2014/11/18 19:17

震災・原発事故から二年以上の月日が経った。平静を取り戻しているかのように見えても、勿論、まだまだ問題は山積みで、それは私達の生活に大きく関わっているものだ。この特集は、生活の中で被災地支援や反原発の活動をしている表現者達(ミュージシャン/画家/漫画家 etc...)の話を聞くためにスタートした。私達の隣にいる友人のような表現者達が、震災と原発事故にどう向き合ってきたのか。その話は私達自身がこれから何をするかのヒントになるだろうし、これからの世界は私達一人一人が地道に考え行動して作っていくことが重要だと思うのだ。いわばアンダーグラウンドからの発信であり、それこそがリアルな声だ。未来を作るのは現在を生きている私達なのだ。(遠藤妙子)

2013年夏発売予定の『TRASH-UP!!』で「message from underground」を大特集

message from undergroundとは
トラッシュ・カルチャーを追求する雑誌『TRASH-UP!!』と音楽配信サイトOTOTOYが、共同でお送りする企画「message from underground」。2013年4月から7月まで、ライターの遠藤妙子が被災地支援や反原発の活動をしている表現者達に取材、毎月インタビューを掲載します。OTOTOYでは4月より7月まで、毎月1本ずつ記事を掲載。そして、『TRASH-UP!!』では、OTOTOYで掲載された記事に加え、掲載できなかった表現者の記事も掲載。最終的に『TRASH-UP!!』の2013年夏発売号で、「message from underground」の完全版をお読みいただくことができます。表現者たちが何を思い、どのような活動をしているのか。普段は日のあたりにくいアンダーグラウンドからの発言を見逃さないように!!

TRASH-UP!! とは
「TRASH-UP!!」(トラッシュ・アップ)は、既成の概念にとらわれることなく、さまざまなトラッシュ・カルチャーを追求していく雑誌です。

次号は、5月上旬発売です。特集は、BELLRING少女ハート。

オフィシャル HP

第一回 : 悪霊 インタビュー

震災・原発事故から2年とちょっとが経過した。忘れられない人、忘れようとしている人、忘れてしまった人、忘れてはいけないと思う人。様々な思いが人々の心に宿っていることだろう。ラッパー、悪霊は、そんな人々が集まる街で「原発反対!」と声をあげる。強く、伸びやかで、時に怒り、時に語りかけるように、街の景色を瞬時に察知して放たれるその声に、私は何度も救われ鼓舞させられてきた。勿論、クラブでも活躍するラッパー / トラックメーカーの悪霊は、この2年間、ラップの本来の現場である街に出て、自らの思いと街を行く人々の思いを掬い上げるように声をあげ続けている。反原発デモの一参加者として歩きながら、またi ZooM i Rockers Hi-Fi (野間易通・ATS)と共にサウンドカーに乗りながら、しぶとく、諦めずに。

この特集の第一回目は、街という現場に出ている悪霊にどうしても話が聞きたかった。日常をタフに生き抜いていく彼の言葉、じっくり読んでほしい。

インタビュー&文 : 遠藤妙子
写真 : 前田将博
デモ写真 : 秋山理央
ライヴ写真 : William

俺は右も左も興味ない

——反原発については、3.11の前からラップされてたんですか?

いや、反核の曲はやってましたが、反原発はあまり念頭になかったですね。核兵器とか劣化ウランの問題が中東でありましたよね。そういうので、戦争に繋がるものへのアンチの曲はラップしてたんですけど。でもそれより昔、チェルノブイリは頭の中には残っていて。当時、俺は小学生で、少年マガジンに「チェルノブイリの少年たち」(三枝義浩)っていう漫画が載ってて、それにぶっ飛ばされて。今読んだらどう思うかわからないけど、やっぱガキの頃だからインパクトはデカくて。それでチェルノブイリや原発のことも認識はしていたんです。そっからちょっと年月が経って、再び原発を意識するようになったのが、辺見庸の『もの食う人びと』っていう本。凄く好きな本で。チェルノブイリ周辺に住んでる婆さんと一緒に飯食ったり、普通に放射線量が出てるとこでね。そこからいろいろな本を漁ったんですけど、ちょっとサブカルチャー的な受け止め方でしたね。それにまぁ、やっぱり対岸の火事だと思ってたし。ソ連だから起きたんだろう、日本は大丈夫だろうって。原発を使ってるのは同じ人間なのに、そこまで全然考えが行き着かなくて、まぁ、日本じゃ事故は起きないでしょって思ってて。

