2011/04/26 00:00

INTERVIEW : 佐々木章宏(FLYING STUDIO 店長)

『Play for Japan in sendai』の開催場所でもある、仙台のライヴ・ハウス、FLYING STUDIOの店長、佐々木章宏氏に取材を行った。地震当日のライヴ・ハウスの様子から、被災地でライヴを行うことについてなど話を伺った。

店を動かさないと経営が危ういってのは、全部アーティストにお話しましたね

――地震が起こった時、FLYING STUDIOはどういう状況でしたか?

ちょうど東北大学の学生さんのイベントが入っていて、午前中から営業していました。地震が起きたときはライヴの最中で、30人くらいの人がいました。

――佐々木さんはどういう状態だったんですか?

僕は受付にいたので、真っ先に気づいて中の扉を開けました。かなり爆音が出ていたので、みんなは何が起きているかわからないような状況でした。気づくのが僕よりワン・テンポ遅い感じだったと思います。

――お客さんがパニックになることはなかったですか?

地震が半端ない大きさだってことがわかったので、まずはお客さんを店の外に出しました。女の子は泣き叫んでいる子もいました。男で泣いている人はいなかったけど、顔をみつめあってましたね。みんなで、「おいおい… 」って感じで。

――地震当日、東京のライヴ・ハウスは家に帰れない人たちの避難場所として機能しました。仙台のライヴ・ハウスはどうだったのでしょう?

その時のお客さんは、ほとんどが仙台駅周辺に住んでいる学生さんだったので、何とか歩いて帰ったり、誰かの家に泊まったりって感じで帰ることができたんです。ただ、近くの練習スタジオの仲のいい人たちがどうにも出来なくなっちゃったので、うちで一晩泊まっていきました。あと、バンドをやっている女子高生がたまたま通りかかって、彼女もどうしようもなかったので、7、8名くらいで生活するって感じで過ごしました。さすがに女子高生は地震当日の夜に実家に送ってあげましたが、信号は消えてるし、道路から水が噴出してるし、電線が垂れ下がってるしで、運転するのはこわかったですね。

――仙台市内の他のライヴ・ハウスはどういう状態でしたか?

仙台のライヴ・ハウスって、うち以外の大体が仙台駅西口に集まっているんですね。そのいくつかのライヴ・ハウスが、「立入禁止」っていう張り紙を貼っていました。残念なことに、一つのライヴ・ハウスのビルは完全に取り壊さないとダメだという感じで、移転が決まってしまったところがありますね。

――地震後、ライヴのスケジュールは中止・延期にしたんですよね。

3月末までのライヴは、地震の翌日あたりにはもう出来ないと思っていました。携帯電話が徐々に繋がるようになったので、地震から1週間くらいの間に、3月に入っているイベントの主催者に連絡をとって、できませんとお話しました。とてもじゃないけどできる状態じゃないと。要するに最初の1週間で、3月末までのライヴを全部ストップしたんです。水と電気の復旧は早かったんですけど、ガスが来るまですごく遅くて、みんな風呂にも入れないような状態でした。うちの営業は4月15日からでしたね。

――今もなお余震などがあると思うのですが、ライヴ・ハウスを再開できると思ったきっかけはどういう部分ですか?

まずアーティストの気持ちを尊重しなきゃいけないってのは思ったんですね。それと同時に、店を動かさないと経営が危ういってのは、ぶっちゃけ全部アーティストにお話しましたね。うちも正直やばいと。もちろん、まだ音楽をやれる状態じゃないってのもわかってるから、お互いが納得した上でやれるってことを確認しました。それが、だいたい4月15日以降くらいから。主催者たちが、「やれるよね」「やりたいよね」って気持ちになってきたのがそれくらいだったので、うちの場合は15日からいつも通りやろうと決めました。

――他のライヴ・ハウスでもっと早くやっているところはありましたか?

早くからやっているところはありましたね。でも、一番早くても4月に入ってからですね。3月はすべてのライヴハウスは中止、延期にしていましたね。

逆に俺は観に行ってこいって言いたいですね

――アーティストたちが連携して何かをするといったことはありましたか?

ありましたね。ライヴ・ハウスが使えない状態だったんですけど、地震1週間後くらいには、仙台市内にある勾当台公園の野外音楽堂で、まったく電気を使わない弾き語りのイベントとかが行われていましたね。そこでみんな炊き出しを食って、安否確認をしたりしていた様です。

――東京でもライヴ・ハウスが一つのコミュニティになっていると感じました。仙台でもライヴ・ハウスごとにコミュニティみたいなものがあるんですか?

こっちはかなり強いですね。バンドの安否を確認して発表しているライヴ・ハウスもありましたし、自分のよく知っている土地で友達の安否確認をして、それを発表する活動をしているバンド・マンもいっぱいいました。うちは仙台市内に住んでいる人間だけで、沿岸部の安否確認までは手が回らなかったっていうのが正直なところです。

――東京など県外からアーティストがライヴに来ることについては、どう思いますか?

本音を言わせてもらうと、今日のイベント(『Play for Japan in Sendai』)みたいに主旨がはっきりしていて、やろうとしている行動も全部オープンに発信していて、出演するアーティストの顔ぶれをみて単純に行きたいなと興奮するイベントだったら、僕はすごいやりたいし、来ていただいて本当にありがたいと思います。俺のうたを届けたいみたいな人が普通に電話かけてきたりするんですけど、それはちょっと考えてくれよってのが正直な意見ですね。歌いにきてもらうのはいいんだけど、お金の問題だったり、動員の問題がぜったい絡んできてしまうので、こちらも経営面で、そこまでいい人になれるような状況にはないですね。そこは判断させていただいています。

――被災地以外の人たちに伝えたいことがあれば、最後にお願いします。

仙台を訪れている人たちの中には、観光気分で見に来ていると思われたくないので沿岸部には行かないって人が結構います。ただ、仙台の街中だけを見て、たいしたことないなって思うのであれば、逆に俺は観に行ってこいって言いたいですね。ちょっと車を走らせたらすごい状況になっているんだから、状況を1つの部分から見るんじゃなくて、そういう現実に起こっていることを目で見ていろいろと考えてほしいですね。ただ、災害派遣の邪魔にならない様にお願いします。

(interview & text by 西澤裕郎)

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