2010/06/01 00:00

とくさしけんごは凄い! 一聴して驚かされるとてつもない作品だ! 60年代イタリアで活躍した建築グループ《スーパースタジオ》の創始メンバーであるクリスティアーノ・トラルド・ディ・フランシアの初来日公演のオープニング・アニメーションの音楽を担当。「手塚治虫生誕80周年記念展」では、タナカカツキ作品のサウンド・トラックで参加。第20回日本現代音楽協会作曲新人賞、第10回東京国際室内楽作曲コンクール第一位を受賞するなど、数々の経歴を持つ作曲家・とくさしけんごが、初のフル・アルバム『華麗なるホリデーの世界』をリリース。レイハラカミや高木正勝に通じるドリーミーで美しく煌めく音、鳥や自然のざわめきの音、さらにはノイズや打ち込みの音など、実にたくさんの要素を、時には真面目に時にはファニーに絶妙なバランスで昇華する。さらに楽曲だけでなく、全曲につくミュージック・ビデオも凄い。楽曲それぞれの世界を、タナカカツキ等の映像クリエイターが描き出す見事な作品が揃った。音と映像、ふたつの角度から、とくさしけんごの頭の中を体感してください。
販売形態
1.『華麗なるホリデー』全12曲(楽曲のまとめ販売のみ。特典として、全ミュージック・ビデオから抜粋して制作された、ダイジェスト映像をプレゼントします。)
楽曲のまとめ販売のみを購入されるかたはこちら
2.『華麗なるホリデー』収録曲の単曲販売(1楽曲+1ミュージック・ビデオ)
☆1楽曲+1ミュージック・ビデオを購入される方は下記の全曲解説欄からどうぞ!
楽曲はmp3とWAVでの販売となります。

『華麗なるホリデーの世界』から楽曲「world of holiday」とタナカカツキ監修の「world of holiday」のミュージック・ビデオのフリー・ダウンロードはこちらから(期間 : 6/3〜6/10)

『華麗なるホリデーの世界(The splendid world of holiday)』全曲解説

とくさしけんご本人に、『華麗なるホリデーの世界』の全楽曲、そして全ミュージック・ビデオの解説をしていただきました。解説を通して、より深く曲の世界へ足を踏み入れてみてはいかがでしょうか?

1.あこがれ (akogare) / MV : 岩城浩司(Koji Iwaki)

この曲を作っている最中に、オーボエ奏者の山田進也くんが楽器を持って家に遊びに来ました。偶然その日は、いただきモノのちょっといいマイクのセッティングが済んだ日でもありまして、これは渡りに船と、急遽その場で譜面を書いて、初見も初見で山田くんのオーボエを録音させていただいたのでした。演奏に際して、「なるべく、NHKの朝ドラのように! 」とお願いしました。アルバムが「ホリデー〜」とうたっているのに、朝ドラというのはむしろ、というか完璧に、気だるいほど平日です。最初から間違ってしまいました。しかしながら、永遠に続くかと思われるような平日にこそ、ホリデー感覚というのは求められるのであって、このアルバムは、すべての平日に捧げられているのであります。ちなみにここは畳部屋でして、この録音を期に、我が家を「タタミスタジオ」と呼ぶことになり、そのまま本アルバムのレーベル名になりました。僕は日常的に、映像を作る友人・知人と互いの音楽や映像を投げ合って遊んでいるのですが、この曲のMVも、元は僕が以前作った別の曲に、岩城浩司氏が映像を作ってくれたものでした。その元の曲が、別の企画で著作権的に本アルバムには入らないことになったので、映像はそのままに、僕が新たに曲を作ったのでした。ホワイトアウトしそうな世界と、青色の音楽。

2.SM (SM) / MV : 徳差えり(Eri Tokusashi)

この曲のタイトルは「SM」ですが、これは元々「Summer Mosaic」の略でした。制作中にデスクトップ上でファイル名を略して「SM」としていたのですが、作っていくうちに、これは実際に「SM(あの、すっごい拘束しちゃうとか、そういうのです)」であるなあ、となりまして、そのままタイトルに定着しました。   少しだけカタい話を失礼いたします。この曲で多用されているプリペアド・ピアノですが、実際にはソフト音源と、それを千葉一裕さんによるMax/MSPのプログラムに通したものです。プリペアド・ピアノに限らず、いわゆる特殊奏法がソフト音源化されていることは最早普通のことになりました。このことは期せずして、「現代音楽」的なサウンドの記号化、キャラ化が完了! 「ゲンダイオンガク? ああああああ、あのホラー映画の! 」という事態を決定付けたと思います。クライアントの「現代音楽的に!」という発注に、世のフリー作曲家たちは易々と応えるでしょう。そこでは「現代音楽」は新しい何かではなく、1960年の前後20年くらいの音楽様式を指しています。おなじみすぎる説明になりますが、プリペアド・ピアノは、ジョン・ケージがダンスのための音楽を書くにあたり、「打楽器群が入りきらないような狭い会場」で、打楽器アンサンブル的な音を実現するために生まれました。この発明の最初には「スペースの節約」があったのです。

