんもずっとおられたんですか?
久保田 : そうです。ハマケンは最初からいて。
——最初からずっとメンバーだったんですよね? 脱退するまで?
久保田 : そうですね。まあ脱退っていうか今も曖昧なんですよ。ハマケンの名前は一応外れるけど「時々来てよ」みたいな感じで。
——Gentle Forest Sisters(以下シスターズ)はいつ加入したのですか?
久保田 : フランス旅行に行ったときにメンバーが楽器を置いてステージから出てきてハモって歌いだすっていうビッグバンドを観て凄く面白かったんですね。それでGFJBを始めて2年目くらいにちょっと女の子のバンド・メンバーにやらせようって思って、その子たちに音楽の先生を付けて練習させたんですよ(笑)。
——シスターズとなるのは?
久保田 : その子たちが辞めちゃって、じゃあ専門のシスターズをつくっちゃえって。洗足音楽大学の学生や卒業して1年目くらいの子を連れてきてちょっとハモって歌ってくれないって言ったのが最初です。そこから色々メンバーが変わってマインズ・レコードと出会った2009年くらいからレコーディングまでの数か月の間に今のシスターズのメンバーになりました。最初は中村誠一さんの娘の紗理ちゃんもいましたね。
——シスターズ以外のメンバーに関しては?
久保田 : ほとんどが変わって、変わってないのは田中友典(As.)と小嶋悠貴(Bs.)。彼ら二人は今でも働きながらやってます。社会人メンバーはもっとやりたいけど、泣く泣く辞めるみたいな人がほとんどでしたね。
——ASA-CHANGもライヴで面白かったです(笑)。
久保田 : 面白いですよね(笑)。朝倉さん(ASA-CHANG)はちょうどGFJBがやり始めたときくらいにASA-CHANG & ブルー・ハッツをやっていて、昔のスウィングのビッグバンドが凄い好きで僕らの世界観を分かってくれる人なんですよね。1枚目のアルバムが出るとき朝倉さんにこういうバンドでCD出すんですよって言って送って一筆書いてもらったんですよ。そういう関係でずっと気にかけてくれて。一緒にライヴしたのは今回が初めてだったんですけど、好きなものが僕らと統一されてるからスッと馴染める。
——akikoさんとの出会いは?
久保田 : akikoさんはビッグバンドとずっと一緒にやりたいっていう願望があって、GFJBのライヴを観てくれたときに楽しくできそうだなって思ってくれたみたいで誘ってもらいました。
——10年前に立ち上げた時は、バンドとしても今のようにかなりプロフェッショナルなバンドになっているということは想像していたのですか?
久保田 : いや、してないです。僕もすっかり忘れてたんですけど、小嶋曰く、俺がバンド立ち上げたときに「5年で辞める」と言ったそうです(笑)。たぶん5年経つとみんなサラリーマンだったから忙しくなるし限界だろうなと(笑)。その間だけ楽しもうっていう感じで言ったのかなと思うんですけど。
——久保田さんのどんなモチベーションが今のGFJBを掻き立てているんですか?
久保田 : 僕ら世代のビッグバンドってなかなか面白いバンドがいないんですよ。シャープス・アンド・フラッツとかブルー・コーツとか戦後の進駐軍がいるような時代を知る人たちを僕は勝手に「進駐軍世代」と呼んでますが、そのおじいちゃんになってきている、ジャズが流行ったときからビッグバンドをやっている世代の人。あとは小曽根真さんやエリック・ミヤシロさんのような凄いプロフェッショナルな人たち。そこ以外でちゃんとビッグバンドがバンドとして本格的に活動しているシーンはもうほとんどないんです。そことそこの真ん中が丸抜けしていて、みんなが楽しめる部分のビッグバンドがなくて。今の音楽シーンって何でも聴く層が多いじゃないですか。そういう人たちが楽しめるところにジャズ自体が今ないしビッグバンドももちろんない。だから、色々フェスにも行くけどビッグバンドも聴くみたいな人も出てきて、ビッグバンドっていう文化を何とか残していけたら凄くかっこいいなと思うんですよね。そこに僕が今凄く掻き立てられている感じですね。
——10周年というライヴは久保田さんにとってどんなライヴになりましたか?
久保田 : 10周年ということに全然気づいていなくて、田中に「10周年だよ。今年。」って言われて「そうなの! 」みたいな。全然意識してなかったけど、アルバム出すのがたまたま重なったんですよ。「これは10周年って銘打ってやんなきゃ」って。ビッグバンドを10年頑張って続けられた訳だし、やっとGFJBのカタチがそれなりではあるものの色々出来てきたので。
——それは音楽的な意味ですか?
久保田 : そうですね。音楽的にもほとんどオリジナル・ナンバーにもなって、僕が好きなカタチやGFJBはこういう感じっていうのがアルバムで打ち出せるようになって。
——そのカタチについて具体的に話していただくとどういうことでしょうか?
