TRASH-UP!!×OTOTOY連載企画『メッセージ・フロム・アンダーグラウンド』第5回 インタヴュー : リクルマイ〜新たに発見した民謡レゲエ〜

リクルマイ (撮影 : 石田昌隆)

もはや”元ドラヘビの”という枕言葉は必要ない。特に本作を経て、さらなるオリジナリティを得て、ひとりのシンガーとしてさらなる高みに達しようとしているのではないだろうか。リクルマイの新作『きたぐにのはる』は、ここ数年の東日本大震災以降の活動のなかで生まれた作品だ。

本作は、「秋田音頭」、「ドドサイ節」(岩手県)、「相馬盆唄」(福島県)といった東北地方各地の民謡、さらには明治、大正期に活躍した演歌師、添田唖蝉坊(そえだあぜんぼう)の「ノンキ節」といった、この国のグラスルーツ・ソングとも言える楽曲を、レゲエによってカヴァー、さらにはこれらの楽曲と同一線上にある、まっすぐな日本語で歌われる唯一のオリジナルにして、表題曲の「きたぐにのはる」によって構成されている。

こうした作品を生み出した彼女にとって、ポスト3.11とはどのような時代なのか? ライターの遠藤妙子が作品とともに迫る。


『TRASH-UP!!』との連動企画「message from underground」

message from undergroundとは
トラッシュ・カルチャーを追求する雑誌『TRASH-UP!!』と音楽配信サイトOTOTOYが、共同でお送りする企画「message from underground」。ライターの遠藤妙子が被災地支援や反原発の活動をしている表現者達に取材、インタビューを掲載しています。表現者たちが何を思い、どのような活動をしているのか。普段は日のあたりにくいアンダーグラウンドからの発言を見逃さないように!!

TRASH-UP!! とは
「TRASH-UP!!」(トラッシュ・アップ)は、既成の概念にとらわれることなく、さまざまなトラッシュ・カルチャーを追求していく雑誌です。


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リクルマイ / きたぐにのはる

【配信形態】
WAV / ALAC / FLAC / mp3

【配信価格】 (税込)
単曲 216円 まとめ購入 1080円

【Track List】
01. 秋田音頭
02. 相馬盆唄
03. ドドサイ節
04. ノンキ節
05. きたぐにのはる

INTERVIEW : リクルマイ

東日本大震災以降、被災地でライヴを行ない、反原発デモでマイクを持つリクルマイ。DRY&HEAVY脱退後、日本語レゲエを追求してきた彼女が、さまざまな現場でさまざまな人と出会い、新たに発見したのが民謡レゲエ。民謡のカヴァーとオリジナル曲「きたぐにのはる」が収録されたミニ・アルバム『きたぐにのはる』を聴いてほしい。黒光りする太いグルーヴと軽やかなチンドンは驚くほど相性が良く、リクルマイの歌声はリズミカルで伸びやかで、キラキラとした表情がある。

被災地支援、反原発デモ、自主レーベル〈MK Starliner〉の運営、そしてなにより音楽、歌。それらをナチュラルに(同時に全力で)繋げ活動しているリクルマイ。彼女の音楽で、人と人もどんどん繋がっていけるんじゃないかと、そんなことを思った。

インタヴュー& 文 : 遠藤妙子

秋田音頭はファンキーな曲なのよ

ーー『きたぐにのはる』は民謡のカヴァーにオリジナル曲の「きたぐにのはる」を収録。震災以降、ライヴや反原発デモなどでマイさんの歌を聴いている人はすんなりと入ってくるでしょうけど、音源だけ聴いてきた人は驚くかもしれませんね。

