下田逸郎

Pop

Discography

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2023年11月1日リリース。下田逸郎75歳のニューアルバムです。地球時空から宇宙時空へと唄の背景は移行しました。頭の中での物語づくりはあまりに漠として、我ながら、ミックスダウンの時、ひさしぶりにクラクラしました。そして58年前に、はじめて唄というものをつくった時の感覚を思い出しました。あの夢遊病みたいな、快感ともいえる感覚です。年齢(地球時間)を重ね、身体がポロポロになり頭がヘロヘロになってゆくことからはじまることは、とてもきわどくて素敵なことかもしれません。ポツンとひとりになれた時に聴いてもらえたら幸いです。(by 下田逸郎)

13 tracks
Pop

2023年2月発売。おもに30代にインディーズ盤としてつくられたアルバムから、下田自身が選んだ9曲です。選曲するために20枚ほどのCD盤を聴きながら、本人が下田逸郎の唄づくりの流れの原点に迷いこみ(2、3ヶ月かかりました)、なかなか面白い旅ができました。もうすぐ75歳(2023年2月現在)、「伝説」から「詠唱」へ、次のアルバムづくりにとりかかっています。自分の物語もしくは伝説づくりで人はこの世を渡ってゆくのだと、しみじみ感じています。なお、「下田逸郎伝説」のフルアルバム(写真と歌詞カード付で全18曲入り)は、下田逸郎公式サイト=「ひとひら通信」をご覧になれば、その購入方法がわかります。(by 下田逸郎)

9 tracks
Pop

2021年8月15日リリース。 最初のアルバム『遺言歌』から50年。73歳の下田逸郎の30枚目のアルバムです。人との出会い、その背後に広がる景色との出会い、それを自分の中にゆっくり沈殿させて、時を経て浮かび上がってくるものをすくい取るのが「唄づくり」という作業です。アルバムづくりは自分の物語づくりです。生きるというのは、その物語を自分で演じてゆくことかもしれません。演じるステージは地球ですが、最近そのステージは宇宙ではないかと感じるようになりました。その宇宙が自分の中にも広がりはじめたことを感じはじめるなんて楽しいことです。宇宙との出会いから、永遠なる「唄づくり」がやっとはじまりました。 from 下田逸郎

11 tracks
Pop

1996年9月リリース。大阪写真専門学校(現ビジュアルアーツ)のスタジオにて、音響学科の生徒達による編曲(打ち込み)とデジタル録音。1995年、ほぼ1年かけて、旅の途中に何度かスタジオに立ち寄り数曲ずつレコーディングしながら完成させた。この年は神戸の震災、オーム真理教の事件などが重なり、時代の曲がり角を感じさせた。アルバムラストの唄「モンスターの気配」に、その予感が色濃く出ていることを、最近久しぶりにライブで唄った時に思った。今やすべてがデジタル化された世界になったが、唄は人間というアナログであってほしいとつくづく想う今日この頃です。(by 下田逸郎)

10 tracks
Pop

2018年6月リリース。下田逸郎は歌手ではなく、唄作家なんだなと、しみじみ思うようになったのは、60歳代になってからです。その頃からいろんな歌手に唄ってもらってアルバム制作もしました。70歳に突入した時、もう1枚ぐらい自分で唄うアルバムを残しておこうと思ってつくったのが『忘我』です。この世とあの世の境い目がボケたり溶けたりしはじめてきてるので、今のうちにつくっておこうと考えたようです。その延長線上に映画「百憶年」があります。「百億年」ではなく「百憶年」としたタイトルが気に入ってます。ここまで来て、ライヴで唄うことがおもしろくなってきたのは、なぜでしょうか。(by 下田逸郎)

17 tracks
Pop

1991年リリース。下田逸郎40歳代に入っての旅盛り。沖縄から北海道まで、各地を巡ること年間150日を越していた。人との出会い、場所との出会い、その背後から大きく包みこむように広がっている景色。それが唄づくりの源であるということに向かいはじめた最初のアルバム。佐賀県七山村の子供たちを含め、参加してくれたミュージシァンたちは、ギターの笛吹利明、渡辺香津美、有山じゅんじ。録音場所は各地放送局のスタジオやライブハウス、大阪の音響専門学校など。これもまた旅の途中に出会った人や場所でもある。もしかしたら、私は私自身のロードムービーのサウンドトラック(背景音楽)を、つくりつづけているのかもしれないと思う今日このごろです。(by 下田逸郎)

