2015/06/03 16:57

“静”と“動”を行き来する、美しくも希有な八重奏——中島ノブユキによる、異色の室内楽アルバムをDSD + ハイレゾの最高音質で配信

ちょっとした反抗心から始まったんですよ

——中島ノブユキの音楽は書かれた音と書かれてない音とのバランスもすごく面白いと思うんですよ。でも、今回はソロ・パートという意味では、中島さんの今までの作品とはかなり変わりましたね。

今回はいわゆるソロ回しといったパートがほとんどないんです。あったとしても8小節とか、20秒とかソロ・パートとしてあるかもしれないですけど、各奏者がソロを取ってというのはないんですよね。実はこのアルバムはファースト『エテパルマ』とかセカンド『パッサカイユ』の時代の作品に戻ろうと思って作ったので、編成も似ているし、曲の選ぶ曲想も似せて作ったんですけど、聴き直して思い直すとその2枚ってソロのパートがきちんとあって長いんですよね。その辺が作風の変化として出てきたのかなと客観的に思ってきましたね。

——ソロがないからか、ダイナミズムが小さいようにも聴こえますよね。感情的な部分も今回は割と抑えられていて、マイルドにも感じましたね。

楽曲がコンパクトになっているのかもしれないですね。

——クレジットを見ると以前のソロ・アルバムでは入っていたが女声合唱とかドラムが編成には無いです。

今回は密なアンサンブルを目指しました。ギターと言えば一馬さんにだけにお願いをして、弦もトリオから弦楽四重奏までというように編成を広げすぎずに。本当は頭の中ではここにドラムが入ったらいいかなとか、あるいは合唱が入ったらきれいかなとか、この曲はピアノをローズにしたら面白いかなとか、そういう欲もあったんですけど、今作では限られた楽器の中で色彩を求めるという風に決めていきましたね。

——楽器で言えば、オーボエが印象的ですね。

元々オーボエという楽器が好きだったというのがまずは一つ。もう一つの理由は結果的にそうなったともいえるんですが、今までは「バンドネオンと弦楽器」、「バンドネオンとピアノ」、「ピアノと弦楽器」、というように個々の楽器がより独立した響きとして存在しているサウンド作りが多かったんですね。それゆえにサウンドよりも個々の演奏者の楽器の鳴らし方が際立っているような作り方になっていたと思うんです。でも、今回はオーボエという楽器が入ったことでオーボエの音色感とかフレーズ感とかがあることによって、すべての楽器が一つに吸着するような、アンサンブルの張り付き方や楽器の音色のくっつき方がより密接になったように感じましたね。もう一つはバンドネオンという楽器との親和性もあったと思うんですよ。同じ空気を使って奏でる楽器ですから、今まではそれがバンドネオンひとつだったのが、もうひとつ増えたことで役割分担がスムースになり全体が一つにサウンドし始めたってことは言えるかもしれないですね。それがより室内楽サウンドと呼べるものに変わっていったともいえる。

——オーボエは過去にも使ってますか?

自分のソロでは入れていないですね。大河ドラマの『八重の桜』とか、他の劇伴ではよく使っていたんですけど、自分の名義のソロ・アルバムではオーボエが登場するのは初めてですね。

——意外だったんですけど、ソロ・アルバムでは木管楽器が少ないですよね。

クラリネットもないですね。

——でも、ここでは当たり前のようにオーボエが自然に鳴っていました。それもあって、ここではアンサンブルに重きを置いているのが今までよりも強く感じられるんですよ。アンサンブルに意識が向いたのにはきっかけはあるんですか?

ちょっとした反抗心から始まったんですよ。『エテパルマ』を作っている2005年ころ、室内楽なんて最も顧みられない、言い換えれば最も売れないジャンルだったんですよね。オーケストラのような芳醇な響きとか、圧倒的なダイナミクスとか、あるいはもっと小さな編成の躍動感とかとも違って、いうなれば、渋すぎて、誰からも注目されていない編成というか。でも、そんな音楽のスタイルを再復興することが必要なんじゃないかと思って、その野望によって『エテパルマ』は作られているんです。そのころにもう一度帰りたいというのは、いまだに室内楽というのは自分にもやるべき部分が残っている分野なんじゃないかというメッセージではあるのかもしれないですよね。

1番は、ラヴェルの影響

——そういえば、以前、「いつも同じようなアルバムを作りたいと思っている」っていうような話をされてました。あと、「フーガ」に見られるような、そういう形式が決まっているものをよくやっていますよね。中島さんには敢えて“型”にこだわっているみたいなところもある気がするんですが、どうですか?