リクルマイ : そうかもしれません。今回のアルバムは”民謡レゲエ”という自分のなかでもかなり実験的なことを行なっているんです。やはり震災が大きな起点になっていて。私の生まれ故郷が岩手県宮古市で、津波の被害が甚大だったんです。私も宮古の商店街の方たちと炊き出しについて行って、そこで余興として歌ったり、節目節目に被災地でライヴをやってきて。そういうなかで同じ岩手県出身の民謡歌手の千田けい子さんと出会ったんです。学校を廻ったり、温泉地のお座敷に地震被災者のみなさんを招待して無料ライヴをやったり。千田さんと一緒のバスのなかでお互いの音楽の話をしたんですよ。そしたら「秋田音頭はファンキーな曲なのよ」と教えてくださって。改めて聴いてみたら節回しもラップに近いし、コレは絶対にレゲエに合うなって。

ーー今作にも入ってますが、実際、すごく合いますよね。

リクルマイ : ね。で、被災地をライヴで廻っていると、自分の曲だけを歌うのは、自分の世界観の押し付けのような気がして。それよりみんなを癒せること、楽しませることに特価しないとダメだなって。ならばみんなが知ってる地元の民謡と、あと子供たちのためにジブリやアニメの歌。そういう歌を織り交ぜてライヴをやって。今作はそんな被災地での経験が大きいです。そこで民謡と出会ったし、書き下ろし曲の「きたぐにのはる」も被災地に行っていたからこそできた曲だし。私は都会に住んでいて、勿論、原発反対なんですけど、福島では同調圧力などもあって原発反対ってなかなか言い出せない方もいる。いろんな方がいる。いろんな方の心の奥にある思いを、ほんの少しだけど知ることができて。そういうことが『きたぐにのはる』の大きな原動力になったと思います。

(撮影 : 石田昌隆)

ーーちょっと振り返ると、前作『DUB IS THE UNIVERSE』のレコーディングの途中で震災があったんですよね。

リクルマイ : そうなんです。バンド・サウンドを録音しはじめた一週間後に震災が起きて、レコーティングは中断したんです。歌詞も変えたし。私は元々バビロン・システムに反対するような歌詞も書いていて、グローバリズムは大嫌いなので。一個人として巨大企業や権力を批判することは詩にしていたんですけど、震災が起きて原発が爆発して、そういうことをもう少し明確に書きたくて。「原発やめろ」っていうふうに書き直した箇所もあります。

ーー前作は怒りのアルバムと言っていい作品でしたね。

リクルマイ : 原発事故が起きて最初の自分の心情として怒りがありましたし。ここで怒りの声をあげないとホントにとんでもないことになってしまうと。前作は怒りにフォーカスしたアルバムでしたね。

ーーそこから実際に被災地に何度も行って、怒りだけじゃない感情が出てきて。

リクルマイ : そうです。勿論、今も怒りはあるし原発には反対だし、これからも反対の声をあげていきますけど。でも怒ることが目的になると違うと思ったんですね。音楽は人の心を楽しくさせたり、仲が悪い人も一緒に踊れるような、そういう時間を作り出せるものなので。次のアルバム(今作)は「そういうアルバムを作りたいな」っていう思いはどんどん出てきましたね。

ーーそして民謡と出会った。レゲエと民謡の共通項ってなんだと思います?

リクルマイ : 自分自身も考えたんですけど。わかったことは、レゲエも民謡も人の営みの音楽なんだなって。そのなかにいろんな世界観があって、喜びも悲しみも闘うことも。そしてそれを「ひとりだけのものにはしないでみんなのものにしよう」「みんなで楽しもう」「みんなで闘おう」ってことが、レゲエと民謡の共通するところなんじゃないかなって思います。

ーー前作までは一個人の歌として発していたのが、歌をみんなのものにしていこうと。

リクルマイ : そうですね。共有していけるものだと思ったんですね。

レゲエも民謡も人の営みの音楽なんだなって

ーー今作、みんなですぐに歌えますもんね。その民謡を知らなくてもきっとすぐに口ずさめる。おっしゃったように、人々の営みから生まれた音楽だからなんでしょうね。

リクルマイ : そう思います。

ーーヴォーカル・スタイルも変化してると思います。今作はリズミカル且つ伸びやかで。とても素直な感じがしました。

リクルマイ : 実際に千田けい子さんから月に二回お稽古をつけてもらってるんですよ。歌い方に関しては、ちょっとお稽古の成果が出てるかな。

ーーヴォーカルに関して意識の変化はありました?