——それが日本でも震災があり原発事故が起きた。

全部ウソだったんだぜ、ってことだった。自分の中でも相当ショックはデカくて。なんでこんなことに気づかなかったんだろうって。

photo by 秋山理央

——私はチェルノブイリの頃、20才を超えてて、当時、それこそサブカル的に反原発っていう流れもあったんですけど、あっという間に忘れちゃいましたから。忘れたフリしてたというか。

実際、今の日本も、みんな忘れてはいないと思うんですけど、表面にはあまり出さないですよね。思いが心の中で沈殿してる時期っていうか。

——ソ連だから対岸の火事って思ったように、実際の生活に目に見えた被害を感じなければ、たとえそれが日本国内で起きたことでも対岸の火事って感覚になっていってしまいますよね。

そうですよね。それは絶対にいけないことなんですけど。でも俺も含めてチェルノブイリを知ってる人たちもそうだったから、まぁ、気持ちはわかりますよね。

——悪霊さん、ブログで、チェルノブイリより前の子どもの頃に、お母さんに連れられてデモに行ったことを書かれてましたよね。凄くジーンときたんですが、そういう下地みたいなものが…?

いや、ブログにも書きましたけど、特に政治の話をするような家庭ではなく。でもあれ、実はオチがあるんです。お袋は全然普通の主婦みたいにブログに書いてたじゃないですか。兄貴が読んでて、兄貴とばったり会って酒飲みながら話したら、「オマエ、知らなかったの? お袋、共産党員だったんだよ」って。党員だったかどうかわからないけど赤旗を配ってたって。お袋は俺が小学校一年の時に死んだんで全然そんなのわかんなくて。お袋からそういう話も聞かなかったし。ただブログに書いたデモは鮮明に覚えてて。確かアメリカのトマホーク開発の反対のデモでしたね。でも俺は思想とか、どっちかっつうと嫌いなんで。共産党のってことじゃなく思想というものが。お袋が赤旗配ってたこと聞いても、だからなんなんだって。俺は右も左も興味ないし。

——あぁ、そういう意味でラップっていうのは現実感が重要で、ある種、思想を排除した面もあるような気がするんですが。

ラップは街の言葉ですからね。街の言葉だし、路上で行われてる無駄話とか冗談とか井戸端会議(笑)。政治的なメッセージをやってる奴もいるけれど、根本的には生活感がベースなんで。

「ハレ」と「ケ」なら、ラップは「ケ」

——で、3.11以降、悪霊さん自身も変化があった。

俺の中での変化は…、例えばパブリック・エナミーってもろアンチ権力じゃないですか。俺もアンチ・ヒーローみたいなスタンスってカッコイイなイカスなって思ってたんですけど、原発事故があって、いざ自分が反原発の曲とかアップしていったら、別にアンチ・ヒーローとか反権力とかそんな話じゃなくて、もっと自分の生活とか、連れとか、仲間とか、将来とか、希望とか…、喜怒哀楽全部含めて生きていくために必要なもんなんだって思って、俺にとってヒップ・ホップとかラップは。反権力すらどうでもいい。なんかホントにラップっていうのが自分の身近なとこに染み込みましたね。

——なるほど。政府とか東電とか敵が明確になったわけだけど、でもそこで反権力になるんじゃなく、より生活を見つめるようになったんだ。

まぁ、すぐにそうなったわけじゃなく、段々とでしたけど。事故直後はやっぱ反権力だって思った。でも、なんかもう、より皮膚感覚でやってるだけだから。自分がこの先、生きていく上で邪魔なものですよね、原発って。それを無くすためにラップしたりデモに行ったりしてるだけで。

——原発事故が起きた後、何を表現すればいいか悩んだミュージシャンも多かったと思いますが、悪霊さんは?

