2012/10/15 00:00

『音楽劇 ファンファーレ』のライヴ音源をOTOTOY独占配信開始!!

2010年に『わが星』で岸田國士戯曲賞を受賞し、劇団「ままごと」を主宰する、注目の劇作家兼演出家、柴幸男。音楽ユニット、□□□(クチロロ)を主宰し、作詞、作曲、編曲、プロデュース、エンジニアリング、舞台演出など、その活動は多岐に渡る音楽家、三浦康嗣。ダンス・パフォーマンス的グループ「モモンガ・コンプレックス」を主宰し、ダンサーや振付師、演出家として活躍する白神ももこ。各界を代表する若手創作家が交わり、生まれた『音楽劇 ファンファーレ』。そして、通常の劇伴音楽以上に、物語と有機的に絡み合う三浦康嗣による劇中歌は、坂本美雨、柳瀬大輔、西尾大介(ALOHA)らが歌い、権藤知彦((pupa / anonymass)ユーフォニアム ほか)、田中佑司(パーカッション ほか)、千葉広樹(コントラバス ほか)、村田シゲ((□□□ / CUBISMO GRAFICO FIVE / Circle Darko)エレキギター ほか)が演奏。OTOTOYでは、2012年10月3日に行われた公演のライヴ音源をDSDで独占配信いたします。

音楽劇『ファンファーレ』サウンドトラック(東京mix)

【配信形態】
1) DSD + mp3
2) HQD(24bit/48kHzのWAV)

アルバム購入のみ
どちらもデジタル・パンフレット付き

DSDの聴き方はこちらから



【価格】
DSD+mp3 ver. : アルバム800円
HQD : アルバム800円


音楽劇『ファンファーレ』サウンドトラック(東京mix)

1. Scene 1 ミュージックショップ

2. Scene 2 カレーラジオ 1

3. M 1『寝てもさめても』
詞・曲 : 三浦康嗣 / 歌:坂本美雨、柳瀬大輔

4. Scene 3 音泥棒
曲 : 権藤知彦、田中佑司、千葉広樹、村田シゲ

5. Scene 4 カレーラジオ 2

6. M 2『雨が唄えば』
詞・曲 : 三浦康嗣 / 歌 : 坂本美雨

7. Scene 5 「結婚式」

8. M 3『カレーライスの苦悩』
詞:柴幸男 / 曲 : 三浦康嗣・権藤知彦 / 歌 : 柳瀬大輔

9. M 4『おとぎ話』
詞・曲 : 三浦康嗣 / 歌 : 西尾大介、坂本美雨

10. Scene 6 「街」

11. M 5『うたえば』
詞・曲 : 三浦康嗣 / 歌 : 全キャスト

12. Scene 7「エスタス書」(bonus track)
詞・曲 : 三浦康嗣 / 歌 : 全キャスト
※こちらの音源は実際に公演では使用されていないもので、WAVデータのみとなります。

音楽劇『ファンファーレ』OFFICIAL HP

【ダウンロードに関して】
windowsをご利用のお客さまは、標準の解凍設定、もしくは解凍ソフトによっては正常にファイルを解凍できない可能性がございます。その場合、お手数ですが別の解凍ツールを使用し、再度解凍をお試しくださるようお願い致します。7-zip(フリー・ソフト)での解凍を推奨しています。
※7-zip http://sevenzip.sourceforge.jp/
また、ファイル名が長く操作出来ない場合や、ダウンロードしたファイルに不備や不明点がありましたら、info(at)ototoy.jpまでお問い合わせください。

解凍ソフト7-zipの詳しい使い方はこちらから

INTERVIEW 三浦康嗣

今回、OTOTOYでは、10/3にシアタートラムで行われた公演を録音し、本編では使われなかったボーナス・トラックを加えたライヴ・アルバムとして高音質で配信する。更に、音楽・演出を手掛ける三浦康嗣に行なったインタビューでは、今回の楽曲ひとつひとつの説明や成り立ちというよりは、演劇と音楽の関係性や、ステージと客席の距離感。更には彼自身の音楽家としての考え方について、話を伺った。音楽劇のサウンド・トラック、それも実際の公演をライヴ録音したものとなると、どうしてもストーリーを探したくなってしまうもの。しかし、音楽の楽しみ方として、より豊かなものは何か? 余白のあるものを、個々人のイメージで想像し、埋めていくという作業。音楽アルバムや楽曲、ひいては音楽について「○○でなければならない」という思い込み。説明や情報の多寡ではなく、素直に、ただそこにある音を自分なりに楽しみ、必要であれば勝手に解釈をし、個人的なものにする。もしかしたら、それこそが視聴者として誠実な態度であり、より豊かな音楽体験になるのかもしれない。『音楽劇 ファンファーレ』は、まだまだ続く。公演は回数を重ね、全国を回る中で育っていく。その場でしか生まれ得ない反応という部分に於いて、この公演はライヴである。既にライヴを体感した人も、これから観る人も、観ない人も。今回の“ライヴ・アルバム”が、より豊かな音楽体験のきっかけの一助になれば幸いだ。