10 tracks
Pop

2000年リリース。ギターの笛吹利明、渡辺香津美、有山じゅんじ、さらにハワイのウクレレの名手ピーター・ムーンを加えて、淡路島の旅館うめ丸で合宿してつくったアルバムです。私は50歳代に入って、ラジオの深夜番組のパーソナリティをやっていて、毎週1回、いろんなゲストと酒飲みながら2時間しゃべりまくっていました。音楽関係から人間関係へとさらに広がってゆく時期だったようです。そしてその後、地球関係から宇宙関係へと唄が向かって行きはじめる予感もしていたようです。最近つくった映画のラストに「ワルツの時間」をエンディングロールで使った時、それがわかりました。(by 下田逸郎)

12 tracks
Pop

1992年リリース。ギターの大村憲司、パーカッションの斉藤ノブとのトリオ。南米音楽(特にブラジル)にはまった夫婦デュオのHALUとの博多トリオ。有山じゅんじ編曲による大阪ユニットによるレコーディング。それに韓国ソウルでのセッション。人との出会い、場所との出会いが続くことによってできたアルバムです。このインディーズアルバムからの数曲とフランス録音の数曲を合わせたアルバム『花よ鳥よ風よ月よ』がその後、キティからリリースされました。(by 下田逸郎)

11 tracks
Pop

「踊り子」(1974年)「セクシィ」(1976年)等のヒット曲で知られ、現在も現役で活動を続けるシンガーソングライター下田逸郎(しもだいつろう)、1976年から1981年にかけてCBS・ソニー(当時)から5作のアルバムをリリースしたなかで、現在まで未CD化、未配信だった3作がソニー・ミュージックレーベルズより配信開始

10 tracks
Pop

「踊り子」(1974年)「セクシィ」(1976年)等のヒット曲で知られ、現在も現役で活動を続けるシンガーソングライター下田逸郎(しもだいつろう)、1976年から1981年にかけてCBS・ソニー(当時)から5作のアルバムをリリースしたなかで、現在まで未CD化、未配信だった3作がソニー・ミュージックレーベルズより配信開始

11 tracks
Pop

「踊り子」(1974年)「セクシィ」(1976年)等のヒット曲で知られ、現在も現役で活動を続けるシンガーソングライター下田逸郎(しもだいつろう)、1976年から1981年にかけてCBS・ソニー(当時)から5作のアルバムをリリースしたなかで、現在まで未CD化、未配信だった3作がソニー・ミュージックレーベルズより配信開始

12 tracks

2012年8月30日リリース。桑名正博21歳、下田逸郎26歳。六本木の交差点で出会い(その前にプロデューサーに紹介はされていましたが)、その日のうちに私の部屋で飲みつつ、ふたりでつくったのが「夜の海」でした。その後いろいろあって、いっしょにたくさんの唄づくりをしました。そして「月のあかり」にたどり着きました。さらにいろいろあって、桑名は下田の唄を唄ってくれました。「ぼくが下田の唄を唄いつづけないと、下田の唄が残らない」とまで言ってくれました。そしていろいろあって、桑名はひとりになりました。弾き語りで全国を巡りはじめ、その音源を集めてソロアルバムをつくるという時に、それならいい唄があると渡したのが「はじめようと思う」でした。アルバムが完成する前に、桑名正博は59歳でこの世から旅立ちました。来年(2022年)で10回忌です。彼は私の数少ない「ともだち」のひとりだったと思っています。(from 下田逸郎)

11 tracks
V.A.

4 tracks
Jazz/World
V.A.

作曲演奏はハプニングスフォーのクニ河内。キーボード主体のクールなアートロックは時代を半世紀も先取りしていた! 併せて映画版「書を捨てよ町へ出よう」のために作曲されながら1971年発売のサントラ盤未収録となった楽曲も余すところ無く収録!JAシーザーのパワフルな疾走感が堪らない「親父なんか大嫌いだのロック」、某有名歌手が変名で作曲提供した「吃りの告白」、下田逸郎の「眠るのが怖い」を無伴奏で唄う浅川マキ…。今この時代を漂流する人々に贈る、昭和アンダーグラウンドからの熱きメッセージ!!

24 tracks

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愛は勝つんだ象──〈アーカイ奉行〉第29巻

連載

愛は勝つんだ象──〈アーカイ奉行〉第29巻

歴史を追いかけ過去から未来、情報過多の現代社会、デジタルの海に散らばったあの名作、この名作たちをひとつにまとめる仕事人…!〈アーカイ奉行〉が今日もデジタルの乱世を治める…!'''〈アーカイ奉行〉とは…'''1.過去作の最新リマスター音源 2.これまで未配信…