最初にネットにあげた「No Nukes(Black And Yellow REMIX)」、あれも当時の気持ちそのまんまだし。逆にあの時期ってこの先いつ日本が終わるか、自分が死ぬかもわかんねぇってタイミングだったから、だったらラップしてねぇと収まりつかない、形に残さないとヤバイってとこはありましたからね。

——ネットにあげたのも速かったですよね。しかもBlack And Yellowって原発の色だし。シャレも効いてた。

トラックのネタがウィズ・カリファのわりとポピュラーな曲で。ピッツバークの街のシンボル・カラーみたいなんですけど、こりゃ原発の色だって。

——そういう浸透のさせ方っていいですよね。

思ったより浸透しなかったですけどね、あの企みは(笑)。

——あの時、ロックはバンドって形態のせいもあるし、曲をすぐに発表する人は少なかった。でもヒップ・ホップの、悪霊さんの速さにはとても救われました。

ラップの強みって体一つでできちゃうんで。言ったらフリー・スタイルなんてペンも紙も楽器もいらないですからね。よりフィジカルだし生ものに近いし。フレッシュであるってことが前提の表現だから。だからこそ、そうですね、ラップの強みっていうのはあの時期、感じましたね。あとたぶんロックとかのライヴって非日常ってとこがあるじゃないですか、いわば「ハレ」の場。ラップってライヴも日常感覚なんですよ。「ハレ」と「ケ」ならラップは「ケ」。クラブも街角の延長線上って感覚なんで。

——あぁ、「ハレ」と「ケ」、凄いわかります。悪霊さんがラップを選んだのも、そういう日常感覚や即効性に魅力を感じて?

家に金がなかったんで。音楽は凄い好きで聴いてたんですけど、なんかやりてぇなって思った時に友人からヒップ・ホップを教えてもらって。自分がなんかやるんなら、金ねぇし、体一つでできるのってダンスかラップだと。ダンスは性に合わないだろうし(笑)、やっぱラップでしたね。そんな感じで始めました。ラップって持たざる者の文化ですよね。ある種、文明ですよ。世界各国どんな奴でもできるっていう。

photo by 秋山理央

——発明ですよね。

そうです、凄いですよね。

——それが10代の頃で。当時は伝えたいことがあってラップを?

始めた頃は自分の頭の中の世界をラップしてるだけで。ガキでしたからね。で、20才で一回辞めて、6年間ぐらい。その間、いろんな音楽を聴いたり、本を読んだり人と会ったり、自分の置かれてる環境とか気づかされることが多かったんで、そういうことを書いてみようってまた始めました。世の中や自分の生活を自分の視点で書いていこうって。

——原発事故の前から生活とラップは繋がってて、事故以降、より密接になっていった。

3.11で自分だけじゃなく街や社会、それこそ生活が死と直結したってのがデカイですね。

行動してたら野暮なこと言わなくても届く

——で、事故以降の話に戻しますが、最初に反原発デモに行ったのは?

一参加者としては2011年3月27日だったかな、原水禁のデモ、どちらかというとオールドスクールなデモですね。友だちと行って。石黒さん(ex.キミドリ)と友だちが繋がってて、「石黒さんとかもいるらしいから行ってみよう」って。そうじゃなくてもこんな状況だし、少しでも意思を示さないと収まりつかないって。行ったら石黒さんが例の黒と黄色のステッカーみたいなのを配ってて。「あのキミドリの石黒さんがこんなもの配ってるんだー」って。もともと石黒さんはサウンド・デモとかやってるって話は聞いてたんですけど、「おぉーっ」って嬉しくなって(笑)。その時に、その後のTwitNoNukesのスタッフになる人達もいて。だからデモに対して違和感はなかったですね。それより何もしないではいられないって気持ちだったし。

——サウンド・デモにラッパーとして参加したのは?