リクルマイ : DRY&HEAVYを脱退して8年ぐらい経つんですけど。DRY&HEAVYの頃は英詞だったんですね。英詞でクールな佇まいで、海外の人からもクールって思われたい的な(笑)。ソロになって日本語レゲエをやるようになって、もっとみんなと気持ちを共有したいって思いが大きくなって。その思いは震災によって更に強くなっていったんです。自分の世界を自分だけで歌うのではなく、みんなと共有したい。そういう思いが歌い方にも出ていると思います。で、みんなと共有すること、そういう歌や歌い方って凄く難しいんですよね。例えば被災地では年齢も幅広いしいろんな方がいる。だからこっちも工夫しなきゃいけない。試練の場です。そういう場にいるっていうのは凄く良かった。ジンタらムータ、桃梨、ソウル・フラワー・ユニオンと、ジャンルを超えてお付き合いできる方が増えていったのも自分にとっては大きな財産で。

ーーサウンドもジャンルを超えたものになっているし。

リクルマイ : うれしいです。今作は土台になってるのはレゲエの大定番って言えるリズム・トラックで、エンジニアもダブの手法を取り入れて、レゲエ然とした楽しみ方もできると思うんですけど、そこにジンタらムータの大熊ワタルさんとこぐれみわぞうさんの2人が加わってくれたのがホントに大きいなと。チンドンのビートとレゲエって凄く合うんですよね。

ーー今までやってきたことと新たに出会ったことを融合させて。

リクルマイ : そうです。だって民謡歌手の方は小さい頃から歌ってきて、本当に長年修練を積んだ方ばかりで。そこに私のような半端者が飛び込んで、民謡やってますって偉そうなこと、おこがましいことは言えないです。でも、レゲエ畑で育ってきた私が民謡に出会った、その化学反応や面白い実験は自分にしかできないことだなと。もう気合でやってるとこもありますね(笑)。

ーー具体的に民謡のカヴァーを音源にしようと決めたのは?

リクルマイ : まず震災と原発事故は多くの人がそうであるように私にも凄く大きなもので。震災以降、曲や歌詞が全然書けなかったんです。何を訴えていけばいいのか、どういう歌を歌えばいいのか、凄く考えてもがいて。で、今年(2014年)の2月ぐらいにフワッと降りてきたのが「きたぐにのはる」の歌詞。すぐにウクレレでメロディをつけて。自分でも信じられないぐらいアッという間に書きあがっちゃったんです。それまでさんざん苦しんだのに。相方のThe Kくんに「こういうのできたから聴いてみて」って歌って。最初は泣いて歌えなかった。いろんな思いが詰まった歌詞なので。でもステージで泣くわけにいかないからとことん練習して。「きたぐにのはる」をシングルで出そうか、アルバムとして曲が溜まってから出そうか、いろいろ考えたんですけど、「あの日からはや3年」って歌詞にあるように、(震災から)3年経ってようやく書きあげた曲っていうところを大事にしたくて。3年の間、都会では日常を取り戻して被災地のことを忘れてしまっている、そういう事実がある。だから、忘れない、その喚起になるように今出したいっていうのがあって。で、ライヴで民謡レゲエも同時に進行していたので、民謡のカヴァー曲を抱きかかえたミニ・アルバムってとこに落ち着きました。


