DJ 敷島(谷川親方) × ANI(スチャダラパー)
——お二人はいつ頃から親交があったんですか?
谷川親方(以下T) : もう10年どころじゃないよね。
ANI(以下A) : 現役の頃からの付き合いだもんね。
T : ライヴ会場で紹介してもらったんですよ。年もアニが僕より少し上くらいで、そんなに変わらないんだよね?
A : そう。同世代。だから彼は角界には珍しい<渋谷系力士>だったんですよ(笑)。確かあの頃って若貴ブームの頃だったんだよね。
T : (笑)そうだね。僕は平成元年に部屋入りしたんですけど、スチャダラパーがデビューしたのもその頃なんですよ。だから道は違えども、ある意味同期と言っても過言ではない(笑)。
今でこそ若手の力士でヒップホップなんかを聴いている子達はたくさんいますけど、あの当時は僕みたいなのがライヴの会場にいたりすると「なんでこの場にお相撲さんがいるの? 」という目で見られました。そんな中でもアニのような相撲に関心を持っている人もいて、話せるようになっていきました。
A : 取組を観て気になっていた人だったので、会えた時は嬉しかったですよ。
T : 一時期はテレビで幕下からずっと相撲を観てたんでしょ?
A : でもそれくらい観てたのは、それこそ敷島が引退する辺りまでじゃないかなぁ。
T : それは光栄です(笑)。
A : 当時はBSで昼からずっと相撲中継をつけっぱなしにしていたんです。アルバムを作っている時はスタジオでみんなと観てますね。録っている合間に「次は横綱だからちょっとストップ! 」とかね(笑)。ワイド・ショーとかよりも相撲中継の方がずっと毒が出ていて面白いし(笑)。
T : (笑)毒! ? それはいいね。
A : (笑)ライヴにもよく来てくれてたんだよね。
T : そうだね。僕はボーズの声がすごく好きで。彼の声って言葉を伝えている感じがすごくするんですよね。「スチャダラって面白くてかっこいいな」とずっと思ってました。そんな中で、「“今夜はブギ—バック”を歌う力士がいる」という話がナンシー関さん辺りから伝わって、そこで僕とスチャダラパーと引き合わせてみようという話が回りで持ち上がったのがきっかけになりました。
——“ブギ—バック”をよく歌っていたんですか(笑)?
T : ちょんまげ付けてね(笑)。当時はそんな力士は珍しかったかもしれないけど、今は決してそんなことないですから。若い力士がライヴ会場に行く事もよくあるし、彼らにもいろんな人と交流を持ってもらいたいですよね。やっぱりお互いが関心を持つと面白いですよね。
——アニさんは現役時代の敷島関をどう見ていましたか?
A : うーん。「今回もギリギリで勝ち越したなぁ」とか思ってましたね(笑) 。大体8勝7敗とか9勝6敗くらい。
T : (爆笑)確かにそうだったね。勝ち越した後も自分を高めていける人は、上位に行けるんだけどね。
A : でも幕内からは落ちない。その辺りも僕らと似てるなぁと思ってました(笑)。ガツーンとは行かないけど、残ってはいる。うちらはそんな感じの20年でした(笑)。
T : (笑)なるほどねぇ。
A : そういえば、断髪式にも出席させてもらいましたね。
T : あれはすごかったね。行司さんが「スチャダラパー。アニ殿。」って読み上げるんですよ。
A : あの時はすごい名前の人が多かったからね(笑)。「しりあがり寿殿。」とか(笑)。
T : 怒られたんだから(笑)。あれ読み上げてくれた人、あの後で木村庄之助(行司の最高位)になったんだからね。
A : サブカル的な人達がたくさん集まってたからね(笑)。
T : 『タモリ倶楽部』5回分は録れる顔が揃ってた(笑)。でもあの時は誇らしかったよ。「13年間頑張ってきてよかった」と思った。
A : 後日、ハサミを入れている時の写真を相撲協会の人が送ってくれて、まだ飾っていますよ。
T : これは前回もお話した事ですけど、自分がこうやって遊びながらいろんな人と交流を深めていく中で、若い人達にお相撲をアピールする自分なりのやり方を持てたのは、嬉しかったですね。やっぱりお相撲の世界に皆さんが持っているイメージって、僕らが実際に感じているものと違ったりもしますから。だから、朝青龍の事にしても、理事選の事にしても、本当はみんなどんな風に思っているのか聞いてみたくて。だから今日はアニにその辺をズバッと切ってもらいたい(笑)。
A : いやぁ(笑)。大変そうですよね。朝青龍は好きでしたよ。あのヒールっぽい感じがね(笑)。
T : 相撲協会って、いわば商店街みたいなものなんです。魚屋さんや肉屋さんを盛り上げようという気持ちでは一致団結しているんだけど、その一方で、個人商店の営業方針に関してはあまり突っ込まないんです。そういう世界をひとつにまとめようとするのは相当大変な事ですよね。でもそういう事情は引退してからわかる事であって、現役の頃にそんな事は考えませんよね。