2011年12月のNo Nukes More Heartsのデモです。夏に逮捕者が出たりして、サウンド・デモが、なりを潜めてたじゃないですか。でもサウンドデモは継続させないとって、No Nukes More Heartsの操さん(Misao Redwolf)は思ったらしく、俺を誘ってくれたんです。俺がネットにあげてた「No Nukes」と「For Children」を気に入ってくれてたみたいで。操さんや野間(易通)さんから話があって、「全然やります」って。で、野間さんがやってるi ZooM i Rockers Hi-Fiとやるようになった。俺もそれまでTwitNoNukes、右デモ、三鷹のデモも歩いてて。でも俺が行ったサウンド・デモって、バンドが演奏したりDJがダンス・ミュージックかけるってもので。一参加者として銀座のデモに行った時、東電の前を通ってるのに普通にインストのダンス・ミュージック流して通り過ぎるだけだったんですよ。なんもここでアピールしないのかって凄いやきもきした。サウンド・デモならもうちょっとストレートなアプローチがあってもいいんじゃないかって。サウンド・デモって言ってもデモなんだし。で、いざ自分がラッパーとしてサウンド・デモをやる時、コール&レスポンスがあってもいいなって思ったし自分の曲もやりたかったし。だいたい曲5割コール5割ってやって。そしたら結構衝撃的だったらしくて。そこから呼ばれるようになりましたね。

photo by 秋山理央

——うん。悪霊さんの声は強いし伸びやかだし。参加者が凄く声を出しやすい。ホント、衝撃だったし且つ自然だった。それって周りを瞬時に把握しながら…?

サウンドカーに乗りながら、やっぱここぞって場所ではみんなでアピールできるようにしないと意味ないですからね。それはデモ隊の人も同じモチベーションでやってるし。TwitNoNukesのデモがデカイですね。俺は最初から参加してたから、デモ隊の呼吸っていうのが肌に馴染んでたんで。スタッフも参加者との呼吸は考えてると思うし。ECDさんやATSさんとかもデモ隊の呼吸がわかってるからサウンドカーに乗って上手いこといく。あとRUMIもそうでしたね。あいつもTwitNoNukesによく参加してたし、新宿のサウンド・デモじゃコール&レスポンスに重点置いてやってた。

——まさに参加型ライヴだと思いましたもん。あ、ところでライヴとデモは違いますか?

全然別で考えてますよ。ライヴだと自分のエゴ全開で言いたいことを全面に押し出して、要は金とってお客さん来てもらうわけでそのへんも考えますけど。デモだとホントに、街全体を巻き込むぐらいの感じで…、あ、そういう意味じゃ変わんないですかね、フロアを巻き込むのがライヴなら街を巻き込むのがデモだし。でもライヴは自分が主体ですよね。デモはそのテーマに沿ったことをラップしたりパンチラインに乗せたり、アプローチの仕方は弱冠変わりますよね。

——デモ、ライヴ、生活。この2年間、悪霊さんの周囲には変化を感じました?

俺の連れで社会的なこととかメッセージとかはラップしないで、自分の楽しいこと、パーティーのことや仲間のことを歌ってる奴がいるんですけど、ライヴもスゲェ楽しくて面白いんです。そいつが金曜の官邸前抗議行動に行ってたりするんですよね。そういうの、俺はいいなって思うんです。ラッパーが全員、ミュージシャンが全員、反核や反原発を歌わなくてもいいと思うし。ただ、見るべきものを見たりいるべきところにいたりする奴なら、原発のこと歌わなくても何かしら感じられる。例えば「ストリートでサヴァイブ」ってありきたりなライム一つだけでも、こいつ、やることやってこういうこと言ってるんだよなって、凄く力強さを感じるんですよね。なんつうか、行動してたら野暮なこと言わなくても届くんだなと。だから一概に反原発の曲を作る作らないとか、そういう話じゃないなって。生き様見せつけてやりゃ良いんですよ。

生活の水面下に潜ってしまった時こそハッと気づかせる

——そうですよね。見るべきものを見てその人なりの表現でやればいいわけで。

うん。それに普段はパーティー・チューンしかやらないような奴が官邸前にいたらグッときますしね(笑)。

——くるくる(笑)。でも、だったら歌えよ、とは思いません?

