繰り返しますが、ミラクル
ーーセイゲンさんがレコーディング等でDSDを使い始めたのはいつ頃からですか?
私自身は、プロ機を現場で初めて使用したのは、1999年に発売されたPUFFYの『FEVER FEVER』のミキシングで「ソニー K-1325/1326/1327」DSDレコーダー(2.8MHz )でした。スーパー・オーディオCDの準備段階で、マルチはテープから、ProTools Mix+に変わった時期で、ようやく市販のハードディスクでも、レコーディングも信頼できるなあという時期だった。『FEVER FEVER』では「デジタル・レコーディングでもアナログのような音で録れます」ということを見せたかった。奥田民生さん、PUFFY、ユニコーンは、ほぼすべてがアナログのマルチ・トラック・レコーダーでアナログ・ミックスをやっています。たぶん今でもそれなりのこだわりを持って。『FEVER FEVER』のアルバムだけに関しては、テープを廻さない、今では当たり前のハードディスク・ベースのDAW、ProToolsをメインに使用して、しかもマスター・レコーダーにDSD使ったんです。
ーーおぉ! いきなりですね(笑)。
もちろんほぼ試作のレコーダーですから、それなりにリスクはあります。常にバック・アップもとりながら。当初は、DSDはメインにするつもりではなかったんだけど、使ってみたら圧倒的に良かった。もうPCMには戻れない。DSDではそのまま録れてしまうんです。PCM、CDが間引きしてる分を、まったく間引きしないでそのまま録ってしまう。補正もないし、計算するモードもないからDSDはシンプルなんです。すごくアナログ的だよね。そのまま全部を録っちゃってるから。空気の粗密波に限りなく近い振る舞いを記録して、そのまま再生できるんだろうね。録音して、そのまま再生するだけなら、こんなにパーフェクトなものはない。でも加工するとなると話は別です。それでも、ふつうにアナログのミキシング・コンソールを介在すればできます。写真だって撮って見るだけなら良いけど、その色調を変えたり、コントラスト変えたり加工するのは、別の工程ですよね? エフェクトするという、プラグインのような機能は、DSDは持たない。逆に、自由に、エフェクト機能を使ってキャンバスに画を描いていくように加工できる道具が、ProToolsなどのDAWの特徴というわけ。プロのエンジニアでもここを勘違いしてて、DSDは使いこなせないとか言う人がいる。でもそれって、つまり録ったままではダメな録音って、その録音する以前になにか重大な問題があると思うんだけどね。スーパー・オーディオCDが登場してからは、その編集機であるソニー「SONOMA DSD Audio Work Station」を、これは今でも一番好きなDAWで、レコーディングでもミキシングでも、なんでもこれで仕上げてしまいます。
ーーセイゲンさんのDSDとの出会いを教えてください。
さきほど話したPUFFYの『FEVER FEVER』のミキシングの時です。2001年からは早稲田大学の山崎芳男先生の「1ビット・オーディオ・コンソーシアム」の研究会にも参加して、11MHz(256fs)や、もっと解像度の高いものも経験してきましたが、もう最初の出会いから、「1ビットDSD、わお! これで本当の意味でレコーディングと再現ができるんだ! 」と確信しましたね。「1ビット・オーディオ・コンソーシアム」では会員メンバーである企業に1日も早く誰でも使用できる1ビットDSDレコーダーの登場を促進してきました。コルグはいち早くMR-1、MR-1000、そして最近ではMR-2000Sを発売してくれたことで、それまではスーパー・オーディオCDの制作のための非常に高価なプロ用しかなかったんです。「MR-2000S」なんかプロ用としても現在入手できる最高のレコーダーです。でも価格はおどろくほど安い。DSDの企画が動きだしたのは、たしか1991年くらい。(元ソニー会長の)出井さんにより、MDが発表された年にそのウラで本気でいい音をやろうと。大学の教科書なんかにもでていますが、CDを超えるCDとしてスーパー・オーディオCD(SACD)の開発がはじまった。ソニーでは、同じ1ビットDSDの技術をDSD(ダイレクト・ストリーム・デジタル)と称したんです。ソニーはMDを「いい音である」とリリースした年です。実際にはMDは、私の印象では音は良くなかった。その当時から圧縮技術が発達していくわけですね。
ーーへえ。メイン・ストリームは圧縮に向かいかけていたのに?