インタビュ— & 文 : 藤森大河

三浦康嗣

劇と音楽の関係性を新鮮なものにしたいと思っていました

——今回は「音楽劇」ということもあって、ひとつひとつの楽曲がストーリーと紐づいて意味を持っていると思うのですが、今回ライヴ録音した音源を聴いていると、曲だけでも成り立っているように感じました。

まあ、単純に曲として聴いて成り立つ曲じゃないと面白くないけど、ストーリーと絡んでないのも嫌だったんです。主人公のファーレは、「ファ」と「レ」しか歌えないという設定なので、「ファ」と「レ」だけしか音程がなくても、周りの人の歌がうまくハマれば、ちゃんと「ファンファーレ」という曲になるなと思っていました。 

(c)石川純

——特にテーマ曲の「うたえば」は、□□□の『CD』と近い手法に感じました。

そうですね。まったく違う単語とメロディの2つを1つに合わせて、1つの曲になる「あたらしいたましい」という曲があるんですけど、その手法をもっと楽に使ったようなものですね。その曲は2つのものがそれぞれに意味とメロディを持っていたんですが、「うたえば」の場合は、その1つだけでは成立しないような言葉、例えば「マレ」とか「ソミ」とか「ワキミノソ」というようなものがもう一方と合わさることで意味を成すようになっています。

——リアルタイムで、人力のサンプリングをしているようなクラブ・ミュージック的な作りなんですが、歌モノとして真っ当に成立していて、そのバランス感覚が新鮮でした。

音を作って、トラックを並べて、抜き差ししながら切り貼りして音楽を作るというのは、クラブ・ミュージックの基本的な手法なので、ある面ではそうかもしれません。でも、「うたえば」のような曲には、まず設計が必要で、なんとなく作ったら絶対にできないです。ちゃんと設計しておかないと抜き差ししようがないので。いわゆるクラブ・ミュージックを作る人は、作曲や作詞をする人というよりも、体感的なところで作る方が多いと思うんです。かといって、王道の作詞や作曲がちゃんと出来る人がクラブ・ミュージックを作ると、作曲の延長で考えてしまって、無駄に展開させちゃったり、カラオケのようなものになってしまうことが多い。だから、そういうグルーヴの快楽のようなものと、普通の作詞・作曲の両方を分かっていないと多分出来ない。自分はその両方が分かっている方だと思うので、「うたえば」は今までにあまりないような楽曲だし、音楽としても成立して、劇の中にも溶け込んでいるつもりです。劇と音楽のwin-winな関係を目指しているわけですね。

——なるほど。音楽と劇の関係性ということを考えると、どちらもギミックは沢山あるし、その手法や細かい部分は複雑だと思うんですが、ストーリーは凄く王道で、多くの人が感動出来るようなものになっているし、楽曲も、作りはともかく、耳に入ってくるものは…。

割とストレートですよね。

——そうなんです。それは、劇場で年代やタイプの異なる多くの人に観せるということを意図して、分かりやすい形に着地させたんでしょうか?

そうなんだと思います、きっと。そういう曲を作ろう、と始めから思っていた訳ではないんですが、作っていくうちに劇がカオスっぽくなってきたから、曲はベタなぐらいに普遍的な良いものを作らないと全体のバランスが取れないんじゃないかと思って作っていきました。でも、そのカオスなノリに合わせて、もっとグチャグチャの曲をいっぱい作っていたら、それはそれで1つのエネルギッシュな舞台になっていたような気もしていて、未だにどっちが正解かは分からないんですけど。

——音楽と劇が調和するのではなくて、ブツかり合うような。

うん、話の筋も、こんなにハッキリと分かりやすくベタなものがくる、というのも別に決まっていなかったし。今回は結果的にこうなった、というだけですね。音楽で安心させないと、俺がお客さんだったらキツいかな、と思ったので、割と真っ当に、普通にメロディアスな曲を作りました。

——舞台を観ていて、音楽を聴いていいのか演劇の方にのめり込んでいいのかということが、分からなくなることがあまり無かったです。かといってBGMというほど存在感が無いわけではないし、どちらも別のことをやってはいるんですが、1つの固まりとして感じることが出来て、これが音楽劇ということなのかな、と。