タイミングだとも思いますよ。俺も事故の半年後とかは、なんでみんなやんねぇんだよって思ってた。でも、この2年間でそれとないニュアンスでラップしてる奴も増えました。こういう現状だからこそ日本のヒップ・ホップ、俺にとって励みになりますよ。4号機プールのこととか考えると焦りもあるんですが、ムキになってぶちかます時期じゃないなと。だって放射能汚染なんてこれから先も続くわけだから。

——長い闘いになるわけだから。

そう。これからもずっと続くんだから、自分が書くタイミングがきたらやってほしいって思うだけで。それに、文句言い出しちゃうとつまんねぇ分断を生みますよね。何よりそういうことを言っちゃうと世間と乖離しちゃう。すると街を巻き込めなくなると思うんですよ。

photo by 秋山理央

——あ、なるほど。コアになっていったらダメだと。

コアっつーか、カルトっぽく見られたら一般の人はついてこないですよね。街中ってやっぱり一般の人、渋谷なんか特に買い物に来たりする人が多い街だし。俺がその感覚から逸脱してサウンドカー乗ったら、やっぱ巻き込めないっすよね。

——確かに。街中の人を否定したら街中の人を巻き込めない。

うん。俺は結構この2年、わりとエモーショナルな感じでやってたんですけど、やり方とかはいろいろ変えていこうかなと。街の人やその時の状況によって。

——それが凄いですよ。どうしても頑なになりがちなのに。

でも街中でやるっていうのはそういうことだと思いますから。事態が事態だからこそ試行錯誤しないと。押しても駄目なら引いてみな、とか。なんたって非常事態宣言は解除されてないし、一度出された収束宣言を、安倍(晋三)は撤回しましたからね。

——最も伝えるべきことなのにあまりニュースにはならなかったですよね。

だからそういうことなんですよね、国のやり方って。国もメディアもコソッとシレーッと。国やメディアがシレーッとやってるから危機感は人々の中からはなかなか出てこない。そこで危機感を煽るだけじゃ受け入れられないと思うんですよ。

photo by William

——じゃ、そこでラップの役割っていうか、どういうことをどういうふうに伝えるのでしょう?

音楽そのものが政治を変えるってことはできないでしょうね。でも人の意識に刺激を与えるってことはできるわけで、そこで俺がやるのはテコ入れですよね(笑)。コソッと収束宣言撤回したこの日本で、どうやって反原発や3.11を風化させないか、続いているってことをいろんな人に認識してもらう、いや、たぶんみんなも認識してると思うんですけどね。それをより肌に染み込ませることですね、俺がやってることは。むしろちょっと風化しつつあるこれからが腕の見せどころなんじゃないですかね。生活の水面下に潜ってしまった時こそハッと気づかせる、それが表現者の役割だと思ってるんで。これからこそが音楽の出番ですよ。だってより日常にしていかなきゃいけないし、忘れそうになることだから想像力も持たなきゃいけない。それって音楽が最も得意とすることじゃないですか。ラップは特に日常のものだし、センセーショナルなものより肌に染み込ませるって意味で、ラップっていうのはホント、出番だなと。ユーモアも混ぜながらね。

