News

2014/04/01 18:58

 

訃報:フランキー・ナックルズ

 

すでにいくつかのメディアや親しいDJたちのSNSの書き込で報じられているように、ハウス・ミュージックのオリジネイターのひとりとして知られる、DJ/プロデューサーのフランキー・ナックルズが糖尿病の合併症のため亡くなった。享年59歳。DJカルチャー、ひいてはポップ・ミュージック全体に大きな影響を与えた偉人の突然の訃報に多くのDJやアーティストたちがSNSに追悼メッセージを寄せている。

それこそアイドル・ソングも含めて、いまやハウスのリズムをある種の土台にしたポップ・ミュージックを聴かない日はないだろう。ある種のハウス・ミュージックはそこかしこに点在している。ハウス、そのものを生み出したそのDJプレイもさることながら、やはり、彼が 1990年代のマイケル・ジャクソンやマライア・キャリー、ペットショップ・ボーイズなど、彼とその仲間がDef Mix Productionsで行った、メジャーなポップ・アーティストのリミックスは、ハウス・ミュージックが単なるDJミュージックではなく、ポップ・ミュージックとしても大きなポテンシャルを持っているということを身を持って証明したという部分は大いにあると思う。そうした彼らの活躍のその先に、アンダーグラウンドなダンス・ミュージックとともに、また別の方向で上記のようなポップ・ミュージックの中に生きるハウス・ミュージックが誕生したといっても過言ではないだろう。

追悼の意を込めて、ここでは大雑把であるがそのキャリアに簡単に触れておきたい。

フランキー・ナックルズは70年代よりDJとしての活動をはじめる。そのときの相棒は、やはりもうひとりのハウスの祖として知られるDJ、ラリー・レヴァンだ。彼らはザ・ロフトやギャラリーといったNYのアンダーグラウンド・ディスコ・カルチャーに触発されDJをはじめ、コンチネンタルバスというゲイ向けのバスハウス(公衆浴場/サウナ)でDJのキャリアを本格始動させる。その後、フランキーは1977年にシカゴへ、そしてラリーはNYに留まる。ラリーはその後、伝説的なNYのディスコ、パラダイス・ガラージのレジデントDJとしてNYのガラージ、そしてハウス・シーンの土台を作ることになる。

シカゴに渡ったフランキーはシカゴでウェアハウス、次いでパワー・プラントというクラブでDJプレイする。ここでのDJプレイがハウスの源泉となった。彼はパワフルなディスコなプレイをし、そしてさらなる狂乱を求めてローランドのリズムマシンで新たなトラックを生み出した。そのプレイは多くの人々を熱狂させた。乱暴な言い方をすれば、それがいつしかハウス・ミュージックへと呼ばれていくようになっていく。その最初のトラックのひとつがジェイミー・プリンシプルと作り出した「Your Love」だ。そしライヴァルのロン・ハーディやそこに集まるアーティストたちとともに一気にその街の夜のサウンドを変えてしまった。シカゴ・ハウスの誕生だ。その磁場からは、チップ・Eやラリー・ハード、DJピエールといった多くのアーティストたちを生み出した。

その狂乱を隣町のデリック・メイが驚愕し、それがデトロイト・テクノ誕生へもつながっていく(ちなみにナックルズにローランドのドラムマシン、TR-909を売ったのはデリックだ)。またシカゴ・ハウスはラリー・レヴァンのいるNYのシーンにも、そしてUKでセカンド・サマー・オブ・ラヴの熱狂も生み出すことになる。

1990年代以降はニューヨークへとその活動の場を移し、デヴィッド・モラレス、富家哲(彼との「Tears」もまたフランキーのキャリアを象徴する楽曲だ)らとともにDef Mix Productionsを組み、前述のようなメジャーなアーティストにリミックスを提供し、ハウスの枠を広げていった。この時期となる、1991年には彼の代表曲たる「The Whistle Song」や「Rain Falls」といった楽曲もリリースしている。

しかし、やはりそのキャリアの軸足は、自身の楽曲リリースの少なさ、リミキサーとしての活躍を考えるとやはりDJであったよう思える。ここ日本にも何回も来日し、つい数日前もマイアミでプレイするなどDJとして活発に活動していた。

現在でも、ある意味で彼のDJプレイによって、ハウスの街となったシカゴからは、ジューク/フットワークようにダンス・ミュージックを革新する、新たなアイディアが生まれている。

ダンス・ミュージック史で考えるだけでもその偉大さは言うまでもない。
前述のように、そのキャリアをもっと大きなポップ・カルチャーの視座から見れば、20世紀が生んだポップ・ミュージックのある部分を変えてしまった、偉大なるひとりの“DJ”という姿が浮かびあがる。

彼の死が来ようとも、今後も彼が生み出したハウス・クラシックはダンスフロアで鳴り続けるだろう。そのトラックを彼とまったく関係のないDJであれ適切にプレイできれば、そこに集まる彼のことを知らない多くの人々の、その心を満たすことができるだろう。それこそが彼が生み出したハウス・ミュージックという文化のすばらしさ、そのものだ。
(河村祐介)

「The Whistle Song」ではなくあえての「Rain Falls」で

[ニュース] FINGERS INC., Frankie Knuckles, RP Boo, Traxman

あわせて読みたい


TOP