日本語ソフト・サイケデリック・バンド、ポポポロの新作が完成

2002年、本田知寛(Vo.Gu)、小原雄樹(Ba.)、木原真一(Dr.)、林原武(Gu.)により結成。広島のライヴ・ハウスを中心に活動を開始してきた彼らの待望の1stアルバム『ポポポロ』が完成しました! サニーデイ・サービス、羅針盤、60~70年代のサイケ、ガレージ・シーンの音楽などに大きな影響を受けて昇華させた音楽性はどこか懐かしく、一聴して親しみやすいメロディー・ラインや、空間を彩るディレイ・サウンドとポップなバンド・アンサンブルが心地良さを生み出しています。



ポポポロ / ポポポロ

1. スローモーション / 2. ギター / 3. テーマ / 4. 太陽のかけら / 5. 花びらなんていらないよ / 6. 泡立ち / 7. ブルー / 8. 外はきっと雨 / 9. 春うつつ / 10. ふたつの恋 / 11. 黄昏

形式 : mp3 1400円 / wav 1500円

ポポポロ INTERVIEW

いつの間にか現実逃避としての側面ばかりがフォーカスされるようになった昨今のサイケデリック・ミュージックだが、実際はそれほど曖昧模糊としたものばかりではない。むしろサイケデリアとは、作り手の目に映る光景と、それを具現化しようという明確な意思が備わっていてこそ生まれるものだろう。ポポポロというバンドが形にしている音楽はまさにそれだ。美しいメロディとリリカルな言葉。だが、それだけでなく、彼らの楽曲にはその言葉で描かれる景色や、旋律がもたらす感情の揺らぎさえも音像に置き換えてしまったような写実性があるのだ。活動開始から10年目にして、ついに一作目を世に放つことになったポポポロ。その中心人物、本田知寛に話を訊いた。

インタビュー&文 : 渡辺裕也

オーソドックスなものが基軸にないと、遊びにならない

――結成から10年になるそうですね。

はい(笑)。ただ、いきなり渋い話になっちゃうんですけど、このバンドはいま、実質的には休止中みたいな状態なんです。またこのリリースのタイミングで動けたらいいなとは思っているんですけど、メンバーの仕事とかもあって、なかなか思い通りに動けないのが現状でして。5年くらい前までさかのぼると、バリバリ活動できていたんですけどね(笑)。ここ5年はホントにあまり動けていなくて。

――こうして、ようやくファースト・アルバムが世に出るわけですが、なぜここまで時間が必要だったのでしょう。

まず、レコーディング以前のバンドづくりに時間がかかってしまったんです。いま、僕は34歳なんですけど、27歳くらいのときに、ベースの小原くん(小原雄樹)が家の事情で実家に戻ることになって。小原くんと僕は高校の同級生で、音楽の趣味も近かったんです。それで二人とも広島の大学に進学することになって、僕が大学のサークルで知り合ったメンバーに小原くんを加えた4人で始めたのがこのバンドなんですけど、その小原くんが参加出来なくなってからは、サポートを加えてまた一からやり直しで。でも、その人が半年経ったあたりで実家に帰ることになって(笑)。そこからは“ガール椿”というバンドでドラムを叩いている菜岡宏保くんにベースをお願いしながら、なんとかやってたんです。

――その頃も作品を形にしたいという気持ちはずっとあったんですか。

そこもまた二転三転していて。自分で思い描いていたことはあったんですけど、メンバーが抜けていくうちに、もっとシンプルでわかりやすいものに取り組んでいった方がいいんじゃないかなと思うようになりました。あんまりマニアックなことをしてもだめだなって。

――たとえば、バンドが動けないならソロで制作しようと考えたりはしなかったんですか。

それはなかったです。バンドへの憧れと思い入れが強かったし、単純に楽しかったから。ちょっと語弊がある言い方ですけど、バンドって楽なんですよね。居心地がいいというか。すっぱいものも一緒に飲む感じというか(笑)。組んだ当時が学生だったというのもあって、そういうノリが僕にとってはよかったんです。

――ポポポロを組むにあたって、なにかロールモデルになったバンドはいたんですか。

バンドを組んだ頃はサニーデイ・サービスが好きだったんです。でも、それっぽいことをやるのも、なんか違うように思えてきて。そもそもサニーデイのよさってそういうことじゃないだろうと。そのサニーデイばかりを聴いていた頃につくった曲って、人に聞かせたらすぐにそうだとわかるようなものだったんです。あまりいい例えじゃないけど、ちゃんと噛まずに消化不良のまま排出しただけというか、もうそのままで。そこからいろんな音楽を聴き始めて徐々に変わっていきました。ただ、音楽的にサニーデイが出発点にあるのは間違いないですね。

