album jacket
 How To Buy
TitleDurationPrice
思い出酒場  alac,flac,wav,aac,mp3: 16bit/44.1kHz 03:16
地獄谷クロスロード  alac,flac,wav,aac,mp3: 16bit/44.1kHz 04:38
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Album Info

『憂歌団』のルーツへと立ち返って生みだされた最新作。木村充揮と内田勘太郎。日本が誇る大阪のブルース・ブラザーズ。憂歌団という唯一無二のバンドを作り上げた2人が2014年3月12日、「憂歌兄弟」としてフル・アルバムをLP+CDで発表。憂歌団エピソード・ワン、伝説のバンドの歴史は1970年ここから始まった。1975年衝撃のデビューを飾ったバンド憂歌団。「ブルース・バンド」を日本語に翻訳した名を持ち、後に歴史に残ることになるこのバンドは、1970年高校生だったヴォーカル木村充揮とギター内田勘太郎が、音楽の神様に見守られながら、学校の教室で練習を始めたことから始まった。名曲・名演の数々を残し、バンドは1998年に無期限活動休止を宣言。メンバーそれぞれがソロ・キャリアを歩むなか、2010年10月に名古屋のライブハウス「TOKUZO」で内田のイベントに木村がゲスト出演、2人は12年ぶりの共演を果たす。翌2011年1月には大阪「BIG CAT」での木村のイベントに内田がゲストとして出演。大きな企てなどはなく、高校生の時に教室で練習していた頃のように再会し、ひとつずつその身体に染み込んだ互いの感触を確認していた。内田は後にインタビューで「木村くんは、やはりブラザーだとあらためて思う。二人で音を出すというのは、一度自転車の乗り方を覚えたら二度と忘れないように、身体が覚えていることなので、時間がどれほど経っていても自然にやれる」と語っている。2012年にオリジナル・メンバーでドラマーの島田和夫が他界。2013年に追悼イベント『憂歌団からの便り〜島田和夫祭』が計画され、9月7日、8日に「大阪なんばHatch」で15年振りに憂歌団が復活。その翌週より木村が、内田の住む沖縄へ飛び、歴代の名録音を手掛けてきたエンジニア鈴木智雄氏を東京より呼びよせ、ふたりで10の新曲と2つのカバー曲を録音。クリックもなく、カウントもなく、ヘッドフォンはたまに、二人で顔を見合わせて、何となく、なんとなく火花を散らせた、一発録りのリアル・サウンド。バンド結成のルーツまでさかのぼった、デビュー以前の憂歌団エピソード1ともいえるアナログであたたかくて、しかしスリリングな憂歌サウンドが忽然と姿を現したのでした。

Discography

Rock

『憂歌団』のルーツへと立ち返って生みだされた最新作。木村充揮と内田勘太郎。日本が誇る大阪のブルース・ブラザーズ。憂歌団という唯一無二のバンドを作り上げた2人が2014年3月12日、「憂歌兄弟」としてフル・アルバムをLP+CDで発表。憂歌団エピソード・ワン、伝説のバンドの歴史は1970年ここから始まった。1975年衝撃のデビューを飾ったバンド憂歌団。「ブルース・バンド」を日本語に翻訳した名を持ち、後に歴史に残ることになるこのバンドは、1970年高校生だったヴォーカル木村充揮とギター内田勘太郎が、音楽の神様に見守られながら、学校の教室で練習を始めたことから始まった。名曲・名演の数々を残し、バンドは1998年に無期限活動休止を宣言。メンバーそれぞれがソロ・キャリアを歩むなか、2010年10月に名古屋のライブハウス「TOKUZO」で内田のイベントに木村がゲスト出演、2人は12年ぶりの共演を果たす。翌2011年1月には大阪「BIG CAT」での木村のイベントに内田がゲストとして出演。大きな企てなどはなく、高校生の時に教室で練習していた頃のように再会し、ひとつずつその身体に染み込んだ互いの感触を確認していた。内田は後にインタビューで「木村くんは、やはりブラザーだとあらためて思う。二人で音を出すというのは、一度自転車の乗り方を覚えたら二度と忘れないように、身体が覚えていることなので、時間がどれほど経っていても自然にやれる」と語っている。2012年にオリジナル・メンバーでドラマーの島田和夫が他界。2013年に追悼イベント『憂歌団からの便り〜島田和夫祭』が計画され、9月7日、8日に「大阪なんばHatch」で15年振りに憂歌団が復活。その翌週より木村が、内田の住む沖縄へ飛び、歴代の名録音を手掛けてきたエンジニア鈴木智雄氏を東京より呼びよせ、ふたりで10の新曲と2つのカバー曲を録音。クリックもなく、カウントもなく、ヘッドフォンはたまに、二人で顔を見合わせて、何となく、なんとなく火花を散らせた、一発録りのリアル・サウンド。バンド結成のルーツまでさかのぼった、デビュー以前の憂歌団エピソード1ともいえるアナログであたたかくて、しかしスリリングな憂歌サウンドが忽然と姿を現したのでした。

Rock

『憂歌団』のルーツへと立ち返って生みだされた最新作。木村充揮と内田勘太郎。日本が誇る大阪のブルース・ブラザーズ。憂歌団という唯一無二のバンドを作り上げた2人が2014年3月12日、「憂歌兄弟」としてフル・アルバムをLP+CDで発表。憂歌団エピソード・ワン、伝説のバンドの歴史は1970年ここから始まった。1975年衝撃のデビューを飾ったバンド憂歌団。「ブルース・バンド」を日本語に翻訳した名を持ち、後に歴史に残ることになるこのバンドは、1970年高校生だったヴォーカル木村充揮とギター内田勘太郎が、音楽の神様に見守られながら、学校の教室で練習を始めたことから始まった。名曲・名演の数々を残し、バンドは1998年に無期限活動休止を宣言。メンバーそれぞれがソロ・キャリアを歩むなか、2010年10月に名古屋のライブハウス「TOKUZO」で内田のイベントに木村がゲスト出演、2人は12年ぶりの共演を果たす。翌2011年1月には大阪「BIG CAT」での木村のイベントに内田がゲストとして出演。大きな企てなどはなく、高校生の時に教室で練習していた頃のように再会し、ひとつずつその身体に染み込んだ互いの感触を確認していた。内田は後にインタビューで「木村くんは、やはりブラザーだとあらためて思う。二人で音を出すというのは、一度自転車の乗り方を覚えたら二度と忘れないように、身体が覚えていることなので、時間がどれほど経っていても自然にやれる」と語っている。2012年にオリジナル・メンバーでドラマーの島田和夫が他界。2013年に追悼イベント『憂歌団からの便り〜島田和夫祭』が計画され、9月7日、8日に「大阪なんばHatch」で15年振りに憂歌団が復活。その翌週より木村が、内田の住む沖縄へ飛び、歴代の名録音を手掛けてきたエンジニア鈴木智雄氏を東京より呼びよせ、ふたりで10の新曲と2つのカバー曲を録音。クリックもなく、カウントもなく、ヘッドフォンはたまに、二人で顔を見合わせて、何となく、なんとなく火花を散らせた、一発録りのリアル・サウンド。バンド結成のルーツまでさかのぼった、デビュー以前の憂歌団エピソード1ともいえるアナログであたたかくて、しかしスリリングな憂歌サウンドが忽然と姿を現したのでした。