1番は、モーリス・ラヴェルの影響ですよね。あの人は諧謔趣味というか、あるいは懐古趣味というか、古い形式に対して、楽曲名にしても<ソナチネ>なんてのを作ってみたり、あるいは「ピアノ三重奏」ってのを作ってみたりとか、「クープランの墓」なんて曲を作ってみたりとか。フランスの大先輩の17~18世紀の作曲家のクープランの名前を使ってそこに墓なんてタイトルを付けた「クープランの墓」という曲集を聴くと、もうラヴェルの時代ですら廃れてしまった舞曲の形式で書いていたりするんですよ。でも、ラヴェルがやろうとしているのは、古い形式の良さを観直すだけじゃなくて、そこに何か皮肉めいた眼差しが絶えずあるんですよね。自分がなぜ、古い形式にもう一度取り組んでいるのかというと、ラヴェルの影響かもしれませんね。セカンドの『パッサカイユ』というアルバムはタイトルそのものがバロック時代に廃れてしまった音楽の形式の名前ですし。

——ラヴェルの名前は中島さんの口から良く出てきますね。

影響を受けているんだと思いますね。深く影響を受けたと言えば、ドビュッシーよりラヴェルなんでしょうね。もちろんフォーレも好きですが。ラヴェルはどんなに複雑な和音を使っていても、分析していると分析が可能なんですよ。なるほどこういう構造で作っているんだってのが分析していると見えてくるんですよ。フォーレはどうしてもまだ見えてこない。響きの構築システムをあまりにも曖昧にしてて、どうしてもわからない所がある。そう言った意味で、ラヴェルはすごく研究して、譜面を調べたってこともあって、深く影響を受けたのかもしれませんね。

——このアルバムを何度も聴いて感じたのは、今までのアルバムには緊張感があったけど、今回は割と同じ温度感や質感があって、曲が変わっても違和感がないくらいにアルバム一枚のまとまりがあるように思います。

きっとミックスをしていく時のプロセスがその印象に大きく影響を与えていると思うんです。普通は、曲ごとにミックスをして、曲をミックスした後に曲順を決めたり、最後に調整しするためにマスタリングという作業に進むのが一つの王道のパターンなんですけど、今回は奥田泰次さんにレコーディングからミックスまで全てお願いしていて、レコーディングしている段階からある程度、僕が想定している曲順のやり取りをしていて、その曲順を踏まえて奥田さんはミックスをしているんです。基本的には曲の流れ、アルバムの流れを奥田さん自身が把握してくれていて、その上でミックスに入ってもらったので、その流れの統一感とか、感情の緩やかな起伏とか、アルバム全体を通しての緩やかな起伏とか、っていうのはミックス作業から生み出されている何かかもしれないですね。

——音がゆっくり重なっていったり、滲むように溶けあったり、それがまたゆっくりと離れていったり、そんななだらかな変化がずーっと続いている気持ちよさみたいなものは、中島さんのアルバムでは初めてかもしれないですね。話を聞いているとオーボエが入ったことやソロがないことでサウンドが効いているんですね。

正にそうだと思います。今まではソロ・パートがあるがゆえに、もっと場面の転換が明瞭だったかもしれないですね。ソロ楽器が引きつがれてゆくときなんかに明確な色彩の切り替わりっていうのがあったかもしれないですけど、今回はそれもなくなって、かつオーボエも入ったことによって普段だったらここでバンドネオンがバシッと出るだろうってところにオーボエが柔らかく単旋律で奏でた後に一呼吸置いてゆっくりバンドネオンが入ってくるとか、そういう緩やかなグラデーションが生まれたと思いますね。

——最初は耳が個人に向かないんですよ。気持ちよくなって、気付いたら終わっている。でも、二周目くらいから「あれ、ここのギターいいな」みたいな感じで個人にフォーカスするように耳を戻してみたくなってくるというか。

それがいいですよね。僕もそうであってほしいと思います。最初は気づかないその人の個性が知らず知らずのうちに「滲み出てしまう」ようなものを求めてしまうというのはありますね。

——際立たせるのではなく、滲み出てくるものを大事にするような姿勢のエレガンスみたいなものに僕は惹かれている気がしますね。そういえば、「基本的に毎作同じようなアルバムを作ろうと思っている」っていう話をされてましたけど、並べて聞いてみると編成とかは近いのに、以前の作品とはサウンドの印象はずいぶん変わってますね。

小津安二郎さんの映画が昔から好きなんです。小津さんの作風からの影響があるのかなと思うのは、晩年の小津さんはどれもこれもストーリーだけ書き出したら一緒っていうか。娘の結婚と家族の崩壊ばっかりじゃないですか。でも、ストーリーや脚本を見たらそうかもしれないけど、実際に映画になった瞬間にそれぞれの作品のそれぞれの味わいとそれぞれの色彩があって、その作品ごとの緩やかな変化っていうものがある。それを音楽でやれないものかっていう試みなんですね。絶えず、次はこう、次はこうやって、次の作品は今までと全く違いますっていう過激な変化ではなくて、例えば笠智衆や原節子のようにいつも同じ人が出てくるけど、役割が微妙に違って、いつもそこから醸し出される何かが絶えず変化していて、っていうのが自分の中での一つの理想の形としてあるのかなと思いますね。だって、その人自身が変化していくわけですもんね。現実の時間の流れの中で。だから、同じ演奏家でと思いますね。