「相馬盆唄」Likkle Mai Band 2014/12/07「Millibar18周年大忘年会ライヴ!」

ーー3年近く経って、やっと作れた曲だったんですね。

リクルマイ : ええ。突然、溢れ出てきたような感じに。

ーー「きたぐにのはる」の歌詞は、具体的な日常の風景が浮かんできますよね。

リクルマイ : 情景が思い浮かぶような、みんながその情景を想像しやすい歌詞ですね。ニュアンスっぽい歌詞やどうとでも取られる歌詞じゃダメだなって思って。

ーー聴き手が各々違うイメージを浮かべるっていうのも音楽の面白いとこだけど、この曲は伝えたい思いがハッキリあるわけだし。

リクルマイ : ええ。ただ、自分でこの曲がいいなと思うのは、人は以前からみんな一人一人が傷ついて苦しんでますよね。震災がそれを露呈したっていう。私達はいつ死ぬかわからないし、みんな一人ぽっち。だから繋がりを求めてるし。この曲は被災地のことを歌ったいるけど、いろんな場所で歌って、「いい曲だね」って言ってくださる方がたくさんいて。たぶん、その人の中にもこの曲に共感できる部分や、自分がこの曲のような思いを経験してきたのかもしれないなって。被災地のことだけじゃないんですよね。例えば宮古は大きな自治体だから復興は進んでいるんですけど、周辺の村のような小さい自治体は取り残されて、今も家がないような状況があるし。そういうことって地方都市が抱える問題とも共通してますよね。グローバリゼーションが進んで、シャッター街が増えてメガ・ショッピング・センターだけが残るって図式。どこの地方都市でも共通する。

ーー確かに。3年経ったからこそ、他の地域でも共通する問題だと気づきますね。

リクルマイ : ですよね。そして皮肉なことに、過疎化の進んだ沿岸沿いに原発が置かれてるんですよね。原発があるから潤うだろうって。またいつあのような事故が起きるかわからないのに。そう考えると被災地の歌ではあるけど、その奥に様々な問題、そういう場所に暮らす人の思い…。だから、いろんな人々が自分と重ねられる曲になったと思ってます。で、具体的な事柄の歌詞だからこそ、詩の書き方や伝え方は考えて、勉強になりました。幅広い世代に楽しんでもらえるような音楽を作りたいし、かといって世と迎合するような形じゃなくて。自分の目線を大事にして。「きたぐにのはる」もユーモアは込めたつもりだし。

ーーリアルで切実なことを歌っているのに、笑いも優しさもある。逞しい歌ですよね。

リクルマイ : 嬉しいです。民謡にも皮肉や反社会的な表現はあるし、勿論レゲエにもある。ゲットーから生まれた音楽は逞しいんですよね(笑)。

ーー最初に被災地に行かれたのはいつ頃?

リクルマイ : 震災の3週間後ですね。それまではガソリンがなかったし、事故対応や運搬など必要な車が優先ですし。ようやくそれが解消されて、車に物資を詰められるだけ詰めて向かいました。車の窓も開けずにピリピリした緊張感で東北道を進みましたね。

ーーその時は歌うためではなく。

リクルマイ : 歌ってほしいって言われたら歌おうって思って、マイクと楽器は持って行ったんですけど。でもそれどころじゃないだろうとは思ってたし、ホントに手伝いに行くって気持ちで。でも、その行った先のお寿司屋さんの方が、宮古市の重茂って地区に漁協があるんですけど、その漁協の広間でお寿司を振舞うから一緒に行こうって言ってくださって。そこで歌いました。小中学生メインなのでドラえもんの歌、ジブリの歌、そういう曲を折り込んで。

ーー現場を見て、パッとそういう曲を歌おうって?

リクルマイ : そうそう。自分のライヴ・ショーなんかやる場所じゃないなと。この場で求められているのは自分のショーじゃなくて、人がよろこぶもの、癒されるもの、子供たちが楽しめるものだなって思ったので。「宮古出身のレゲエの歌のお姉さんでーす!」って挨拶して(笑)。子供が笑顔になると親もニッコリするんですよね。それを目の当たりにして。音楽が人を明るくさせる力を持ってること、そしてそれは繋がっていくことを再確認しましたね。音楽ってお寿司みたいにお腹を膨らますことはできないけど、心を明るくすることはできる。大変な時に音楽は必要なのか? って思ったり。でも大変な時だからこそ音楽が必要になることもあるんですよね。でも難しいです。みんなを楽しくするのは凄く難しいと思いました。地元ということもあって被災地でお手伝いをさせていただいて。とにかく一生懸命やりますって気持ちだったんですけど、「邪魔になってないだろうか?」とつねに考えたりして。そういう現場が実は一番自分を磨いてくれたのかもしれない。ただ歌だけ歌って帰るじゃなく、現場に行ってお手伝いをして皆さんと話して、そういうことが自分の表現に絶対に反映されいていますし。何より楽しいですしね、いろんな場所でいろんな方とお話するのは。

ーーいっぱいあるでしょうけど、特に印象に残ってることってなんでしょう?