——朝青龍が横綱になったのは確か23歳だったかな。その若さで異国の国技の頂点に立ったら、理解出来なかった事もたくさんあったんだろうとは思います。
A : まあ、血の気が荒い感じはしますよね。何せモンゴル人はローマまで行ってますからねぇ(笑)。
T : ここ、僕のところは「(苦笑)」にしておいてください(笑)。
A : (笑)顔つきが日本人に近いから、つい日本のマナーもわかるだろうとこっちは思いがちだけど、そもそも育った環境とかが全然違うわけじゃないですか。ハングリー精神が日本人とは違う気がするな。
T : 僕のいる部屋にもモンゴル人が一人いてね。彼が日本に来てまず嬉しかった事を聞いたら、「部屋の中が暖かい事だ」って言うんだよ。
A : 白鵬だって、入門するまでにいろんな苦労をしたんでしょ? 体重が足りなかったりして。
T : そう。彼は入門してからどんどん身体が大きくなっていったんだよ。それがいつの間にかあそこまで強くなったんだから、すごいよ。
——日馬富士も、最初は体重を増やす事に苦労していたらしいですよね。
T : モンゴル人は乳製品で身体を作っているから、日本人とは身体の質がまったく違うんですよ。以前に暴行事件があって稽古が問題視された事がありましたよね。もちろんあの事件は許されないものでした。ただその一方で、相撲の稽古とはものすごく厳しいもので、それを経て力士達は強くなっていくのも確かなんです。モンゴル人の力士達はそれがよくわかっている。去年の名古屋場所の時に、日馬富士が陸奥部屋に出稽古に来たんですけど、その時の稽古は素晴らしいものだったんです。彼らはきちんと格下の者の面倒を見ながらやっているなと感じました。
——ヨーロッパの力士はどうですか?
A : ヨーロッパ系の力士、結構好きなんですよね。ウォッカとか飲んで、痛みに対して鈍感になってそうなイメージがある(笑)。
T : ここは「(爆笑)」にでもしておいてください(笑)。把瑠都っていう力士がいるんですけど、彼は確かにヨーロッパの風が吹いてる感じはするね(笑)。すごくかっこいいんですよ。彼は場所入りする時に薄いサングラスをかけてくる時があるんです。日本人力士がそんなものをかけてきたら、「なんだそれは! 」ってなるだろうけど、彼はその姿があまりにも似合ってるから、誰も文句を言わないんですよ(笑)。九州でたまたま彼を焼き肉屋で見かけた時があったんですけど、次の日にまた会った時に「昨日、焼き肉屋にいたでしょ? 」と声をかけたら、「はい。焼き肉パワー! 」って言いながらウィンクしてきて、思わずドキッとしちゃいましたね(笑)。
A : 彼は確かに色気ありそうですね(笑)。がんばってほしいな。
——いい男と言えば、琴欧州もいますね。
A : あのブルガリア・ヨーグルトの化粧回しはいいですよねぇ(笑)。彼は優しそうだからなぁ。その優しさが大関止まりにさせてるような気がするよなぁ。
T : 彼は早い時期に膝を怪我してしまっているから、あまり無理をかけられないところもあるんだよね。
A : 敷島が現役の頃は、ハワイや南米の力士が多かったよね。今はもう『大相撲ダイジェスト』がやってないからなぁ。ダイジェストは今でも放送しているけど、深夜だからね。BSで外国人向けに英語の放送がやってるんですけど、それも面白いんですよ。実況の雰囲気も全然違っていて、すごく不思議なの。相撲中継って表記がすべて日本語でしょ? あれは外国の人が見たらまったくわからないよね。でもそれがすごくいいと思う。
T : あ、いいんだ?
A : うん。そこはわざわざ迎合しようとしなくていいと思う。むしろ雰囲気が伝わるよ。
T : それは嬉しい話を聞いたな。割(取組が書かれた紙)にローマ字表記のものもあるんだけど、例えば白鵬という名前の読み方がわかっても、漢字の示す意味はそれでは伝わらないんだよね。そこで海外のお客さんの要望にどこまで答えられるかというのは、難しいところなんだよ。
A : そこは興味があるなら、自分達で調べた方がいいよ。僕達が海外のスポーツを観る時もそうでしょ。
T : ありがとう(笑)。アニは最近の幕内で注目している力士はいるの?
A : 誰かなぁ。最近はしっかり観れてないんだよなぁ。昔はネットで相撲の写真を拾っては全部保存してたんだけどね(笑)。
T : すごい! それはいつ頃までやってたの?
A : 5年くらい前までかな。でも数が異常に増えすぎて、<大相撲>のフォルダがパンパンになっちゃってさ(笑)。
——これまで特に力を入れて応援していた力士はいませんか?
