僕たちは、
僕たちである以前に人間であり、人間である以前に動物であり、
動物である以前に「流動体」である。
今回のアルバムのテーマになるのが、「流動体」という言葉。
本来の流動体とは違った意味を含んでいる。
物理学の意味ではなく、どちらかというと、「変化」の意味に近い。
変わりゆく時代は、今を生きる人々が変化するから「流動」する。
そうやって変化を続ける意味はただ一つ。未来まで生存するためだ。
ただし、変化というのはそう易々とできるものではない。
自分の信念や、自分の安住の場所を放すことも多少しなければならないだろう。
怖いことから逃げずに戦う、変われない自分を恨み、戦うことに怯えても、
最終的には立ち向かっていく流動体、「人類」についての讃歌を込めたアルバムになった。
1曲目、「咀嚼と放電」は、子供から大人への「流動」、
同時に向き合わなきゃいけない嫌なことと対峙するための応援歌だ。
「換骨奪胎」という言葉には、オマージュという意味がある。
誰かが作ったものを咀嚼し、自分なりに放電していく。
その放電先が、誰かへの応援になってほしいという願いを込めた。
明るいコード進行をするかと思いきや、そこに思い切りぶつかる音を一部鳴らしている。
楽しいだけじゃない、辛いことも流れて動くなら見えてくる、というのを表現している。
2曲目、「怪物たち」は、数字が強い力を持った今、
数字の力の定義を「流動」していかなければというテーマで描いた。
再生数、閲覧数、登録者数、より数字に囲まれ、数字が強さを表すようになった時代。
数字が小さければ良かったり、逆に大きくなれば強かったり。
ただし、見えている数字だけでは測れない、見えなくても大きな中身が必ず存在する。
その中身が数字の力をひっくり返すように世界は「流動」していってほしいと願いを込めて作った。
このアルバムの中では一番古い曲になる。
3曲目、「非不°脳」は、逆に「流動」の中で、
変化しないもの、それを目覚めさせるテーマで作った。
この曲にはいろんな効果音が流れている。
FAXの音、電話の音、時報の音。どれも時代的には少し古めの音を用意している。
これらの音を初めて聴く人もいるだろう。しかしこれらの音は一種の呪いだ。
この音を現実世界のどこかで聴くたびに、この曲を思い出してしまう。
そうなれば、ヒプノ(催眠)にまんまと引っ掛かっている。
変化しない音だからこそ、この曲は機能していく。
でも人の気持ちは「流動」する。この曲がどう「流動」するか、楽しみである。
4曲目、「二十一世紀百鬼夜行」は、「流動」に耐えられずに生まで諦める人を、
大いなる存在たちがキュアするダークファンタジーだ。
変化に対応できず、生存を諦めて自殺してしまう若者を、
百鬼夜行のバケモノたちが救急車を追いかけて若者の生還を祈るという内容。
音圧や音のクオリティを爆発的に上げられた自負がある。
思わず笑ってしまうくらいのサイケデリックさが現れたが、それでいい。
人生は短いトラジディー(悲劇)である以上に、大きなコメディ(喜劇)であってほしい。
5曲目、「インダストリアルディスコ(Waltz.Ver)」は、
だいぶ初期に出した曲の「流動」形、リメイクという形で最高のものに仕上げた。
インダストリアルは「工業的」という意味があるが、
この曲の正しい意味は、イン・ダスト・リアル「ゴミの中にあるリアルな想い」である。
音の外れたジュ・トゥ・ヴーや、マイ・フェイバリット・シングスも、
曲のタイトルの意味で言えば、「あなたがほしい」「私の好きなもの」という意味で、
たとえゴミなんだとしても、美しくしか見えない人だっていると考えた。
そっちの方が魅力的だ。
6曲目、「ナンバーナイン」は、杞憂して世の中を憂う人にしか手に入れられない自由を描いた、
悲しみがもたらす幸福、その「流動」をテーマにした。
僕は常々、ネガティブが生むポジティブが最強だと思っている。
悲しいこと、辛いことを経験し、自分は呪われているんだと思う人が、
幸福や自由をやっと手に入れられたなら、その価値はずっと幸福な人よりも大きいだろう。
杞憂は9、自由は10という数字に当てはめ、
一番自由に近いのは、杞憂している人、というメッセージが込められている。
7曲目、「非電波国家ノ入電波国民」は、小さな「流動」と大きな「流動」を描いている。
小さな「流動」の積み重なりで、生活は過ぎていくが、
自分の本音はその生活を妥協する自分にうんざりしている。
大きな「流動」で世界を変えてみたいと思っている。
一人ではできない。孤独では世界は変えられない。
だからこそ、僕たちは繋がってみたい。
孤独からの「流動」。小さいように見えてとても大きい「流動」。
世界を変えるのではなく、なおしていきたいと考えられたのは、
ひとえに孤独だった僕の「流動」の成果だと思った。
8曲目、「人類統一創造試験」はこれからの「流動」についてを描いている。
世界中の人たちがものを作りやすくなった時代。
だからこそ埋もれて自分の存在価値を見失う人たちもたくさんいる。
ただ、どの創作者たちも、未来を創造する。未来の変わりゆく新しい時代を「流動」する。
その「流動」の行き着く先、人類が滅ぶ最期に、創作者の思想が生き残っていてほしい。
そういう途方もない願い、祈りをこの曲に込めた。
アルバムの最後の曲の最後の一節が、
「始め」になったことを、誇りに思う。
ジャケ写は、アナログで絵を描き下ろした。
タイトルも同じく「流・動・体」という絵だ。
変わること、流れて動いていくことをテーマとしたこの作品にふさわしい出来になったと思う。
このアルバムを初めて聴いた時の気持ちが、未来ではどう「流動」しているか。
皆さんという「流動体」の変化を、ぜひこのアルバムと共にしてほしい。
忘れた頃にやってきます。
忘れないでね。
では。