リクルマイ : 何度もライヴをしているうちに「『きたぐにのはる』のCDが出たら買うからね」って言ってくださる人もいて。故郷の人々の応援はやはり嬉しいですね。一番覚えているのは、宮古のマリンコープってスーパーの特設スペースみたいなところで歌ったんです。私のことを知って来てくださった方もいれば、たまたま買い物で来て遠巻きで見てる方がいたり。そこに買い物のカートを引いたおじさんがいて、「きたぐにのはる」を歌っている時に、ハラハラと涙を… 、顔に手をあてて泣きはじめて。その様子を見て自分もこみ上げるものがあって。楽しんでもらえるように歌ったつもりが、彼の中の凄く辛いことを思い出させてしまったのかって。私もいたたまれない気持ちになってしまって。でも、終わってから「いい歌だ」って言ってくださって。それぐらい大事な歌になってもらえたんだなって、ありがたかさと同時に歌に対しての責任感みたいなものを感じましたね。

ーー「きたぐにのはる」を聴いて、抑えていた思いが湧き上がってきたんでしょうね。それこそマイさんがこの曲を作った時と同じように。

リクルマイ : あぁ、そうであれば嬉しいですね。

ーーところでマイさんの社会に対する意識は、レゲエを聴いたことによって出てきたものですか? それとももともとあったもの?

リクルマイ : 完全にレゲエを知ってからですね。それまでは特に問題意識も持たず。もともと音楽は好きで中学の頃からロックを聴いて、U2が好きでしたね。U2もメッセージ色の強いバンドだけど、その頃はそんなことは考えずに。ボノの声がいいわ~って感じで(笑)。レゲエを知ったのは、高校生になって学校の帰りにレンタルCD店に寄って物色してたら、たまたまなのか間違えたのか、ロックのコーナーにボブ・マーリーがあったんです。借りてみたら、今まで聴いていたロックとは全然異質で凄く衝撃を受けて。東京に出てきてからはレコ屋さんでバイトしてレゲエのクラブに通って。レゲエの勉強一筋。下北沢のクラブでDRY&HEAVYのメンバーと知り会って。そういう場からバンド活動が始まっていきました。

レベル・ミュージックも生活があってこその音楽ですし

ーーレベル・ミュージックが好きでも、当時は社会や政治に不満を持たなくても楽しく生きていける時代でしたよね。その中で、日本でレベル・ミュージックをやることをどう考えました?

リクルマイ : 私もそれを当時すごく考えて。ジャマイカの70年代はみんなが貧しくて、暴動も起きるみたいな日々で。今は日本も貧困が大きな問題になってますけど、私の学生時代はバブルがはじけてもまだ余力があったイケイケな時代。その中で「自分はなんでレゲエが好きなんだろう? 貧しい人を鼓舞するような音楽をなんで好きなのかな?」って考えたんです。そしたら、物資は揃ってるけど心の充実がないんだって。心の貧しさ、心の栄養不足。だから70年代のジャマイカの、虐げられていた人たちの叫びが自分にも響くんだなって。私は音楽によって充実感を得られて救われていました。私がいた頃のDRY&HEAVYは若者に支持されたしCDも今より売れていた時代。とても恵まれていました。でも内心もっと自分が心から思ってることを歌いたいって、渇望していたんですよね。そう思いながらもDRY&HEAVYは海外ツアーもさせていただいたりして海外ライヴ・ツアーの機会にも恵まれて。海外に行って外の世界を知って。そしたら更に本当に自分の心から出てくる言葉で歌いたいって思って。それでDRY&HEAVYを脱退したんです。ソロになって、世の中は芳しくない方向に進んでいき、レベル・ミュージックが本当に必要になってきた。でもレベル・ミュージックは抵抗するための音楽だけど希望の音楽でもあるし。自分はより広い外の世界を知ったおかげで歌の世界も広がっていったと思います。今はThe K君と2人で自主レーベル〈MK STARLINER〉をやっていて、小さな小さなレーベルですけど本当にやりたいことをやっていますし。大変だけど希望を持ってやれている。

