多くの方々に感謝をこめて

Play for Japan』Vol.1~Vol.6、その続編Vol.7~Vol.10を、多くのアーティスト、ライター、OTOTOY編集部やエンジニアと共に作った。そして気仙沼に行ってレポートを書いた後、次に自分が出来る事をずっと考えていた。ずっと… 。辿り着いた答えは、仙台で演奏する事。4月23日土曜日。音楽は電気には変わらないけれど、復興のエネルギーに代わるはず。そう信じて、仙台に向かった。下記は、同じく各々が強い気持ちを持って仙台市に、そして救援物資を届けるために石巻市に向かったOTOTOYライター達のレポート。是非、読んで欲しい。

出演してくれた仙台、東京、京都、山形のバンド、FLYING STUDIO、車を貸し出してくれたロンタカー、東京ボアダム、来てくれたお客さん、救援物資を送ってくれた皆さん、その他協力してくれた多くの方々に感謝をこめて。

飯田仁一郎(OTOTOY / Limited Express (has gone?) / BOROFESTA...)

INTERVIEW : 八巻祐介(runny stools)

今回この場を借りてお伝えしたいのは、仙台音楽シーンの現状ではない。これは未来の話だ。

4月23日。『Play for Japan in Sendai』が終盤に差し掛かってきた頃、仙台を拠点に活動するrunny stoolsの八巻祐介に声をかけ、約1時間ほどの対話を交わした。元々は『Play for Japan in Sendai』を指揮した彼に、今回のイベントに掲げた思いを伺えればという程度だったのだけれど、彼から出てきた言葉は、どれもこの先の仙台音楽シーンを見据えたものばかりだった。こういう人がいる地域には、必ず強力な音楽シーンが生まれる。僕が仙台で得てきたそんな確信を以下のインタビューから読み取ってもらえたら最高だ。いや、これはインタビューというより、むしろ宮城県民と福島県民の対話として読んでもらった方がいいかも。間違いなく仙台はこれから面白くなる!

(interview & text : 渡辺裕也 / 2011年4月23日、仙台FLYING STUDIOにて)

何かきっかけを待っていた感じはあったんです

――今回が震災以降では最初のライヴだったんですか?

2回目ですね。1回目は「BIRDLAND」っていう、仙台のハードコア・バンドの聖地のようなハコでやりました。そこには普段からライヴでお世話になっているんですけど、震災当時、家が危ないことになっていたバンド・マン達がそれぞれ物資を持ち寄って避難生活をさせてもらっていた場所でもあるんです。電車と車はもちろん、ガソリンもなかったから。交通手段が何もない状態でした。

――そこからどうやってライヴをやろうという気持ちに向かっていったんですか?

さすがにしばらくは何もする気が起こらなかったです。僕らは10年くらい地元でバンドをやってきているので、ライヴ・ハウスの事情もよくわかっていたし、お金もまったくなかったし、何より音楽をやろうという気持ちにならなかった。本当に生活していくだけでいっぱいいっぱいだったんです。その時にJJ(Limited Express(has gone?))さんから「船山くん(SHIFT)達とイベントをやろう」という話を電話で振ってもらって。それも元々は山形の予定だったのが、仙台でやろうという話になって。それで「やります! 」と。

――即答?

そうですね。まわりで「音楽聴きたい」とか「やりたい」っていう声が上がり始めていた時で、今思えば何かきっかけを待っていた感じはあったんです。それが4月の頭頃だったかな。あの大きな余震が起こる前ですね。

――僕は兄弟が仙台市内に住んでいるのもあって、特に気負いなく仙台に来たんですけど、一緒に来た友人達はみんな、物資を届けることや今回のイベントを盛り上げること以外にも何かやらなければ、という気持ちがすごく強いみたいで。