ところで、21世紀に生きる我々は、「ピアノが入りきらないような狭い部屋」でプリペアド・ピアノを鳴らし、求めるのであれば、その音をさらにプリペアすることも可能です。この曲は二重、三重にSM的、拘束的です。西洋音楽の権化たる平均率を、鉄と木、工業によってガチガチに固めることによって生まれたピアノ、そのピアノをさらに拘束することで生まれたプリペアド・ピアノ(「美女に鼻フック」が僕のプリペアド・ピアノのイメージです)、21世紀、そのプリペアド・ピアノはデジタルデータに圧縮され、さらに電気的な変形を加えることができる。拘束の果てにあるサウンドが、かなり能天気でユーモラスであった、ということが、僕は大変気に入っています。

この曲のMVは、徳差えりさんにお願いしました。僕は、教習所でのツルツルな説明映像や、企業ビデオなどにみられる、完っ全な殺風景さに打たれることがあります。僕は彼女に先の趣旨を伝え、そのようなものを音楽に添えて欲しいとお願いしました。このアルバムが最初に発売されたのとちょうど同時期に、小田島等さんのここ15年間の仕事をまとめた「アノニマス・ポップ」という画集が発売されました。「アノニマス・ポップ」とは「匿名、無名・ポップ」との意味で、タイトルの批評性に膝を打ったのですか、このMVもまた「アノニマス・ポップ」の一種であると思います。

3.記憶と風景 (Memory&Scenery) / MV : ヨシマルシン(YOSHIMARUSHIN)

カー・ステレオで聴くドライヴィング・ミュージック、というのがありますが、音楽の体験自体がドライヴのようであって欲しいと、この曲を作り終えてから思いました。高速で流れ去っていく、風景と、記憶。曲の最初にいた地点から、曲の最後には完全に違う地平に到達している、という形式感が大変気に入っています。後期マーラーというか、地上からいなくなる感じが。あ、死か。MVは、ヨシマルシンさんです。打ち合わせゼロでお願いしたところ、8分強ある曲なのですが、全編、ダジャレ映像になりました。なんていう無私っぷりだろうと頭が下がりました。

4.落下する押し入れ (Falling closet) / MV : 岩城浩司(Koji Iwaki)

約7分の曲ですが、ピアノで7分、ピックアップが壊れかけたエレキベースをちゃぶ台の上に箏のように横にして7分、ドローンを7分弾く、という過程で出来ました。その後、様々に編集加工されています。あわただしい日常の中に、ふっと、エア・ポケットのように、「ホリデー感覚」が訪れることがあります。これは一歩違えば「あの世感覚」なのですが、この曲はちょうど一歩間違えて「あの世」になってしまいました。死をもてあそぶつもりは毛頭ないのですが、「ホリデー感覚」と「死」は、かなり密接な関係にあると思います。祝日・祭日は、平日の彼岸。日常からの逸脱。呆然とすることは、魂だけ彼岸に往くことです。死の練習なのです。人は死を体験不能なので、擬似的な死を、予習を必要とします。あれ、これ、何教? こわ! ちょっと朗らかなこと書こうとしたら、暗くなった。死の。かなり大きくでますが、美は、常に死の予習的なところがあります。映像は、ふたたび岩城浩司氏です。巨大パンダが、爆発する雲を背景に延々歩き続ける涅槃的な映像です。

5.CR-corepops (CR-corepops) / MV : 前田裕次郎(Yujiro Maeda)

