質問文作成&文:池田義文

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—KEN=GO→さんが、FROGMAN RECORDSを設立しようと思ったきっかけは何ですか? また、当時のテクノ・シーン、クラブ・シーンはどんな状況でしたか?

大昔ですが、92〜93年頃です。既存のクラブではなく、レストランやイベントスペース、潰れたディスコなどのスペースを使って不良ガイジン向けにやってるようなパーティがたくさんあった。ロンドンとかで遊んでた連中が、そういうところで毎週のように顔をあわせて、「こういう楽しいことを自分たちでもやれない? 」 というところから話がはじまり、そのうち、じゃあそこでDJがプレイするレコードも要るよって話に発展していったんです。当初は6人でスタートして、1年ぐらいで4人が「やめる」と言い出し、佐藤大と僕が残ってしまったので、その後はふたりの方向性で続けることになりました。

あの頃は、ちょうどケンイシイやススム・ヨコタが海外からデビューして、オービタル、ハードフロア、アンダーワールドなど後にビッグになるような人たちが次々すごいレコードを出すという夢のような時期でした。

—当時のイベントやパーティーでのエピソードがあれば聴かせて下さい。

ある程度知られるようになってからはYellowやLiquid Roomとかのきちんとしたハコでもやれるようになったんですが、最初は全部手作りで大変でした。スピーカーは自分たちで運んで、ドリンクや氷も自分たちで仕入れてバーまで自分たちでやったことも。それで警察がくるとホーム・パーティですと言い張ってみたり。自分たちだけじゃなくて、当時はそういう怪しいパーティがたくさんやっていたと思いますね。有名DJが出るなんてことはないので、遊ぶ方も誰それを聞きに行くみたいなノリではなく、完全に雰囲気とかお客さんの盛り上がり具合とかで「あそこは楽しそうだ! 」みたいな感じで遊びに行ってたんですよね。

—レーベル設立するにあたり苦労した事、または設立して良かった事を教えて下さい。

僕らが始めたころは、他にやってる人がほとんどいなかったから、恵まれていた部分もありますよね。細かい苦労話とか挙げ始めたらきりがないんですが、少なくとも、ドイツやイギリスやフランスはこれだけ盛り上がってるのになんで日本はダメなんだ? とか、なんで日本じゃアナログ盤作れないんだ? とか動機や目標がシンプルだった。「やるぜ! 」と声を上げて、実行すればついてきてくれる人も、共感してくれるアーティストもたくさんいた。やって良かったなというのはたくさんありますけど、やはりレーベルや音楽を通してじゃなければ絶対に知り合えないような人とたくさん会えたし、ちょうどインターネットが始まるころだったのもあって、文字通り世界中にネットワークが広がっていく感じを体験できたのはすごくよかった。オーナー自身で音楽を作る“アーティスト・レーベル”ではなかったので、やはり人との縁だったり、つながりが重要でした。

FROGMAN RECORDSの音源には、共通して絶妙なポップ・センスが存在していると思います。設立当初からレーベルのカラーやコンセプトは決まっていましたか?

ある程度はあったんですが、最初は船頭も多く、コンセプト的なものも、各人の頭のなかでバラバラだったかもしれないです。ただ、当初から音楽や出版、テレビなどの業界でしっかり仕事をしている人間が集まったので、「かっこよければ売れなくてもいいや」とか「自分のやりたいことだけやる、わからない奴は無視」みたいな志向はひとつもなかった。

2人になってからは、よりその辺が明確になって、ポップさとか自分たちにしかできないこととか、興味持ってくれた人がどうしたら喜んでくれるかを考えていましたね。それと、J-POPとは違って、ここでは1000人しか聴いてくれなくても、世界中にファンがいれば、その何十倍の何万人もリスナーが獲得できると、こういう音楽ならそれができると思っていたので、海外戦略はちゃんとやって、実際に結構海外で評価されたんですよ。

—今では日本を代表する音楽クリエイターといえる存在となったKAGAMIですが、19歳当時の印象やエピソードをお聞かせ下さい。

彼はいまでもデビュー当時と変わらない、ある種の野生というか天賦の才みたいなものを持っていて、すごいなぁと思います。当時、専門学校生で、カセットのデモ・テープが送られてきたのを聴いて、「これはすげえ! 」ということですぐに電話して、レコードを出そうという話をしたんです。そのカセットのラベルの書き殴ったような字と下手くそな絵とか、曲が長すぎて10分カセットに収まらずに途中で切れちゃってるところとか、電話での受け答えとか、曲の閃きや勢いはもちろんですけど、「なんかすごい生きものを発見したぞ」みたいな感動を覚えました。

今は無理ですけど、まだ高校生だったのにFrogmanのパーティに来て、僕のDJとかも聴いてくれていたというのを後から聞きました。確かハードフロアが来たとき、YMOの「ライディーン」をかけたんです。そしたら翌日彼の高校の体育祭があって徹夜で行ったらそこでも「ライディーン」が流れてたとかって。

—新宿Liquid Room、Maniac Love、Yellow等多くの老舗クラブが相次いで閉店し、メディアがアナログからCD、CDからデータへとDJ/クラブ業界にも大きな変化の波が来てます。そのことについてはどうお考えですか?