音楽のことに関して言えば、他の地域からたくさんの人がきてほしいという気持ちが今回のイベントでもすごく強いし、他県のバンドもどんどん仙台でやってほしいんです。仙台のバンドとして、僕らも県外でももっと鳴らしたいし。だから、僕らが望んでいることは、今までと何も変わらないんです。仙台のライヴ・ハウスにいろんな地域からたくさんの人が集まってきて、みんなでお酒飲んで楽しんでくれたらいいなって。でも、仙台にはひとつのまとまったシーンのようなものはないんです。ハコによってそれぞれカラーがあって、出演するバンドも分かれてるんですよね。で、僕はあまりそういうのを気にしないで遊びに行ってるから、それぞれのハコに仲のいい友達がいるんです。それをみんなまとめて仲良くさせたくて(笑)。それで2年前から『覚醒ページェント』っていうイヴェントを始めたんです。去年、嫁と一緒に『東京BOREDOM』に行ったんですよ。そこでJJさんに声をかけて。僕は元々彼の活動というか、京都の『BOROFESTA』がすごく好きで。そこで僕らのCDと『覚醒ページェント』のフライヤーを渡して「これから仙台が楽しくなるんで、ぜひ来てください! 」って話しかけたんです(笑)。あと僕、山形の『DO IT』っていうイベントにすごく憧れがあったんですよね。

――お隣から刺激を受けたんだ?

まさにそうです。刺激と勇気をもらいましたね。「山形がこんなすごいことをやっているんだから、俺達だって! 」みたいな(笑)。それで地元の友達に声をかけたんです。で、1回目はまず地元のバンドだけを集めてやって。2回目は東北のバンドも呼んで。毎年9月頃の開催で、今年で3回目になるはずなんですけど、今回の地震でどうしようかなっていう状態ですね。でも、今回みたいなイベントは継続していきたいし、仙台でも『DO IT』とか『BOROFESTA』みたいなことをやりたいという気持ちは変わっていないです。きっとやると思う。

他県からもたくさんの人が集まるようなでかいイベントをこの街でやりたい

――やっぱり地方発信のイベントって、どんな規模であろうとその地域に根付いたら本物になるんですよね。

うん。『覚醒ページェント』をやろうと思えたのも、仙台のバンドがかっこいいからなんです。ツアーでこっちにやってくるバンドと比べても「地元のバンドの方がずっとかっこいいじゃん」と思うことが多くて。でも、それがなかなか外に発信していかないんですよね。発信していきたいっていう気持ちのバンドはたくさんいる。でもそうやって自分たちの活動を外に働きかけていくのが得意じゃない人達もいて。先輩バンドとの関係とかを意識し過ぎて、自発的に動けない人達もいるし。でも、当たり前ですけど、地元で活動しているバンドが動いていかなきゃ、シーンなんてできっこないんですよね。

――まさにそうですね。ありがちな話ですけど、地方で音楽をやっていると、「音楽やるなら東京行った方がいい」みたいなことを簡単に言われたりもするじゃないですか。それでも地元に残って音楽を続ける人達って、独特のエッジが出てくる。それって、音楽をやりながら戦う相手が明確にあるからだと思うんです。で、これまで特定のシーンと呼べるものがなかった分、今の福島と宮城にはさらに強烈な音楽の磁場が生まれる可能性がすごくあるような気がしていて。

うん。個々のバンド同士の関係もこれまでいろいろあったと思うんだけど、これを機会につまらないしがらみとかは全部リセットして、仙台のバンドみんなで何か大きなことをやれるんじゃないかなっていう気はすごくしています。とは言っても今はこの次の予定もなかなか決められない状態ですから。でも、他県からもたくさんの人が集まるようなでかいイベントをこの街でやりたいっていうことだけは今も見据えています。仙台発信で、他県ともどんどん繋がっていけるようなことを継続していけたら。そう、続けていくことが大切なんですよね。今までも仙台で野外イベントが開催されたりしたことはあったんですけど、一回だけドカンとやって終わりなんですよね。それじゃ意味がなくて。何回も続けていかないと、他の地域の人も足を運んでくれるようにはならないし、仙台のバンドがアピールできる場にならないから。仙台のかっこいいバンドが見過ごされているのが、俺は悔しいんですよ。地元のバンドが、たまにツアーでやってくるバンドとかと比べてシラっとした目で見られたりするのが本当に悔しいんですよね。だから、『覚醒ページェント』はそういうバンドのかっこよさをしっかりと発信できる場にしたい。

――かっこいい音楽なら必ず誰かが発見するかというと、それだけではだめで、やっぱりなにかしらのアピールやレコメンドが必要だと僕は思うんです。「これ、すげーかっこいいんだよ」という声が発せられて、初めてその音楽は広まっていくから。で、八巻さんはその役割も果たしたいということですよね。仙台の音楽への窓口を作っていきたいと。それって僕らみたいな音楽を文章で伝える人間の役割でもあるし、何か協力していけたら嬉しいな。