——やっぱりそれは反原発の強い気持ちがあるからで、だから多くの人に届けなきゃってことで。

そうですね。3.11以降をテーマにするんであれば、やっぱり人の耳に届けなきゃいけない、聞きたくないって思われたらそれまでですから。今でも俺、強く言いたいことはいっぱいあるんです。でも自分が言いたいこと言ってスッキリしたで終わらせちゃいけないことなんで。俺はリスナーには説教したくないですからね。政治家とかいけすかねぇ奴には、ガンガン説教したいですけど。そういう奴らへの説教をリスナーと共有するには、やっぱりユーモアとかも必要で。いろんな人に美味しく聴いてもらって栄養になるような曲やラップをしていかなきゃって思ってます。

「飯食ってクソして反原発」

——ところで原発事故の直後、福島に行ったそうですが。

直後というか、2011年の5月です。4月にYouTubeで「No Nukes(Black And Yellow REMIX)」を発表した後、さてどうしようかと。福島行ってみないと自分がどうしたいのか、何をラップしたらいいのか見えてこないなと。常盤線で行けるとこまで行って。いわき市の原発から30キロ圏内かな。皮肉にもテレビやネットで流れてる絵そのまんまで。でも視覚以外の感覚は現地に行かないとわからなかった、臭いとかね。臭いは記憶に残ってますね。自分の中に身体感覚として取り込めて、もう他人事じゃねぇなって本当に思った。で、現地で知り合った奴らと救援物資を届けに原発から25キロの山奥にある農村に行ったんですよ。津波の被害はなく、自然が豊かな場所なんで、みんなのんびりしてて。何事もなかったようにせっせと野良仕事してるんですよ。俺なんか、お礼に畑で獲れたタマネギ喰ってくれって土産持たされたり。申し訳ないけど、当時は怖くて食べられませんでした。そういった経験もあって、見えねぇし、触れねぇし、感じられねぇ、放射性物質の厄介なとこをひしひしと感じて。コレはとんでもねぇもん世の中に撒き散らされたなって。ショックがでかかったですね。人間、槍が降ろうが放射性物質が降ろうが、腹は減るし眠くはなるしクソもする。それはたぶん、どんな時代のどんな場所の人でもそうだろうし、それが生きてるってことだし。「もの食う人びと」でも汚染地帯で暮らしてる婆さんとかそうだったじゃないすか。だからなんか、人間の逞しさと、現実とのギャップ、世界が静かに発狂してるなって。それが3.11以降の日常…。東京でもありましたからね。15日にフォール・アウトした、でも見えないし触れない、みんな普通に暮らしてて。そういう日常は今も続いてますよね。

グラフィック by ALEX

——そうですね…。だからこそ、日常も放射能も一緒にラップしていかなきゃいけないわけで。

ですよね。で、その後、去年の9月にも福島には行って。思うのは、俺はまぁ、自分のエゴで、好奇心みたいなのもあって最初は行ったんだけど、行ってみて、やっぱ意味はあったと思うんです。福島の人、話したがってますよ。俺が行ったとこは爺さん婆さんばかりで、話し出すと止まらないですからね。そうやって一人の人間として話すっていうか、そういうのは大事だなと。

——うん。これからは個人と個人の繋がりが、より大事になっていくと思います。

うん。もっと人と人とが行き交う場とかイベントとかね。ネットでもいいけどネットだけじゃ足りないな。福島に行けよと。行って会って、福島の奴も東京でもどこでも来られるなら来て。こっちも来られるような工夫して。ちょっとしたイベントとかライヴならやれますよね。別に原発をテーマとしたイベントじゃなくていい、一緒に酒呑んでバカ話するだけでいい。同じ時間を共有してほしいですね。福島っていう言葉一つで壁みたいなのがあってはならない。だって放射能汚染に県境とかないですからね。