久保田 : デューク・エリントンとかカウント・ベイシーとかそういう人たちの世界観。その世界観が分かっているのか分かんないんですけど、その面白さを少しでも何かバンドで解釈して表に出すっていうことが出来始めたのかなって。そういう人たちって個々が凄い変な技をいっぱい持っているんですけど、そういうのが好きな人たちが集まってきたんですよね。
——それはいつ頃からですか?
久保田 : ここ1年とか。大田垣“OTG”正信(Tb.)が特にそうで今のトロンボーンニストが絶対やらないような、ブランジャーを使うことに特化した技を持っていて。そういう人たちが段々入り始めてきてくれたおかげで、より僕が好きな世界観をつくりやすくなってきています。
来年が勝負
——となると、今年出したアルバムと10周年のライヴでは、ある意味ジェントル久保田がやりたかったことの完成形が出せたということでしょうか?
久保田 : そうですね。今できる完成形。やっぱり、今はまだ出来ないこともあって。
——それはどんなことですか?
久保田 : そのバンドの音のつくり方や、そのリズムの取り方っていうかことなのかな。やっぱり21人みんなで何かをやるっていうのはなかなか大変で。
——全員が同じビート感を持つということですか?
久保田 : 簡単に言えばそうだけど、実際にみんなが同じことをやるって凄く難しい。例えば、足の長さはみんなばらばらだけど、みんなで一歩バンって足を出したときに足のサイズとか長さとか出し方が微妙に違う。だけど、結果的にドンで着くのが一緒っていう面白さってありますよね。
——ビッグバンドでGFJBが目指すモノはありますか?
久保田 : 自分たちで試行錯誤するしかないんですよね。デューク・エリントンとかカウント・ベイシーとかライオネル・ハンプトンとかは1950~60年くらいの話だから育ちも何も違うじゃないですか。そこをいかに踏襲するか。情報がいっぱいある今の時代の僕らのカタチで踏襲するしかない。こうやりたいっていうモノをどこまで今のバンドのやり方と決められた境遇の中で出来るか。出来ないところをどう面白くしていくか。
——今後久保田さん的には、次の10年をどう動かしていくのでしょうか?
久保田 : お客さんが来やすく観やすいビッグバンドの形態って何なんだろうと思って。どうしたらもっと色んな人のビッグバンドに対する垣根を取っ払えるかなと思って、スタンディングのライブハウスでやった方が若い人たちも来やすいのかって思ってやってみたけどイマイチ上手くいかなくて。
——それはどう上手くいかなかったんですか?
久保田 : やっぱり、ビッグバンドをスタンディングで観ることがハマらなかったのかお客さんが逆に減ちゃったんですよ。でも、モーション・ブルー横浜でそこまで高くない値段でゆっくり座ってご飯食べてショーを楽しんでくださいというライヴをしたらめっちゃお客さん来てくれて、このカタチを求めているんだなっていうのが分かってきたんです。ただ、そのカタチを実現することは大変じゃないですか。だから、居酒屋+αくらいの価格帯でご飯を食べられてお酒を飲めてみんなで騒げて、何とか日常的にビッグバンドを観られるところを来年くらいにプロジェクトとしてつくろうとしているんです。一番楽しい社交場のカタチってお酒が飲めてご飯がおいしくてみんなでワイワイ話せて音楽があるところ。アメリカはやっぱりそういうところが出来ているけど、日本では高すぎるから自発的に行こうとしない。そういう場をつくることがかなりのところまで進んでいて来年から始動します。で、もう一回ビッグバンドが凄い楽しいっていう世界をつくってシーンを何とかしていかないと。結局GFJBだけ頑張ってもシーンがないと何も動かないんですよ。もう11年目から動き出す。それをやるしか生き残る道もないだろうって。
——何か凄い楽しみですね。
久保田 : 来年から勝負ですね。
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LIVE INFORMATION
2015年8月23日(日)@用賀キンのツボ
PROFILE
GENTLE FOREST JAZZ BAND
リーダー&トロンボーンのジェントル久保田が指揮する、総勢 21人から成るビッグバンド。
2005年結成。踊れるスウィングジャズに“今”の要素を盛り込み、ダンサーは勿論ロック好きから演歌ファンまでも虜にする新たなエンターテイメントを展開。
どこか懐かしくも底抜けに楽しいスウィングを武器に、専門家や愛好家の物になってしまったジャズをもう一度キッズ達の手に取り戻すべく突き進んでいる。
17人のオーケストラと3人組女性ヴォーカル「Gentle Forest Sisters」、人力の音圧と笑い溢れるステージは見る人の鼓動を打ち、ウキウキ心を燃え上がらせる!!
>>GENTLE FOREST JAZZ BAND Offical HP