2013/06/05 00:00

大友良英さん



知らずに映画を観ていて、
音楽が変な鳴り方をしていて気になってしまうとき、
鳴りすぎていて台詞がどうでもよくなってしまうとき、
クレジットで音楽が大友さんだと知ってなあんだ、と思うことがあります。

大友さんの映画音楽はうるさいところが好き。

最後につけられた音楽のはずなのに、
音楽がストーリー展開を引っ張っていくような、
役者の頭にそのとき現れた音や形を聞こえる音にして出したような、
だから役者の演技の一部で音が鳴っているように感じたり、
映画への関わり方が違う。

できた映画に寄り添うのではない映画音楽。

大友さんが音楽を担当した映画は、助けを借りすぎていると思います。

弱い映画だと、持っていかれてしまってPVのようにストーリーの求心力が弱まることがあるかもしれません。
それは、使われた楽器には関係ないと思っています。

今回、このラブレターを書く前に、大友さんが最初に手がけた「青い凧」という映画を観ました。

私が生まれたころの作品、大友さんがちょうど父と同い年なので、30歳頃ですね。
何本か観たといってもここ数年のものしか知らなかったので、別人のように思えました。

いまのイメージは、緻密に一音ずつ作り込んで、且つ削ぎ落とされた最低限の音楽で、
それがやたら効果的に鳴っているという感じでした。

でも「青い凧」の音楽から浮かぶ大友さんの印象は、
良い人なんだろうなあ、真っ直ぐな人なんだろうなあ、という感じ。

迷い無くシンプルに、「このメロディでしょう」って書かれた音楽。
いまの大友さんが悪い人に見えるなんて思っているわけではありません…!

大友さんのことは、すごく不思議。

センスやバランス感覚は持って生まれた、天才だけど、
大友さんの話を聞いているとすごくわかったような気になる。

でも、音楽を聴いてみるとやっぱり思考を開けっぴろげにしてくれていないんじゃないかっていう気になる。
掴めそうで全然掴めないところが魅力的で、他の人には無いブラックホールが広がっている気がする。

手を伸ばしたら落っこちてしまいそうで、そうなったら大友さんがなにを考えているのかしか考えられなくなる。
私が目の前に立っても、考えごとをする大友さんの焦点は全然違うところで合っているだろうなと思うと、そんな機会がないとわかっていても、すごく淋しくなる。

出会ったときには大友さんが忘れられないような人間になっているから!

コムアイ
Twitter : @KOM_I

TOP