——うん。話を聞いていて、今も変わらず最悪な状況ではあるけど、生活して生き抜くパワーを感じました。なんていうか、悪霊さんがラップをやってるのも必然だなって。

石田の親父(ECD)とか、たぶん近い感覚だと思うんだけど、子育てとか、俺は子どもいないけど、生活と反原発が同じようにサイクルに組み込まれて。語弊のある言い方かもしれないけど、そんなに大層な話じゃねぇよって。原発事故や放射能汚染もリアルだし、日本各地で反原発デモが勃発すれば、首相官邸前に万単位の人々が原発反対の声をあげるってのもリアル。そんな状況でも大飯原発が再稼働されてる。ハッキリ言ってマトモじゃないけど現実で起きてんだから、ラップするだけ。俺はそういう感覚でやってます。なんか今の内容だと非日常感バリバリに聞こえる人もいるだろうけど、今後はそういう人達との距離を縮める鍵を探したいです。そういった意味じゃ、街中のデモがもっと当たり前になればいいすね。それこそストリートのスケボーやグラフィティみたく、街角にイカした形で馴染んでいければ、次の世代でも続く奴らが出てくるだろうし。霞ヶ関、渋谷、中野、高円寺、国立と街の個性だってデモに出てる。それもさっき言った個と個の繋がりに近い気がします。各々のコミュニティを各々で活性化させて、一人一人に浸透していくようにしていくってことだから。もうガンガン街に出て、街に出たらデモやってたってぐらい日常になって。最終的には原発なんか無くて当たり前になってほしいですけどね。前に別のインタビューでも言ったんですけど、「飯食ってクソして反原発」って。2年とちょっと経って、飯食ってクソしてラップしてるけど、まだ終わってないよって。そうやって俺はテコ入れする(笑)。デモもラップも可視化させるってことが目的だと思いますから。状況と人の心に潜むものを可視化する。音楽って、そうやって磨かれていくものだし、世の中もそうかもしれませんよね。一人一人がなんらかの形で意思を表明して、そして世の中も強くなるのかもしれないですよね。

(2013年3月18日取材)

悪霊 PROFILE

東京在住のラッパー兼トラック・メーカー。高校の同級生でもあった般若、RUMIに触発され1996年にマイクを握り始める。 後にトラック・メイキングにも着手。都内各所のクラブでライヴやフリー・スタイルを繰り広げるも暫くして活動を休止。 それ以後、様々なジャンルの音楽を吸収しつつ、ビート・メイキングに没頭。2004年に再びMCとしてのキャリアを歩み始める。 ヒップ・ホップやドラムンベース、アブストラクト・ビーツ等のサイドMC、生バンドでのライヴ、MCバトルへの参加を重ね現場でスキルを磨く。 そうして培った経験や音楽性を地盤に独自の解釈でヒップ・ホップでの制作を開始。数々のデモCDを配り歩く。 2009年に所属するILL EAST RECORDSより1 st album 「Guerrilla DEMOnstration Sound」を発表。 戦争や経済格差、風営法等に対して歯に衣着せないラップを披露する。 2011年の東日本大震災をきっかけに反原発曲「NO NUKES black&yellow Remix」「for children」 チャリティ・ソング「The Day After」をインターネット上に発表。 2012年12月の衆議院選挙の際には政治や選挙について言及したビデオ「The choice is yours remix」をyoutubeにて発表している。

>>ILL EAST Records
>>ILL EAST RECORDS twitter
>>ILL EAST RECORDS週刊ブログ「IER times」
>>ILL EAST RECORDS bandcamp
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>>「NO NUKES」フリー・ダウンロード
>>「for children」フリー・ダウンロード
>>「The Day After」

遠藤妙子 PROFILE

80年代半ばよりライターとしてパンク・ロック雑誌「DOLL」などで執筆。DOLL廃刊後もアンダーグラウンドで活動するバンドを軸に、ロック・バンドへのインタビュー、執筆に加え、2011年にライヴ企画をスタート。ライヴ・ハウス・シーンのリアルを伝えていくことを目指し活動。

OTOTOYの連載企画『REVIVE JAPAN WITH MUSIC』

2011年3月11日以降、OTOTOYでは『REVIVE JAPAN WITH MUSIC』と題し、音楽やカルチャーに関わるもの達が、原発に対してどのような考えを持ち、どうやって復興を目指しているのかをインタビューで紹介してきました。2011年6月から2012年4月までの期間に、大友良英、中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)、後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)など9。そして、2013年2月、再び大友良英へのインタビューを試み、全10回の記事を電子書籍BCCKSにまとめて販売します。有料版の売り上げは、ハタチ基金へ寄付いたします。