そうですね。そういう部分で言えば、僕は曲を作る時に、脚本で触れられてない部分や、脚本を進めるためだったり世界設定をより明確にするためにやっているという意識を持っていることは多いかもしれないです。

——限られた時間の中で、ひとつひとつ説明出来ないですしね。

うん、ひとつひとつ話を掘り下げられない分、歌で、出来るだけそれをやろうという考えはありました。そうすると、やっぱり聴きやすいメロディにならないといけないと思います。例えば、「寝ても覚めても」は子供のファーレが大人になった時の夢を歌っているんですが、実際に後でそのシーンが出てくることを僕は知っているので、そこへ繋がるようなものにしたり。でも、あまり説明的になりすぎないことは気をつけました。説明的にやるんだったら演劇でいいじゃない、という。それに、曲の対比や、ストーリーとの関係性、場面や時間との繋がりを考えていくと、パズルのピースが既に沢山あるような状態なんです。だから、それにハマるようなもの、必然性のある曲をきっちり入れ込んでいく。「こういう曲が書きたい!」というようなものはなかったですね。

——点在しているピースを、ちゃんと回収する役割を持っているわけですね。

うん。自分なりにですが、歌詞も曲も雰囲気も含めて、その他の要素を回収出来て、劇全体を成立させようと思ってました。例えば、曲の合間に台詞が入っていたりするんですが、普通だったらその部分は劇作家が書くんですが、全て僕が作ってます。その台詞も込みで1つの曲なので。そういうことなんですよ。

——なるほどなるほど。

出来るだけ情景も見せたいし、物語も進ませたいし、でも音楽としても、うっとりさせたいし。

——しかも説明的にもなりすぎず。

そう、説明的にもなりすぎず、というバランスで。だから、演劇と音楽どっちを見ていいか迷わなかったというのは、そこのバランスが上手くいっていたんだと思います。説明的になりすぎると、いわゆるミュージカルのようになってしまうんですが、今回は折角、脚本と音楽と振付という3人の専門家でやっているので、劇と音楽の関係性を新鮮なものにしたいと思ってました。今も思ってるんですけど。

折角作るのであれば、あまり世間に無い感じのものを作ろうと思ってます

——客席との関係性は、どう捉えてますか? 客席を巻き込んでいくというよりは、ステージの上と客席を明確に分けているように感じましたが。

今回は、最初の頃から、柴くんと、映画みたいに枠の中で見るものにしようという話はしていました。

——それは、なぜでしょう?

前に、今回の3人でやった『わが星』という舞台では、ステージが劇場のセンターに円形にあって、その周りを観客が囲む、というものだったんです。ステージと客席の境界がほとんどなくて、それはそれで面白かったんです。お客さんが入り込む余地も沢山あったし。だからこそ、今回は、その逆をやる方が、チャレンジとして面白いと思ったんです。お客さんを巻き込むのではなくて、ちゃんと見せ物としてしっかり作るというもの。音楽のライヴでいえば、例えばコール・アンド・レスポンスってあるじゃないですか。僕は音楽の人間なので、そういうことをやりたければ自分のライヴでやれるし、飽き飽きしてるので。

(c)石川純

——見せ物としてのステージを作る、という試みなんですね。

そうです。音楽のライヴも、もっと見せ物という感覚を持っても良いのにな、と思うんですよ。一体感とか共有みたいなものを、何で無理矢理求めなきゃいけないのか分からなくて。そんな寂しがりやなのか、やる方も見に来る方も、とか思っちゃうんですよ。

——最近は特に、繋がりたがりというか、繋がったり共有することが無条件に良いこと、という風潮がありますよね。

そうそうそう、当たり前の感覚、雰囲気になってるじゃないですか。勿論、そうなることの快楽や楽しさは分かるんですが、全部が当たり前にそうなってしまうのは、なんか嫌だなあって思いますね。構いたがりと構われたがりが集う場所か、みたいなことを思ってしまったり。まあ、音楽に限らず、SNSとかの普及も手伝って、世の中としてもそういう流れはあると思うんですが。

——それが加熱していくのは良いことなんでしょうかね?