ーーストリートから生まれたものですもんね。レゲエも民謡も。

リクルマイ : ええ。レベル・ミュージックも生活があってこその音楽ですし。

ーーあぁ、自分の生活を前に進めるものがレベル・ミュージックなのかもしれないですしね。そういった経緯や思いが、3.11以降の活動と繋がって。チャリティ活動もやってますよね。

リクルマイ : 震災後ちょっとしてからLOVE BOAT基金っていう、宮古の漁師の方々に小型ボートを支援するための募金を始めました。ボートを一艘贈呈して、今は一旦募金は休んでる状態なんですけど。宮古の地元の方や音楽仲間からもたくさんの協力をいただきました。

ーー反原発デモにはすぐに参加しようと?

リクルマイ : やはり怒りは凄くあったので、歌える場を与えてくださるのなら怒りをぶちまけてやれって、すぐに参加しました。

(撮影 : 石田昌隆)

ーー3.11以前は社会運動的なことはやっていたんですか?

リクルマイ : 自分から能動的にではなかったんですけど、鎌仲ひとみ監督の『六ヶ所村ラプソディー』の上映会でのライヴの話をいただいたり。私の周りの人々からはそういう機会をいただくことが多くて。誘われたものには参加してました。でも市民運動・社会運動のことは全く知らなくて。震災後、最初に反原発デモでサウンド・カーに乗って歌った時も「怒りをぶちまけるぞー」ってノリで。知らなかったからよかった面もあると思います。変な緊張もせずにやりましたから。気分爽快でしたね(笑)。自分が「脱原発!」って言ったらみんなもコールしてくれて。ホントにライヴだなって。最初はそんな感じで。でもずっと同じ表現をしていてもお互いに飽きちゃうし、どうやって常に新鮮に受け取ってもらえるか、なによりちゃんとメッセージが伝わるように。私自身、歌い手として参加している面もあるし、一人の市民として参加している面もある。そういうところでも自分の表現が問われていると思うし。修正して改正して、その繰り返しです。

ーーお話を聞いてると、マイさんは現場にバッと飛び込んで行く人なんですね(笑)。

リクルマイ : 好奇心が旺盛だとはよく言われます(笑)。

ーー好奇心、大事です。そういう好奇心からスタートで全然いいですよね。

リクルマイ : ですよね。なにかしたいんだけどアクションをするきっかけがないって人は、今もいると思います。けれども、大事なことは伝えていくことだと思うんです。自分一人でいろいろなことをやれるわけではないし、自分がやれないことは誰かがやれるかもしれない。例えば、今ここで遠藤さんと2人だけで話をしてますけど、遠藤さんがネットの向こう側の人たちに伝えてくれる。私も『きたぐにのはる』のCDをみんなに聴いてもらえる。それがなにかアクションのきっかけになる人がいるかもしれない。そうやって広がっていける。例えば今作でカヴァーしている添田唖蝉坊の「ノンキ節」は約100年前の歌で。100年間、ずっと残っているのは人々が伝えてきたからだと思うんですよ。別に大きく取り上げられなくても、人から人へと伝えられてきた。私はこの「ノンキ節」で、自分がやりたいことを100年も前にやってた人がいたっていうことに、凄く勇気をもらったんです。そういった心の動きが行動に繋がっていくものだし。やっぱり外にどんどん出て、そして思ったことを人と話す。伝えるだけならネットでもできるでしょうけど、その場所の空気、匂い、人の表情を感じながら。これからますます、そういうことが重要になっていくと思います。