MVを担当していただいた前田裕次郎氏は、corepopsという屋号でも活動しています。彼に出会う前から、web上などで彼の作風が気になっていたのですが、一番気になっていたのは、その屋号でした。コア・ポップス。「ポップ」の核(コア)の部分は、本来とても激烈なものではないかと僕は思っています。対象を問わず、大多数の人に届く(あるいは無理矢理届けてしまう)ような表現というのは、根っこの部分に、かなり中毒性の強いケミカルな部分があるのではないか、と。その毒性が最も薄められずに使用されている場所のひとつがパチンコ屋であると思うのですが、この作品ではそれがテーマになっています。道を歩いていて、パチンコ屋の前を通りかかったときに、ちょうど店の自動ドアが開いたときの、ぶわ〜〜!! っていう音と空気、あれ凄いですよね。録りに行きました。パチンコ屋もそうですが、欲と俗を往ききった場所には、ギラギラとした生の感覚があり、そのことが逆説的に死を… って、もういいか。

6.Glove jungle (Glove jungle) / MV : タナカカツキ(Katsuki Tanaka)

奇才タナカカツキ先生と、(ほぼ)初めて共作させていただいた作品です。僭越ながら、カツキさんと出会って、僕は自分の好みの傾向を保証されたような心持ちになりました。カツキさんの作品に常に流れている魅力は、「過剰と野蛮の美と笑いと呆然」です。どこにでもある公園の遊具を、ここまで優美に、切なく、ユーモラスに描いた作品があったでしょうか。カツキさんと打ち合わせをしていると、その過剰な映像に思わずこちらも、「じゃあハープ12台で! 」などとベルリオーズのようなことをやってしまいたくなるのですが、大抵怒られます。

7.小竹/朝 (Kotake/morning) / MV : 甲田周平(Shuhei Kouda)

この曲のMVをお願いする際、担当の甲田周平さんに、イメージとして、「例えば小竹向原駅とか西武線沿線の朝のちょっとくたびれた、だけど愛おしい感じ」「レイモンド・チャンドラーの小説に出てくる探偵の嘘くさいバージョン」と説明したのですが、出来上がって見せていただいたのは、ゴリラが延々ドリーミーな屁をし続けるムービーでした。即OK。

8. サロンのための音楽 (music for salon) / MV : 菅原そうた(Sota Sugahara)

菅原そうたくんに出会って以来、作家たるもの、生き物レヴェルで迫力がなければならない、という思いを強くしました。そうたくんは、スパゲッティをフォークでグルグルやりながら、それを一切見ずに相手を見て(相手方に乗り出して)しゃべり続け、一般に「パスタをフォークに巻くにはこれくらいの時間だろう」という尺を優に超えてグルグルやり続けしゃべり続け、あげく口に持って来てみたら一本も絡まっていない、というようなミラクルを日常的に連発します。特に、このMVのラストは是非見ていただきたいです。見たことがありそうでなかった未知の突き抜けた造形。おしゃべりのための、サロンのための音楽。

9.Rainbow bicycle (Rainbow bicycle) / MV : 甲田周平(Shuhei Kouda)

この作品は、最初に甲田周平さんの映像があり、それに「音を! 」と依頼されて音楽を作ったのですが、当初2分だった映像に、気がついてみたら4分の音を作る、というアマチュア丸出しなことをしてしまい、結局映像を足していただくことになりました。虹色の女の子の、虹色の自転車が、虹色の世界を、虹色に滑走する映像の世界観に、音楽はどっぷり影響を受けています。

10. world of holiday(world of holiday) / MV : タナカカツキ(Katsuki Tanaka)

アルバム・タイトル作品です。タナカカツキさんの、狂気すれすれの明朗すぎる世界、呆然とするほかないような「あの世感覚」がほとばしっております。これはもう見ていただくしかないのですが、僕は最初にこの映像を見たときに、笑うほかありませんでした。やり過ぎているもの、突き抜けきったものは、常に気持ちのよい笑いと呆然とを我々にもたらします。「ALTO VISION」以来の超極彩万華鏡の手法が、ほのかな物語性を伴ってドライヴするアルトヴィジョン・ザ・ネクスト!!! ところで音楽ですが、「曲は出来てみたものの何か足りない」と思っていたのです。ちょうどそのとき実家に帰る機会があり、整理をしていたら、自分が2歳くらいのころのホームビデオが出てきまして、父親と公園で遊んでいるんです。その劣化したビデオの音をマイクで録り、曲に混ぜたところ、ビタリと完成しました。アルバム中(シークレット・トラックを除く)唯一の人間の声は、2歳の時の僕でした。

11.雲は行ってしまった(the cloud has gone) / MV : タナカカツキ(Katsuki Tanaka)

