ラフで正直な歌詞からは「今、ここ」で生きる覚悟が感じられる
アジカンが音楽の原体験だという人は少なくないと思う。僕たちを代弁しているように聴こえた歌、真意を汲めなくても十分魅力的だった歌詞。鋭いギターに憧れて音楽を始めた人も沢山いるだろう。そういえば文化祭ではいつも誰かがアジカンの曲をコピーしていた。少年少女がギターに向かう衝動はたとえ上手くなくても力強く、それを肯定するアジカンの音楽は絶対的だった。しかし、あまりに強烈な原体験ゆえに、その後アジカンから離れた人もいるのではないか。それはアジカンの音楽が色あせたからでは決してなく、自己投影にふけっていた自分と距離を置くために。
Gotchこと後藤正文から届いたソロアルバムは、そういう人にこそ聴いてほしい。タイトルは『Can't Be Forever Young』。アジカンでは挑戦できなかったようなルーツ・ロックやUSインディ、ヒップ・ホップの要素まで感じさせる多彩な楽曲が、落ち着いた歌声と卓越したポップセンスによりひとつの作品としてまとめられている。シー・アンド・ケイクなどを手がけるジョン・マッケンタイアの角のとれたミックスの功績も大きいだろうか。張り上げるようなシャウトも鋭いギターもないから、文化祭でやるには渋すぎるかもしれない。しかし、本作は決してアジカンと全く別の流れに位置づけられる作品ではない。先ほどは勢いのあまりアジカンを若者のヒーローとして定義づけてしまったが、実際のアジカンはちゃんと年齢を重ねているバンドである。本作ではそのように変化し続けるバンドの、変化の力点とでもいうべきものがうかがえる。〈出口なき闇をさすらえよワンダラー(「Wonderland」)〉〈世間を呪うヒマなんてないさ/いのちを燃やしたいだけ(「Can't Be Forever Young」)〉シニカルな視点やくたびれた口調のなかに、ふいにあらわれるこうしたラフで正直な歌詞からはGotchの「今、ここ」で生きる覚悟が感じられる。「今、ここ」で生きるということは、自分が自分として生きることであり、それが(特にここ数年の)アジカンの人間讃歌的な面に繋がっているのだが、本作ではそこに気負いのようなものはなく、年齢を重ねたゆえの諦念や切実さで優しく歌われる。
〈まるで僕らは初めから/全てを失うために生まれたみたいだな(「Lost」)〉〈心臓もいつか止まってしまう(「Can't Be Forever Young」)〉。そうかもしれない。しかし、それでも僕らは生きるのである。今ここで、自分自身として。いのちを燃やすとはそういうことだ。(Text by 小沼理)