僕は、やり辛いですよ。嫌だなあと思って見てます。ただ、僕はライヴというよりも音源を作る方で暮らしていけるに十分足りるようなお金を稼いでいる人間なので、そこに参加しなくても済みますけど。もし、そこに参加しないと音楽家としてやっていけないことになったら、そこで勝負しなきゃダメだよと言われたら、凄く困りますね。まあ、そこで面白い知恵をひねり出すかもしれないですけど、そうまでして音楽家に固執はしないと思います。だから、個人的には、見せ物として見てもらえる方が良いと思ってます。

——ただ、そうなるとハードルは高くなりますよね。

そうですね。誤摩化せないし、しっかりしたものを見せなきゃいけない。そういう意識もあって、曲が普遍的なもの、普通の良い曲になっているんだと思います。チケット代も、普通のライヴの倍ぐらいしますし。それが良かったのかどうかは、また別の話ですが。

——先ほどもありましたが、ミュージシャンという仕事に固執はしていないんですか?

ミュージシャンとしてやり続けたいという気持ちは、全く無いです。仕事として、ローリスク・ハイリターンなものだから、ストレスとか拘束時間を考えると、今の僕には音楽で食べていくのが向いてると思うし、良い仕事だなと思ってます。もし、食えなくなったとして、それでも無理やり音楽家にしがみつく、という選択肢はないですね。

——なるほど。

基本的に、音楽とか作りたくないですからね。だって面倒くさいじゃないですか。みんないっぱい作ってるし、良い曲探そうと思えば、なんでも良い曲に聞こえるし。なんで俺がやらなきゃいけないんだ、というような思いはあります。人の音楽も全然聴いてないですけど。

——人の音楽に興味はないですか?

無いんだと思います。自分で作ってて、仕事で作ってるのに、それ以上、人の音楽を聴きたいとは思わないです。

——仕事として、ということ以外に音楽を作るモチベーションはありませんか?

まず、音楽家でいる自分が好きというようなものがあまり無いんですよ。音楽家でいる自分が好きだったら、音楽をやっている自分にもっと酔えると思うんですが、別にそんなことに興味が無いので。だから、折角作るのであれば、あまり世間に無い感じのものを作ろうとは思ってます。そこには、多少、モチベーションはありますね。やっぱり、自分自身も新鮮な気持ちになれますし。

今あるものが全てだと思うな、という思いは凄くある

——なるほど。今回は、実際の公演をライヴ録音して配信します。そうなると、演劇を観た方が聴いて、それと重ねながら、自分の記憶をより個人的なものにしていくという機能もあると思うんですが、それとは別で、ただ音楽として聴く人も出てきますよね。そうなると、劇との関係性が見えなくなりますが、そこに抵抗は無いですか?

全然ないですよ。勿論、生なのでクオリティの問題はありますし、演出やアレンジが変わって、曲も、ちょこちょこと変わっていってはいますが。でも、それも含めてライヴですし、まったく抵抗は無いです。今年□□□で出した『マンパワー』というアルバムに入っている「スカイツリー合唱曲」でも、ずっと台詞を喋ってるだけの時間があるんです、それも、舞台のために作ったものをそのまま録っているので、舞台作品のようなものだし。だから、今回の『ファンファーレ』とも近いかもしれないです。それに、『マンパワー』を聴いてくれた人にとっては、舞台のものを音楽として聴けるということに抵抗がなくなってきてるんじゃないか、という期待もあります。ちゃんと流通されてるものでこういうものがあるという事実を、知っていたり聴いていると、「あ、こういうのもアリなんだ」と知らないうちに勘違いしちゃうわけですよ、人は。そういうことが凄く面白い。

(c)石川純

——何となく、曲の中に台詞があったらダメだ、と決めつけちゃってるだけなのかもしれないですね。

うん。でもそれでいいんだ、という人は出てくると思うんです。そういう風に思ってくれることが、自分にとっては凄く価値があることなんです。そういう意味でも、今回は、劇の中から抜粋したものですという前提を持ったうえで聴くんでしょうけど、別に説明なしで聴いても、こういう曲なんです、と納得してくれる状況になったら良いなと思うから。ちょっと子供っぽい言い方ですけど、イントロがあって、8小節くらいでAメロにいって、みたいなことがルールっぽくなっているけど、別にそうじゃなくてもいいわけじゃないですか。勿論、そうなっている理由はあるんですけどね。ある種の快楽原則に沿ってたり、慣れだったり。

——でも、今回の音源の場合、どうしても演劇のストーリーを探したがってしまうと思うんです。演劇の曲という前提がありますし。

今回は、頭からお尻までこの劇の音声を流すわけじゃないから、足りない部分があるじゃないですか。なんか物語がありそうなんだけど、今あるパズルのピースだけだと足りないな、みたいな。その感じを想像で埋めるというのが、1番やって欲しいことですよね。1番楽しいところじゃないですか? 僕はそれが1番、今回やることの意味としては大きいと思いますね。