そうなんだよね。じゃあMDは何? 本気でいい音だと思った人は居たのかなぁ? 「いい音」という言葉の定義はないから何でも言えるんですが。それよりデータ容量が小さくなることが、なぜか商業的価値を作ったんだね。音が判らない人たちによってね。
ーー一アナログ・レコーディングは、セイゲンさんがいう「そのまま録る」という定義にあてはまりますか?
マイクからマイクロホン・アンプまではアナログの「そのまま」です。その先もアナログのミキシング・コンソールまではいいとして、もちろんSSL、GMLと原音忠実の音の中にも個性が加えられますよ。まあそこまでは200KHzくらいまでの信号なら「そのまま」ですが、問題はアナログ・レコーダー。この段階で「そのまま録る」という定義にあてはまりません。アナログ・テープに録音するっていうのは「そのまま」っていうのはないんです。アナログ・レコーダーを使った人は分かると思うけど、インプットに入ってきた音とまったく変形してない音が、ライン・アウトから再生されることは決してありません。つまり入力と、テープを通したあとの出力は同じ音にならないんですよ。もちろん音楽が変わることはないけど、再生でもSTUDERとAMPEXでは、ヘッドやアンプが違うので、それぞれの個性があります。録音アンプ回路も同じです。同じメーカーでも2台のテープ・レコーダーがあったとして、その2台を全く同じ音に調整するのはすごく難しいんですよ。メーターの針の違いで0.2dB(デシベル)くらいは軽く狂っちゃうのね。その誤差を含んだ上で録音しなきゃいけない。アナログのテープは、ダイナミック・レンジが低いので、録音レベルが低すぎると歪みは小さいが「サー」っていうテープヒス・ノイズが目立ってしまう。それを押さえるために、レベルを高く録るとピークで歪みやすい。デジタルはピークをオーバーすればそこでエラーですが、アナログのテープでは、だんだんと歪みがでてくるんです。言い方を変えると、そこがアナログのウォームな音とも言われるんだけど。さらにテープの種類によっても変わるので、特性、録音レベル、バイアスレベルによっても音が変わる、というか録音する音楽に合わせて、テープを選び、テレコを調整するんですけどね。まぁ、変わってしまうのがアナログの特性の良い部分なんですけどね。最近はDAW用にも、そのアナログの歪みをモデリングしたようなプラグインもいっぱい出ていますね。本物とはまったく違うけど、まるでゲーム感覚ですよね。わざわざ、歪みをつけるという。DSDの登場により、その本物のアナログのエフェクト、ウォームな歪みを加えたい場合、DSDレコーディングしたものを、アナログ・テープに通すこともできます。またアナログ・テープって転写がおきるんです。テープはリールに巻かれていますから、リールの一周前の音が転写して、そういうのをゴーストとかプリエコーっていうんだけど、静かな部分ではこれは問題で。録音ヘッドから録音された部分をリールに巻かれるまでに、再生ヘッドからすぐDSDに録ると、ゴーストが無い状態の本物のアナログのテープ・エフェクトができます。ループを組めばテープ・エコーみたいな使い方もできますね。
ーー変わってしまう音を、どうやって良い音で録るんですか?