BCCKSとは
BCCKS(ブックス)は、誰でも無料で『電子書籍』や『紙本』をつくり、公開し、販売することができるWebサービス。エディタで一冊本をつくるだけで、Webブラウザ、iPhone、iPad、Android、紙を含むすべてのデバイスにスピード出版できます。BCCKSのリーダーアプリの他、EPUB3ファイルでお好きなリーダーでも読書をお楽しみいただけます。
※製本版の購入にはBCCKS(ブックス)への会員登録が必要です
※電子書籍は、PCではSafari、Chrome最新版、デバイスではリーダーアプリ「bccks reader」またはEPUB3ファイルを落として対応リーダーでご覧いただけます

itunes Storeでbccks readerのiOS版をダウンロードする
Google Playでbccks readerのAndroid版をダウンロードする

【義援金送付先】
ハタチ基金 : 被災した子どもたちが震災の苦難を乗り越え、社会を支える自立した20歳へと成長するよう、継続的に支援をする団体。ハタチ基金についてはこちら

>>>【REVIVE JAPAN WITH MUSICを読む / 購入する】<<<

OTOTOY東日本大震災救済支援コンピレーション・アルバム(2013)

2011年3月11日に起こった東日本大震災の直後に、被災地への支援をしたいという強い思いからOTOTOYが中心となって関係者とともに企画し、たった6日間で創り上げたコンピレーション・アルバム『Play for Japan vol.1-vol.10』。200ものアーティストの賛同のもと、たくさんの方にご購入いただき、売り上げは4,983,785円にのぼりました(2012年1月1日時点)。震災から1年後の2012年3月11日には『Play for Japan 2012』を制作、728,000円を売り上げました。どちらも、その時点でお金を必要としている団体を選別しお送りしてきました。

『Play for Japan 2013』は、前2作のように、10枚×20曲のような大型コンピではなく、3つのテーマに基づいた、3枚のコンピレーション・アルバムを制作しました。テーマは、『Landscapes in Music』『沸きあがる的な』そして『a will finds a way』。オトトイ編集部やライター等3チームが、それぞれの思いを話し合いながらテーマとアーティストを選出。そしてそのオファーに答えてくれたアーティストの気持ちのこもった曲達によって出来上がりました。義援金は「ハタチ基金」にお送りします。被災地支援はまだまだ終りがありません。素晴らしい音源たちをご購入いただき、被災地支援にご協力いただけたら幸いです。

『Play for Japan 2013 〜All ver.〜』

(左)『Play for Japan2013 vol.1 〜Landscapes in Music〜』
(中央)『Play for Japan2013 vol.2 〜沸きあがる的な〜』
(右)『Play for Japan2013 vol.3 〜a will finds a way〜』

>>>『Play for Japan2013』の特集はこちら

OTOTOY日本復興コンピレーション・アルバム(2012)

『Play for Japan 2012 ALL ver. (vol.1-vol.11)』
『Play for Japan 2012 First ver. (vol.1~vol.6)』
『Play for Japan 2012 Second ver.(vol.7~vol.11)』

『Play for Japan vol.1-Vol.11』


>>>『Play for Japan 2012』参加アーティストのコメント、義援金総額はこちらから

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2011.5.15 映画『ミツバチの羽音と地球の回転』サウンド・トラックについてはこちら

2011.04.23 「Play for Japan in Sendaiへ 救援物資を届けに石巻へ」レポートはこちら

2011.05.02 箭内道彦(猪苗代湖ズ)×怒髪天の対談はこちら ※「ニッポン・ラブ・ファイターズ」ダウンロード期間は終了いたしました。

2011.06.11 「SHARE FUKUSHIMA@セブンイレブンいわき豊間店」レポートはこちら

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