——だとしたら、北村聡さんが笠智衆でしょうか(笑)? 初めて一緒に演奏したころから北村さんもずいぶん変わっているんでしょうね。

変わってるでしょうね。そりゃ、変わってますよね。どこって言われたら、どこかわかんないけど。逆に言えば、わかんないからいいんですよね、わかってしまったら北村くんがこういう風に変化してきちゃったから、じゃ、次の変化はこうだから、別の人が弾くのもいいかなと思うかもしれない。別に北村君に「一生、弾いて下さい」とかお願いしているわけではないし、逆にもう中島の曲は弾きたくない、なんて思うかもしれないけど。なんか、謎めいた部分がいつもあるがゆえに、北村くんの音には魅力があるのかなと思いますね。ずっとやっていても謎めいていますよね。佇まいとか、謎めいていますね。

——最後に、前の2作『カンチェラーレ』、『クレール・オブスキュア』とそのツアーなどでピアノの演奏に打ち込んだことが、何かこのアルバムにもたらしているものってあると思いますか?

どうなんでしょうね。もしあるとしたら、この次に作るものに対して影響があるかもしれませんね。何が言いたいかというと、今回はかなりがちっとした作品で、室内楽というジャンルへの愛情を表現しているというか、室内楽のスタイルにより近づいた作品だと思うので、たぶん次に作っていこうと思うのは、オリジナル録音作品としてはまだ作っていないピアノ・ソロの完全即興というスタイルだったり、そういったものをちゃんとCDという形にして送りだいてみたいという思いもありますね。逆に言うとその準備として今回は即興のような要素をかなり省いたと言っていいのかもしれないですね。

インタヴュー & 文 : 柳樂光隆
写真 : 大橋祐希

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PROFILE

中島ノブユキ

東京とパリで作曲を学ぶ。作曲家 / ピアニストとして 映画音楽~JAZZ~POPS~広告音楽~クラシック等様々なフィールドで活動。菊地成孔ペペ・トルメント・アスカラールに楽曲及び編曲を提供。持田香織、畠山美由紀、ゴンチチらの作品にサウンド・プロデューサーとして参加。またタップダンサー熊谷和徳と東京フィルハーモニー交響楽団が共演する「REVOLUCION」(2010年)では音楽監修 / 作曲、オーケストレーションを担当した。映画「人間失格」(荒戸源次郎監督作品)、アニメーション「たまゆら」(佐藤順一監督作品)の音楽を担当。また「旅のチカラ」(NHK-BSプレミアム)のテーマ音楽「その一歩を踏み出す」を作曲した。近年は女優であり歌手でもあるジェーン・バーキンのワールド・ツアー「Jane Birkin sings Serge Gainsbourg」に音楽監督 / ピアニストとして参加(世界27ヶ国約80公演)。またリミックス・ワークとして中島自身のリミックスによる「Thinking of you (NN's Dreamy Mix)」が世界的DJ、ホセ・パディーヤのコンピレーション『Ibiza Sundowner Presented By José Padilla』に収録、全世界発売された。ソロ・アルバムとして『エテパルマ』(2006年発表。バンドネオン、ギター、弦楽三重奏、ピアノ等の編成により自身のオリジナル楽曲の他、F・モンポウ、V・モライス、D・エリントン等の楽曲を新たに響かせた。)、『パッサカイユ』(2007年発表。前作の編成を踏襲しつつ、ラフマニノフ、ホレス・シルバー、トニーニョ・オルタ等の楽曲を編曲。自身の楽曲でも新たな地平を開く。)、『メランコリア』(2010年発表。より内省的に響きに装いが変化。自身の楽曲の比重が高まる。)『カンチェラーレ』(2012年発表。C・ダレッシオ、A・ジョビン、J・S・バッハの楽曲からかしぶち哲郎の楽曲、自身の書き下ろし楽曲を含む。ジャケットは鴨居玲の絵画。)、『clair-obscur』(2014年発表。カンチェラーレに続く2枚目のピアノ・ソロ作品。より抽象性が高まる)がある。2013年にはNHK大河ドラマ「八重の桜」の音楽を担当。2015年2月には音楽を担当した映画「悼む人」(監督 : 堤幸彦、原作:天童荒太)が公開。ジェーン・バーキンがテキストを書いたコンピュータと楽器アンサンブルによる作品「une petite fille (theater ver.)」を2015年2月アーツ前橋にて初演。ピアノ、バンドネオン、ギター、オーボエ、弦楽三重奏、コントラバスによるアンサンブル作品、最新作『散りゆく花』2015年6月リリース。

>>中島ノブユキ オフィシャル・ホームページ

[インタヴュー] 中島ノブユキ

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