そこがプロフェッショナルとしての腕の見せどころです。アナログのレコーダーでは、インプットとアウトプットつまり入力される音と再生されてくる音は、必ず変形するという前提で、仕上げをイメージしてセッティングするんです。ミキシングの段階から。その細かい調整、計算が必要なんです。例えば、生で聴いた音はちょっと耳に痛いくらい、でもそれをテープで録った音を再生すると、丸くなってちょうど狙ったいい音になる。ミキシング・コンソールのアウトプットの音はまだ完成ではなくて、テープをプレイバックして初めて固定された完成したミックスが聴ける。テープも、封をきって一回目に録音する音と、それを消しながら二回目に録音するテイクでは、2回目以降のがほんの若干ですが高域が丸くなる。本来、録音するという事は音を固定したい訳でしょ。みんなに同じ音を聴かせたい。一回目と二回目で音が変わっちゃ困るんですが、アナログではそれは常識だった。デジタルになって一番の違いは、インプット・スルーと録って再生した音がアナログほどは変わらない点と、あとはヒス・ノイズがなくなったことです。ヴァイナルのLPでも、封をきって一回目の音は切れがいいでしょ? そのまますぐカセットに録るっていうのやってませんでした? (笑)実際にすり減っていくので、 後はカセットで聴くみたいな(笑)。大事なときだけ針を落とす。大事なレコードは2枚買って封を切らないでとっておくとかね。
ーーやりましたね(笑)。
マルチ・トラックのマスター・レコーダーは、アナログと同時にデジタルもあったんです。「PCM-3348HR」で録ってSSLやNEVEコンソールでミックスして、ファイナルのミックスはハーフ・インチのアナログというのが主流でしたね。DSDが登場する前は。サブ・マスターやバック・アップはDATだった。アナログの歪みが気になる問いは、DATマスターを採用したり。1/4(シブイチ)のテープもいい。私は、ハーフ・インチのアナログ・テープの編集やらせたら日本で一番、たぶん世界で一番早い自信あるなぁ(笑)。はさみとテープで音楽編集やる競争があったら絶対優勝できる(笑)。
ーーへぇ(笑)。
それほどまでにアナログ・テープを使ってた。そのアナログ・テープをそのままアーカイビングするには、2.8MHzではまだ足りない。最低5.6MHzじゃないと録れない。アナログ・テープの音はね。
ーーDSDは、今までのレコーディングの歴史の中で、一番聴いてるままの音が録れるものとして現れたんですね。
その通りです。ミラクルです。だってインプットと同じ音が、そのままもう一回出てくるんですよ! そんなレコーダーは今までになかった! PCMのデジタル・レコーディングは良い意味でも悪い意味でも間引きされた音が録れる。ガッツがあるとか、印象を言いますが、もとのインプットの音、ADC(アナログ・トゥ・デジタル・コンバーター)の前の音とは明らか変形してるんです。その変形が好きな音ならそれでよい。データとしては小さくなったデータが出てくる。扱うのはすごく便利。メールに添付したりできるしね。
ーーDSDを初めて使ったときの衝撃ってありましたか?
繰り返しますが、ミラクルです。DSDで本当の意味でレコーディングと再現ができる。DSDレコーディングを経験したミュージシャンはみんな言ってますけど、「楽器を目の前で聴いたような、その通りの音が出ている」「それまで(のレコーディングでは)聴いた事がなかったリアルな音、音の細部まで聞こえる」って言いますし、私もそう思います。
ーーセイゲンさんがこだわってる一番良い音というのは、言葉にするとどういう音なのですか?
録音エンジニアという立場では、こだわっている音ってない。節操ない言い方に聴こえるかもしれないけど、クライアントあるいはアーティスト本人、作曲家、ミュージシャンが望む音こそが良い音でしょ。エンジニアの音楽を作っているんではないですから。ジャンルやアーティストにより音作りの手法が違いますが、それをエンジニアの視点で枠をはめてしまってはつまらないですよね。いろんなアーティスト、全方向にポジティブに考えています。ロックでもゴールデン・パロミノスやフリクションもプロデュースしてるし、ちょうど今、LINNレコードで1位になってる「kuniko plays reich」のような音も、少し前ですがヴァーブ60周年でDSDリマスタリングしたオスカー・ピーターソン、エラ・フィッツジェラルド、ルイ・アームストロングなど、演歌でもワールド・ミュージックでも、共通してるのは、それぞれのアーティストや作品にふさわしい音に仕上げる! そこがこだわってる良い音だね。録音するってことは、コントロール・ルームに戻ってきて、ミュージシャンが今の自分の演奏をプレイバックできる。あるいは、去年のライブとか、40年前のレコーディングを現在によみがえらせて聴くこともできる。ニューヨークでやっていたものが東京で聴ける。タイム・マシンのように場所や時間が違っても体験できる。アナログの音かデジタルの音のどちらかが良いってのは好き嫌いの話でもある。できればその場の体験と全く変わらないのがいい。「マイクロフォン通ってたんだ」「録音だったって分からなかった」「実際にその場で演奏してると思った」とか。その体験を提供する事が録音の最終ゴールだと思ってる。録音エンジニアとしては、それが目的。一方で、ミュージシャンという立場では、これはもうすごく個人的なことになってしまいますが、自分の好きなミュージシャンを集めて、録音した音から彼らの顔や表情ができるだけリアルに浮かび上がってくることにこだわるね。リスナーのことは考えないです。こだわりは、自分が好きな音かどうか。自分が満足できるクオリティであるかどうかです。たまたまそれをシェアして楽しんでくれるファンが少しでも居ることは本当に嬉しい限りです。