添田唖蝉坊・ノンキ節 / 土取利行(弾き唄い) Nonki-bushi/ Toshi Tsuchitori

ーーじゃ、最後に、民謡レゲエの今後の展望を(笑)。

リクルマイ : 添田唖蝉坊を知ったのが本当に大きかったんです。ボブ・マーリー級の衝撃でした。ジンタらムータやソウル・フラワーのおかげで知ることができて。怒りのなかにもユーモアもあって。ユーモアや笑いって高等なテクニックが必要だと思うんですけど、どんどん挑戦してみたいですね。人間らしい歌、逞しくて楽しい音楽を歌っていきたいです。

遠藤妙子 PROFILE

80年代半ばよりライターとしてパンク・ロック雑誌「DOLL」などで執筆。DOLL廃刊後もアンダーグラウンドで活動するバンドを軸に、ロック・バンドへのインタヴュー、執筆に加え、2011年にライヴ企画をスタート。ライヴ・ハウス・シーンのリアルを伝えていくことを目指し活動。

RECOMMEND

アラゲホンジ / たからかぜ

民謡レゲエに対して、こちらは民謡とソウル、ファンク、アフロ・ビートを意欲的に結びつけてきたバンド。『きたぐにのはる』全体には、レゲエとともにある種のアフロ・グルーヴも流れている。

中川 敬 (ソウル・フラワー・ユニオン) / 銀河のほとり、路上の花(24bit/48kHz)

ポスト3.11のリクルマイを語る上で、おそらくいわゆる近いレゲエ・シーン以上に、ともに活動してきた感のあるソウル・フラワー・ユニオン周辺。また民謡や添田唖蝉坊のような大正期演歌をロック、アイリッシュ・トラッドなどを結びつけて、現在にプレゼンしたという意味でも、影響は大きい。周辺人脈の大熊ワタル率いるジンタらムータとリクルマイがカヴァーしたことで知られる「平和に生きる権利」の中川敬のヴァージョンも収録。

滞空時間 / RAINICHI 来日

こちらはガムラン・ミーツ・秋田音頭。音頭とインドネシア音楽という組み合わせも、同時代に出てきていることは興味深い。またいわゆる民謡のネイティヴなシーンからそうしたポップ・ミュージックへとアプローチするシンガー、木津茂理の参加もポイント。

LIVE INFORMATION

2014年12月20日(土)@大阪SOCORE FACTORY, COVENT GARDEN,CORNER STONE BAR
2014年12月21日(日)@神戸El DOMINGO grande
2014年12月29日(月)@国分寺Café Slow

「モモナシ × Likkle Mai & The K ツアー!2014 東京ファイナル!」
2014年12月26日(金)@吉祥寺スターパインズカフェ

PROFILE

リクルマイ

DUBバンドDRY&HEAVYの元・女性ヴォーカル。05年更なる飛躍を求めソロとして始動。06年『ROOTS CANDY』、07年『M W』、09年『mairation(マイレーション)』をリリース。ギタリストThe Kとの2人編成ユニットLikkle Mai & The Kと、レゲエ界のベテラン奏者で構成されるLikkle Mai Bandでの活躍は国内外に及ぶ。特にハワイでの人気は特筆すべきもので4度のハワイ・ツアーを成功させている。同様にカナダ、オーストラリア、台湾、フィリピンでも現地のファンから熱い声援が送られている。

2012年5月発売の配信シングル『The Life Is Simple And Beautiful』は大塚製薬ポカリスエット「たけしとインドネシア編」のCM曲となる。7月リリースの最新作『Dub Is The Universe』は前作『mairation』に続きミュージック・マガジン・ベスト・ディスク日本レゲエ部門第一位に輝く。

2014年は七尾旅人「百人組手」への出演やソウルフラワー・モノノケ・サミットのツアー参加をはじめレゲエ以外でのフィールドで活躍の場を広げ新たなファンを獲得している。そして東日本大震災で被災した故郷・岩手県の沿岸部に暮らす人々の心情を克明に描いた話題沸騰の書き下ろし新曲「きたぐにの はる(仮)」やレゲエの名トラックに東北の民謡をのせた一連の民謡レゲエを収録したミニ・アルバムがいよいよ12月17日発売。
希望郷いわて文化大使。

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