——そうですね、もしかしたら実際の物語とは全然違う解釈になってるかもしれないですしね。

そうなんです、全然それでいいんですよ。そういうのが1番わくわくしますけどね、僕は。そういうアルバムとか凄い良いじゃん、と思うんですけど。というか、そういうアルバムを作ってもいいくらいですよ。だからこれで□□□のアルバムだ、って出してもいいんですけど、『CD』『マンパワー』と変なアルバムが続いているので、また変な企画モノでしょ、というように思われるのが嫌だからやりたくないところもあるんですけど。でも、これはこれでわくわくしますもん。

(c)石川純

——それは音楽の豊かな楽しみ方かもしれないですね。

そうですよ。全部の情報を与えられると思うなよ、みたいな。CDにせよ、ライヴにせよ、さっき言ったような演者と客性の関係性にせよ、今あるものが全てだと思うな、という思いは凄くあるので。そういう意味では豊かなことだと思います。まあ、そう言いつつも、舞台の断片の音源化なんでしょ、と思って聴いてもらっても、それはそれで良いんですけどね。

——そう思いながら聴いても、また違った形で感じるところはあるかもしれないですね。

そうそう。それが楽しい風に出たらいいなと思ってます。

音楽劇『ファンファーレ』《TOKYO mix》CREDIT

『うたえば』 詞・曲 : 三浦康嗣

脚本・演出 : 柴幸男(ままごと)
音楽・演出 : 三浦康嗣(□□□)
振付・演出 : 白神ももこ(モモンガ・コンプレックス)

出演 : 坂本美雨、今井尋也、今村洋一、初夏、大柿友哉、北川結、重岡佐都子、清水久美子、名児耶ゆり、西尾大介、bable、柳瀬大輔

ユーフォニアム・フリューゲルホルン : 権藤知彦
パーカッション・ピアノ : 田中佑司
コントラバス・バイオリン : 千葉広樹
エレキギター・エレキベース : 村田シゲ
ピアノ : 三浦康嗣

[スタッフ]
舞台監督 : 佐藤恵
舞台美術 : 青木拓也
舞台監督助手 : 藤田有紀彦
照明 : 伊藤泰行、南香織
PA : 田鹿充
音響 : 星野大輔(サウンドウィーズ)、飯泉翔太(artical)
衣装 : 藤谷香子(FAIFAI)
ヘアメイク : 廣瀬瑠美
宣伝美術 : 伊藤ガビン、いすたえこ(NNNNY)/渡辺浩之(OLOLA)
Web : 竹田大純(竹田デザイン分室)
演出助手 : きまたまき
制作協力 : 上砂智子
制作助手 : 栗原千波、坂本もも、服部悦子、小川愛姫
制作 : 宮永琢生(ZuQnZ)
制作・ドラマトゥルク : 野村政之
劇場制作 : 清水幸代、山田智恵、落合由人(世田谷パブリックシアター)、松浦茂之、藤田祐輝(三重県文化会館)、山浦日紗子(高知県立美術館)、古川真由実(水戸芸術館)

大道具 : C-COM舞台装置
美術協力 : 舞台美術研究工房六尺堂
運搬 : 株式会社マイド
音響機材協力 : artical、public address、Taguchi
楽器提供 : 相馬実穂
衣装制作 : 岸良樹(qr)、秀島史子、羽尻真季
衣装協力 : AURORA SONG LALALA、URBAN RESEARCH、MACKDADDY、kivit、THEATRE PRODUCTS、Little Trip to Heaven、santa monica 表参道店

主催 : 公益財団法人せたがや文化財団、公益財団法人三重県文化振興事業団、公益財団法人高知県文化財団、公益財団法人水戸市芸術振興財団
助成 : 財団法人地域創造
特別協力 : 急な坂スタジオ
企画制作 : 世田谷パブリックシアター、三重県文化会館、高知県立美術館、水戸芸術館

[レコーディング]
録音・ミックス : 徳永宏
ディレクター : 藤森大河(画家 / OTOTOY)
番頭 : 上砂智子
制作 : 野村政之
写真 : 青木司、品田裕美
Special Thanks : KORG

Twitter : @musical_Fanfare
オフィシャル Facebook
音楽劇『ファンファーレ』OFFICIAL HP

『音楽劇 ファンファーレ』

《TOKYO mix》2012年9月28日(金)〜10月14日(日)@シアタートラム(東京) 《MIE mix》2012年10月20日(土)、21日(日)@三重県文化会館 小ホール(三重) 《KOCHI mix》2012年10月26日(金)、27日(土)@高知県立美術館ホール(高知) 《MITO mix》2012年11月3日(土)、4日(日)@水戸芸術館ACM劇場(茨城)

音楽劇『ファンファーレ』OFFICIAL HP

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