――サニーデイ・サービスを通過したことによって、音楽との付き合い方、摂取の仕方を覚えていったんですね。

まさにそんな感じです。それで20歳くらいからいろんなものを聴きだしたら、どんどん音楽が繋がってきて、聴くのが楽しくなって。あと、その頃ってゆらゆら帝国の人気が出てきた時期で。そこで坂本慎太郎さんが聴いてきた音楽を探っていったら、すごくハマっていったんですよね。『STUDIO VOICE』とかに坂本さんがレヴューを載せているものを片っ端から買おうとしたんですけど、僕の住んでいたあたりにはなかなか売っていなくて(笑)。というか、お店を知らなかった。今になってみると、広島にも素晴らしいレコード屋さんはたくさんあるんですよ。例えば、広島にはGROOVIN’っていう本当に素晴らしいレコード屋さんがあるんですけど、当時は、そういうお店に見向きもしない感じだったので。いま思えばもったいなかったですね。でも、その辺からサイケ、プログレ、ノイズ、インプロなんかを辿っていくようになりました。

――こうしてお話を訊いてもそうだし、作品を聴かせて頂いても、本田さんがものすごいヘヴィ・リスナーであることは伺えます。実際にレコ屋のバイヤーもやっていたそうですね。

そこは大きかったですね。それこそ喉からっからの時にそういう仕事が頂けたので、ホントに嬉しかったです。そのときの僕はスタッフで一番の下っ端だったんですけど、売り上げは他で取るから、君はとりあえず好きなことをやっていいと言われて(笑)。それで本当に好き放題やってたんです。例えば、浜田真理子さんの『mariko』っていうアルバムが、まだそこまで売れていない時に、ノラ・ジョーンズとかと合わせて展開してみたら、めちゃくちゃ売れて。あと、Majikickっていうレーベルがありますよね? あそこの作品を広島で当時扱っていたのは、多分僕だけだったと思います。

――本田さんの趣向性がお店に反映されていたんですね。

ちなみに新星堂だったんですけど、あそこって本来はファミリー層とかがよく来るお店で。でも、そこにノイズ好きの人とかがどんどん寄ってくるんですよね(笑)。しかも、その人達って僕と同じようにものすごく音楽に飢えているから、会話の情報量がものすごいんです。それに応えなきゃいけないから、めちゃくちゃ勉強しましたね。今だから言ってしまうと、若さ故に働いているという意識は低かったんですけどね。家から持ってきたCDを店の試聴機に入れてましたから(笑)。

――(笑)。その経験はミュージシャンとしての活動にもきっと繋がったんじゃないかと思うんですが。

でも、これはさっきのサニーデイと同じで、たとえば僕が羅針盤みたいなものをやりたいと思ったところで、それをバンドではできないんですよね。メンバーそれぞれが羅針盤を分析して理解しているわけではないので、全然違うものになる。だからといって、実際にみんなで羅針盤を聴くと、また栄養が偏りすぎちゃう。だから、アプローチのひとつとして、そういうエッセンスを加えるくらいが、僕ができることなのかなと思って。少なくとも影響は受けやすいほうだと思います。

――直接的すぎても面白くないと。

それにちゃんとオーソドックスなものが基軸にないと、遊びにならないんですよね。そこでもっと基本的なところから取り組もうとしている間に、メンバーが抜けていったりして、どうにも一歩進んで二歩下がるような状態でしたね。でも、今はそれでよかったとも思っていて。メンバーが抜ける度に、このバンドに欠けているものはなにかを知るきっかけにもなったから。

――バンドが安定していた時期は、ライヴ活動も頻繁に行われていたんですよね。

はい。その新星堂で働いている時に、現在ビクターで働いていらっしゃるフカミマドカさんという方が、お店に寄ってくれたんですよ。そこで僕のことをすごく面白がってくれて、意気投合して呑みに行って(笑)。それがきっかけで一緒にイヴェントを開くようになったり。

――フカミさんは本田さんのどんなところを面白がってくれたんですか。

あんなに関西のアーティストのCDをたくさん入れているところなんて、僕の売り場くらいしかなかったから、ひっかかりはきっとそこでしょうね(笑)。そこで一緒にイヴェントをすることになって、まず広島でやった時に初めて僕らのライヴを観てくださって。だから、このバンドありきで始まった付き合いではないんです。

――そのように普段から新しい音源にたくさん触れていると、早く自分も録音作品を形にしたいという気にもなりそうですが、どうでしたか。

それが、自分が好きなアーティストの作品をたくさん仕入れたりする分、まだ自分達はそこまでいけてないんじゃないかっていう気持ちが強くなって。録音物を残せるだけのものが自分達にはないような気がしてました。まあ、今になってみればよくわからない理想だったと思います(笑)。作っておけばよかったですね。