もう、本当に宜しくお願いします(笑)。あと一言だけ言っておきたいのは、俺たちは福島の味方なんです。特にいわきは友達がたくさんいて、本当によくしてもらっているんですよ。だから、仙台だけじゃなくて、福島でもなにかやりたいんですよね。それこそ山形の『DO IT』に負けないようなことを一緒にね。

――そこに至るまでには、まずは地元のライヴ・ハウスを盛り立てていかないと。

そうそう。今回も野外っていう案があったみたいなんですけど、僕らが普段から世話になっているハコが被害を受けているんだから、そこにお金を落とさなきゃいけないと思ったんです。仙台市内にもライヴ・ハウスでチャリティ・イベントをやりたいと言ってる人がたくさんいるみたいなんですけど、そういう人達はハコの運営システムを理解した上でやってほしい。チャリティをやるためにはどれだけの人が関わって、誰が負担しなければならないのかっていうことをちゃんと考えないと。こういうのはブームとかじゃないから。安直にチャリティを打つくらいなら、募金したりボランティア活動した方が絶対にいいと思う。仙台には素敵なライヴ・ハウスがたくさんあるんだから、俺達が守っていかないと!

――仙台でも福島でも、でかい花火を打ち上げたいですよね。しかもこれから毎年!

(笑)そうそう。花火は一発だけじゃなくて、何度も上げ続けなきゃ!

runny stools PROFILE

2000年結成。当初は青春パンク・バンドとして活動していたが、喧嘩を機にエモへ一転。その後ツアー、自主企画、CDリリース等精力的な活動を見せるもドラムが脱退。路頭に迷う2人に先輩から差し出されたリズム・マシーン。これによりエレクトロニカやダンス・ミュージックを取り入れた新生打ち込みバンドrunny stools誕生する。

が、当時は時代を先取り(仙台では)しすぎた為にお客さんから白い目で見られる。が、一部のバンド・マンより熱狂的な支持をうけ2年程ツー・ピースにて活動。この頃より活動範囲をライブハウスだけでなくCLUBでのイベントにも参加するようになる。が、しかし根はバンド・マン。2人っきりでの活動に限界を感じ、ぶっちゃけ生ドラムが恋しくなり2年振りにドラムが加入、再びスリー・ピースに。

2007年、今まで経てきた音楽を元にダンス・ミュージックとロックの融合を試みる。

が、何故か何とも斬新、且つ凶暴なディスコ・パンク・バンドに変身。この頃より再びツアー、自主企画「もがけ」、CDリリース等精力的な活動を見せる。が、再びドラムが脱退。それでも歩みを止める事なくサポート・ドラム雨先案内人を向かえ精力的に活動中。さらに進化を求め、現在、結局の所、母さん、ダンス・ミュージックとロックの融合に失敗した的な愛に溢れたジャンクでso sweetなミューゼックやってます。読み方は「ラニーストゥールス」です。

世界に愛を。

runny stools oficial HP

>>Play for Japan in Sendai ライヴ・レポート(2011.4.23)

>>INTERVIEW : 佐々木章宏(FLYING STUDIO 店長)

>>救援物資を届けに、石巻市へ。 (2011.4.24)


東日本大震災救済支援コンピレーション・アルバム『Play for Japan』

3月11日の東日本大震災を受け、12日に本サイトでは被災地救済支援コンピレーション『Play for Japan』の制作を発表。17日にリリースされた第一弾、4月1日にリリースされた第二弾を合わせ、180組以上のアーティストによる10枚の作品が完成しました。本作の販売に当たっては、クレジット決済手数料約5%と、著作権管理事業者へ登録済の楽曲に関しては、著作権料約7.7%を除いた全ての売り上げを、東日本大地震の義援金として、日本赤十字社を通じて寄付致します。ミュージシャン、デザイナー、ライター、エンジニア、編集部… 皆が出来る事を精一杯行ってエネルギーとお金を生み、それらが少しでも被災した皆さんの助けになれば幸いです。

『Play for Japan Vol.1-6』『Play for Japan Vol.7-10』まとめ版

『Play for JapanVol.1-10』