A : 若貴時代は曙を応援してましたよ。やっぱり王道よりもカウンターっぽい人が好きなんだよね。あと、黒海は応援しています。顔が好きなんですよ。なんか、ちばてつやの漫画に出てきそうじゃないですか(笑)。でも、日本人の力士が目立ってこないと、子供達が相撲に夢を持たないかもね。自分が子供の時は、どこかのお店に入るとラジオで相撲中継がかかっていたりして、興味がなくても相撲の情報は自然と入ってくるものだった。最近はそういう感じじゃないよね。僕は、今の子供達がもっと相撲を取るようになればいいと思っていて。情操教育的にもすごくいいと思うんです。ルールも簡単で、危険性も少ないし。僕が小さい頃は、よく相撲で勝敗をつけてましたよ。でも今は「勝ち負けを決めるのは良くない」みたいに教えるじゃないですか。でも社会に出るといずれそういう事にぶつかるんだから、相撲から学べる事はたくさんあるんじゃないかな。例えば身体が小さい子でも、相撲なら策を練って大きな子に勝つ事も出来るでしょ? そこで痛みや加減もわかるようになる。そうしたら悲惨な事件もなくなるよ。
——それ、めちゃくちゃいい話です。
T : アニはやっぱり最高だよ! 本当にそうだよね。力の加減も、勝った時の喜びも、負けた者への配慮もすべて学べるはずだよね。今はそういう事がわからない子が多いんだから、余計にそうだよ。
——親方はどういうきっかけでお相撲さんになろうと思ったんですか?
T : 身体がでかかったから回りに勧められただけなんです(笑)。昔、山本小鉄さんと古舘伊知郎さんのラジオ番組になんとなく電話をかけた事があってね。悩み相談のコーナーだったんだけど、まさか繋がるとは思っていなかったから、相談事を何も用意してなかったの(笑)。そこで「相撲とレスリングのどちらをやればいいか悩んでます」と言ってみたら、小鉄さんに「じゃあ来なさい」って言われてさ。そして新日本プロレスに行って小鉄さんに会ったんだけど、「もう少し身体を絞ってこい」と言われちゃってね。それで相撲にした(笑)。昔は身体が大きいとすぐ、お前は相撲取りかレスラーだって言われたんだよね。無我夢中で現役時代を過ごしてきて、今になって、よかったなと思っていますけどね。スチャダラパーも今年で20年だもんね。走ってきたねぇ。
A : まったく走ってないよ(笑)。低空飛行でここまでやって来ました(笑)。
——では最後に。朝青龍だけでなく、千代大海も引退してしまいましたが、今後の場所にお二人はどんな事を期待していますか?
A : そうだな。魁皇にはがんばってほしいですね。
T : 魁皇関は本当にすごいよ。
A : あとはやっぱり把瑠都が一番期待できるんじゃない? 稀勢の里はどうかな。
T : 彼は上位に対して力を発揮するから、取りこぼしさえなければね。心技体がしっかり備わったら、もっと行けるはずです。
——僕は豪栄道にも期待していますよ。
T : いいですよね。僕も期待しています。
——現在最も注目すべきは、やっぱり把瑠都?
A : 今日の話の流れ的にそうなるでしょう(笑)。そろそろヨーロッパの力士でひとつ抜けた人が出てきてもいいですよね。日本人力士にも当然期待したいところですけど。あとはそろそろ黒人力士に登場してもらって、新しい風を吹かせてほしいな(笑)。
T : (苦笑)
DJ 敷島 PROFILE
DJ敷島こと、谷川親方。 現役時代の四股名は敷島。最高位は幕内西前頭筆頭。横綱貴乃花より、初対戦から2場所連続金星を挙げるという記録を持ち、これからという矢先に心臓疾患で現役を引退。立田川親方の定年退職により、元大関霧島の陸奥部屋に移籍。現在後進の指導に当たりながら、夜な夜なDJをしている。
- blog “敷島こと谷川親方の現場主義!!!” : http://blog.goo.ne.jp/tanetaneshikishiki
ANI PROFILE
スチャダラパーMCとしての活動を中心に、スペースシャワーTVでのピエール瀧との番組『アニタキCAMP』(絶賛放映中)の出演や、ドラマ出演、CMナレーション、DJなど、存在、立ち位置、動向が様々な業界から常に注目を浴びている。08年6月には、ギャラリーで人生初の写真展『スチャダラパーANI展』を開催した。この個展をきっかけに、09年3月に、リトルモアより、写真集『ブリングザノイズ』を出版。スチャダラパーとしては11枚目となるニュー・アルバム『11』が発売中。さらに2010年2月24日にはスチャダラパー初となるオール・タイム・ベスト・アルバム『 THE BEST OF スチャダラパー 1990〜2010』をリリース。2010年5月には東京と大阪で20周年イベント『スチャダラ2010』を開催する。
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