これから音楽にのめり込んでいく可能性がある人へ

――このアルバムにはいつ頃から着手されたんでしょう。

まず、ノベル・サウンズの増井さんからアルバムを作らないかという話を頂いて。それももう10年くらい前ですね(笑)。もともとはレーベルの営業で僕のお店に来てくれたのがきっかけなんです。だから、レーベルの初期から僕らとお付き合い頂いているんですけど、僕らがそんな感じだったので、なかなかレコーディングに取り掛かれなくて(笑)。そこから5年目くらいで、締め切りを設けてようやくレコーディングを始めたんです。それでなんとか形にはしたんですけど、やっぱり制作以外のことで追われて、ちょっと時間が足りなくなってしまって。そこでもう一度仕切り直すことになったんです。とりあえずレコーディングは終わっていたので、エンジニアの佐藤亮爾さん(Headphones Remote)と一緒に、主にミックスの作業に時間をかけていって。それでやっと今年になって出せる準備が整ったという感じですね。

――どこかで作業に終わりが見えなくなる瞬間もあったんじゃないかと思うんですけど。

作り出すとやっぱり楽しかったんですかね。録る作業はそうでもないけど、ミックスはやっぱり面白くて。ただ、なにかを狙ってできるほど器用でもないので、佐藤さんといろんなアイデアを出してはボツにしていって、なんとか収まりのいいものに仕上げていった感じです。あんまりやりすぎると、正解が分からなくなってきますからね。自分の理想とかけ離れてしまう瞬間も時にはありましたし。

――当初考えていた作品の方向性に途中で修正を加えたりはしませんでしたか。

それはなかったです。僕は、この作品をそこまで音楽に熱心じゃない人にも聴いてもらえるものにしたかったんです。これから音楽にのめり込んでいく可能性がある人っていえばいいのかな。そういう人に響けばいいなって。それはメンバーに対してもそうで。変にマニアックなアプローチに偏りたくないなという気持ちは、ポポポロにおいては常に強かったです。バンドのアンサンブルも展開をなるべくわかりやすくして、遊びは上モノでやろうと。

――リリックに関しては?

そこが難しいんですよ。苦手ですね(笑)。僕にはこねくり回して物語を作るようなことができないので。それより、なにも起こらないような歌詞の方がリアルに感じたりもするし。妄想が断続しているようなイメージというか… 歌詞について説明するのは難しいですね(笑)

――でも、こうしてポポポロが一作目を発表できないでいる間にも、周囲のシーンは動いていきますよね。そこで焦りを感じたりはしませんでしたか。

周囲の状況とはまた別ですけど、もちろん焦りはありました。やっぱりここ5年っていう期間は決して短くなかったから。いまだって不安はあります。だってこれ、録音したのは5年前ですからね。曲も20代半ばくらいに作ったものが多いので。

――つまり、現在のポポポロ、あるいは本田さんの趣向性が表れた作品というよりは、これまでのキャリアに決着をつけるべく完成させたものだということですか。

確かにそうですね。曲だけはずっと作ってきているので。この作品を出せる事は素直に嬉しいです。でも、怖いですよね。リリース自体が初めてなので。

――そうなると、現在の本田さんはどんなモードなのかも気になりますね。この作品がでることで、やはり次への動き出しにも期待してしまうんですが。

いまはバンドで動くのが大変だけど、ポポポロっていう形態は続けていきたいので、歌モノではありつつ、あんまりいろんなことを気にせず、自分が面白いと思っているものを素直にやっていきたいですね。今回のアルバムは、本当にいろんなことを考えてつくった作品なので(笑)。いまはバンドを動かすことばかりに時間を費やさず、次の作品に向けて動き出したいという気持ちも強いんです。

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PROFILE

ポポポロ
本田知寛(Vo.Gu)、小原雄樹(Ba.)、木原真一(Dr.)、林原武(Gu.)が大学内のサークルで出会い、2002年、広島にて結成。広島のライヴ・ハウスを中心に活動を開始。後にカフェ、クラブ、ライヴ・ハウス等で、県外からアーティストを招き自主企画イベントを開始。サニーデイ・サービス、羅針盤、60~70年代のサイケ、ガレージ・シーンの音楽などに大きな影響を受け、それを模倣でなく昇華させた音楽性は、どこか懐かしい雰囲気を醸し出している。一聴して親しみやすいメロディー・ラインや、空間を彩るディレイ・サウンドとポップなバンド・アンサンブルにより、幅広い層の音楽ファンを魅了している。また、懐かしさや、心地よさの中に刻まれた、歪みや苛立ち、切なさなどが、ポポポロの音楽のエッセンスになっている。

>>ポポポロ・公式ホームページ

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