やはりレコードにこだわることが大事だって思ってやっていた世代だとプロまでもMP3でプレイするっていう現状は、受け入れがたい部分もあります。ただ、データでも自分用にマスタリングをして使っていたり工夫しているDJもたくさんいるし、アナログ文化が完全になくなったわけでもないから、最終的にはどんなメディアや手段でも踊れればいいとも思う。実際、僕も今はDJ用の曲をアナログでなくデータを買うことがほとんどだし、若いヤツはダメだとか叱る資格ない(笑)。いいハコが消えてしまうのは残念だけど、逆に昔は絶対なかった万人規模のフェスやイヴェントもたくさんあって、楽しみ方や踊れる場所は確実に増えてるわけで、悪いことばかりじゃない。どんなに楽しくても、しばらくすると当たり前になっちゃうのが怖いところで、だから成功したものでも飽きられずにずっと支持されるのは難しいんだと思います。海外でも10年以上がんばってるハコってあまりないんじゃないかな。

—アンダーグラウンドであった日本のテクノにいち早く注目したKEN=GO→さんですが、今注目しているカルチャーなどありましたら、お聞かせ下さい。

基本的に物心ついたころからずーっと電子音が好きなので、大きなところでテクノ(というか、電子音楽)に注目したいというところは変わらないです。ただ、ネットのおかげで、ほとんどの情報はすぐに手に入るようになってしまっておもしろくない。でも、Youtubeで誰かが撮ったビデオを見てそのひとのプレイを見た気になったり、myspaceに載ってることだけ読んでアーティストのことがわかった気になるのは絶対に間違いで、実際に現場に行ったり人と話をしないとわからないことがあるはず。例えば、数年前から注目されている南米のブラジルやチリのシーンを実際に経験してみたいなとか。実は、かなり昔、ペルーの民族音楽を演奏するストリート・ミュージシャンと出会って、それをダンス・ミュージックと融合させてみようとレコーディングをしたけど、途中でプロジェクトが止まってしまった。いろんな手法がやりつくされた感がある今こそ、そういうことをやってもおもしろいかも。

—2008年は日本でもエレクトロ・ブームがありました。90年代初頭から日本のテクノ・シーンを支えてきたFROGMAN RECORDS主宰のKEN=GO→さんが今注目しているアーティストやレーベルはありますか? また、将来のテクノ・シーンに期待する事はありますか?

エレクトロ・ブームは野次馬的にはおもしろいなぁと感じますけど、90年代初頭にレイヴ・ミュージックとかハードコアとか言われたような過剰なビートや音色を持ったものがどんどん出て、商業化していったのと似たものを感じますね。たぶん、行きすぎて突然飽きられるのでは。その対極にあるような地味なミニマル勢がマンネリ脱出の意味もあって、去年取り組んでいたバルカン音楽やジャズなどの要素をダンス・ビートやシンセと融合させる試みは、わくわくさせられましたね。注目してるレーベルは、ドイツのSei Es DrumsとかCecille、スイスのCadenza、スペインのCMYK、詳細不明のLa Penaとかです。

—海外で活躍する日本人アーティストが増えてきていますが、KEN=GO→さんが感じる日本人アーティストの魅力はどんな所ですか?

やっぱり繊細だったり芸が細かいとか、あとはやっぱり我々がグッと来るツボをよくわかってますよね。逆に、とにかく勢いで行ってしまえみたいな暴力的なすごさとか、ぶっちぎりの瞬発力みたいなものは不足しているのかなと感じることが多いです。まぁ、日本人だからというのは血液型みたいなもので、思い込みみたいなところが多い(特にずっと海外在住だったりすると)かもしれないけど、マーケット的には海外のほうが国籍人種関係なく気に入れば食いつくみたいな部分がストレートだし、日本のアーティストにどんどん出ていってほしいですね。

—frogman Recordsの今後の予定、KEN=GO→さんが始めようとしていることなどありましたら、お聞かせ下さい。

レーベルは、07年末に出たベスト盤『FINE : The Best of Frogman』とその後、08年1月にやったファイナル・パーティで休止となりました。現在復活の予定はありません。Frogmanはふたりでやっていたものですし、確固としたイメージややりたいこともあったので、今後僕がひとりで再開するようなことはないです。昨年は友だちのレーベルThird EarでZTTレコーズの再発プロジェクトに関わってきましたが、そろそろ何か新しいこともやりたいですよね。しかし、ただ配信だけやるとういうのもつまらないし、アナログ切ったりCD売るのもとてもビジネス的に難しいから、ずーっと考えてる感じです(笑)。

Frogman Records/U.S.B.

まだ日本にはパーティもDJもレーベルも、なにもないという状況だった93年に設立後、独自の手法でシーンを切りひらいた老舗であり、激動の90年代のテクノの歴史を担ったレーベルのひとつ。デモから発掘し世界へと羽ばたいたKAGAMIはじめ、Riow Arai、Kaito名義で知られるHiroshi Watanabe、DJ TASAKA、MexicoHitoshi Ohishiなど現在では人気者になったアーティストが作品を発表。また、リミックスや企画モノでMijk Van Dijk、Ken Ishii、Black Dog、田中フミヤ、Thomas Schumacher、Hakan Lidbo、TOKTOK、Sound Associatesなど世界的なアーティストと交流を持ち、ドイツはじめ国外にも多くのファンを持つ。

02年にはU.S.B. (United Sounds of Blue)というテックハウス/クリック系のサブ・レーベルを設立。こちらはクラブ音楽の枠を越え、リスニングや幅広い生活スタイルに対応した作品をだす。世界的にリスペクトされるSusumu Yokotaのアルバムや、Steve Bugにも絶賛されたHulotの作品などをリリース。

2007年12月にFrogman Recordsの活動歴史14年のあいだに生まれた傑作・話題曲を完全パッケージングした最初で最後(?)のベスト・アルバム『FINE: The Best of Frogman』をリリース。冬眠を発表。

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