「工場萌え」と言ってしまえばそれまでなのですが、常々、「工場地帯、鉄塔、送電線、作りかけの巨大建築、橋、飛行場などが好きで好きで・・・」とほうぼうで言っておりましたら、タナカカツキさんが、「それじゃあ」と、京浜工業地帯探検&撮影に一緒に来てくださって、その素材を更にオーヴァー・ドライヴ、オーヴァー・ダヴィングさせたような天国的な映像が出来上がりました。闇夜に煌々と光る対岸の工業地帯の灯。×100。音は常に流れ去り、時間は常に経過していきますが、この曲で、「音楽の流れの途中に立ち止まる」感覚を夢見ました。大きくいえば、時間を一時停止させる感覚。何故工場にかくも心惹かれるのか、ずいぶん考えました。ふたつ思い当たるのですが、ひとつは、80年生まれの僕にとって、工場やジャスコや、コンクリートによってフラットにされた世界、ツルツルな世界は、生まれたときの風景、自然なのです。森や林は、むしろ遠出して手に入る風景、非日常、あるいは、大自然です!とエンターテイメント産業に演出された人工物なのです。工場は、演出なしです。あ、ジャスコは演出の塊だった・・・。でも失敗気味だからいいんです。「人工人工」と「人工自然」ならば、前者を採りたい。いや、言っているうちに、どっちも良くなってきた! ディズニーランドの岩っていいですもん。ツルツル・ネイティヴ。

帰巣本能、といえばそれまでですが、この「第二の自然」への帰巣本能を見事に描いた映画が、78年、ジョージ・A・ロメロ監督の「ゾンビ」でした。ゾンビたちが無意識に帰る場所は、スーパーマーケットなのでした。うわ、これ完っ全に脱線してる。脱線ついでにゴリ押させていただきますが、「工場萌え」とその美の解明を、おそらく最初に意識的に論じた日本人は、「日本文化私観」における坂口安吾です。

12. ラビリント (Labirinto)

「交響曲」という形式は、18世紀当時、シンプルな「きっちりした曲(ソナタ)やダンス・ミュージック(メヌエット)やチルアウトな曲(緩徐楽章)などの楽章セット」だったところから、ベートーヴェンと、彼の存在に並々ならぬ緊張感を強いられた末裔たちによる「統一的楽章セット」を経て、マーラーらによって「楽章群による世界観の提示」に至り、その後、ヨーロピアン・シリアスミュージックの世界では衰退、解体の途を辿ります。楽理的、形式学的な点に目をつむれば、「交響曲」という形式は、20世紀に入って録音メディアの充実に伴い、特に、「楽曲群による世界観の提示」という点で「アルバム」という単位に引き継がれたのではないかと思っています。ビーチボーイズの「ペット・サウンズ」は、ヴァン・ダイク・パークスの「ソング・サイクル」は、大滝詠一の「ロング・バケーション」は、交響曲である、と。この曲は「アルバム全体の手法と気分」を(結果的に)展望している点、終楽章にふさわしいのではないでしょうか。この曲のMVは、今なお岩城浩司氏によって作られ続けています。この曲をOTOTOYで買っていただいた方には、映像が完成次第、後日無料でお届けする予定です。乞うご期待!

とくさしけんご PROFILE

作曲家。1980年青森生まれ。日本大学芸術学部および同大学院を卒業。これまでにEnsemble Contemporaryαの公募作曲家に選ばれ作品を出品、「現代の音楽展2005」に作品を出品、また「秋吉台の夏2005」に招待を受ける。いくつかの作品がNHK-FM「現代の音楽」にて放送されている他、楽譜がマザーアース株式会社よりCDと共に発売されている。2006年、オランダ、アムステルダムにて、新作の自演(指揮)を行う。また、美術家・デザイナーの個展の為の音楽、60年代イタリアで活躍した建築グループ《スーパースタジオ》の創始メンバーであるクリスティアーノ・トラルド・ディ・フランシア氏の初来日講演のオープニング・アニメーションの音楽、東京国立博物館の催し「よみがえった明治建築」の展示映像の音楽を手掛ける。渋谷パルコにおける「手塚治虫生誕80周年記念展」にタナカカツキ作品のサウンド・トラックで参加。現在、サウンド・トラックで参加した、タナカカツキの新作ブルーレイ作品集「AltoVision」がポニーキャニオンより発売中。その他TVCM音楽などにかかわる。第20回日本現代音楽協会作曲新人賞、第10回東京国際室内楽作曲コンクール第一位受賞。

[レヴュー] とくさしけんご

TOP