高橋英明 teamLab

Discography

全てチームラボの『ボーダレス』のために書き下ろされた楽曲。ボーダレスの会場の構造と同様、自由に歩き回れるようになっており、音楽もどこから聴き始めても彷徨えるようになっている。

23 tracks

全てチームラボの『ボーダレス』のために書き下ろされた楽曲。ボーダレスの会場の構造と同様、自由に歩き回れるようになっており、音楽もどこから聴き始めても彷徨えるようになっている。

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teamLabの「Floating Flower Garden; 花と我と同根、庭と我と一体」のために作られた楽曲。鑑賞者の動きに合わせて浮遊する花々が、空間に埋め尽くされた庭園。鑑賞者が、生きた花が埋め尽くされた展示空間に入っていくと、近くに浮遊している草花は、一斉に上がっていき、鑑賞者中心に半球状の空間が生まれる。つまり、空間は花に埋め尽くされているが、常に鑑賞者中心に半球上の空間が出現し続け、鑑賞者は内部を自由に動き回ることができる。複数の鑑賞者が互いに近づくと、ドーム空間はつながり、空間はひとつになる。本作は、鑑賞者が花の中に埋没し庭と一体化する庭園である。2300本以上の花々は、空間に浮遊しながら咲き渡っている。草花は生きており、日々成長している。花々は、それぞれのパートナーである昆虫の行動する時間に合わせて、香りが強くなる時間がさまざまであるため、この作品空間においても、朝、昼、夜と香りが刻々と変わっていく。 日本の禅の庭園は、山の中で大自然と一体化するように修行を行っていた禅僧が集団で修行をするための場として、生まれてきたとも言われている。中国の禅の公案に「南泉一株花(なんせんいっちゅうか)」というのがある。むかし、陸亘大夫という人がいた。陸亘大夫は、筆法師の『筆論』の有名な句「天地と我と同根 万物と我と一体也」を「也甚だ奇怪なり」と南泉和尚に問うた。南泉和尚は「時の人この一株の花を見ること夢の如く相似たり」と、言ったという。人は花と一体化したとき、人が花を見ると、花もまた人を見る。そのとき人は、はじめて花を見ていることになるのかもしれない。

1 track

teamLabの「平家物語 ウォータースクリーン絵巻 源平屋島合戦の巻」のために作られた楽曲。ウォータースクリーンならではの、美しくダイナミックな歴史物語。

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teamLabの「Black Waves」のために作られた楽曲。コンピューター上の空間で、三次元上の水の動きをシュミレーションし波を構築している。水は、無数の水の粒子の連続体で表現し、粒子間の相互作用を計算している。そして、波の表層部分の水の粒子の挙動で線を描き、三次元上の波の表層に線を描いている。そして、仮想の三次元空間に立体的に描かれた線の集合を、チームラボが考える「超主観空間」によって平面化し映像作品にしている。前近代の日本の絵画では、川や海など水は、線の集合として表現されることが多い。そして、その線の集合はまるで生き物かのようにどこか生命感を感じる。前近代の人々らには、実際、古典的な日本の絵画(川や海などで言うならば、まるで生き物のように見える線の集合)のように、世界が見えていたのではないだろうか。「なぜ、前近代の人々が川や海そのものに生命を感じていたかのようなふるまいをしていたのか?」、そして、「なぜ、彼ら自身も自然の一部であるかのようなふるまいをしていたのか?」という疑問へのヒントが、それらの絵画表現の中にあるように感じる。もし、ビデオカメラで切り取った本物の波よりも、本作の波の方に、より鑑賞者と作品世界との間に境界線がなくなるような、作品世界に入り込むような感覚、もっと大胆に言えば、その線の集合にすら生命体だと感じ、まるで鑑賞者が波に憑依するかのような体験をするならば、前近代的な日本の「世界の見え方」と、そこから発生する「世界に対するふるまい」とのつながりが見えてくる。自然とは観察の対象ではなく、「自分自身も自然の一部である」と考えていたかのようなふるまいは、単に、かつての人々の見え方が、川や海のような自然の一部を生命体のように見せ、自然の一部にすら憑依させてしまいやすい見え方だったからではないだろうか。つまり、自然と自分との境界がないような感覚になりやすい見え方だったからではないだろうかと思うのだ。

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teamLabの「小舟とともに踊る鯉によって描かれる水面のドローイングと蓮の花 - Mifuneyama Rakuen Pond」のために作られた楽曲。御船山楽園の池の水面に蓮の花が咲きわたり、鯉が泳ぐ。水面はセンシングされ、水面に映し出された鯉は、池に浮かんで進む小舟とインタラクティブに変化する。鯉の群れ全体に意思があるわけではなく、鯉は近くの鯉のふるまいに影響を受けながら自律的に泳ぎ、小舟が静かに浮かんでいると周りに集まり、小舟が動き出すと避けていく。小舟のふるまい、そして他の鯉のふるまいの影響を受け鯉は泳いでいる。そして、その鯉の群れの動きの軌跡によって作品は描かれていく。御船山楽園は、1845年開園、国登録記念物の名勝地でもある大庭園。

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teamLabの「Universe of Water Particles on the Grand Palais」のために作られた楽曲。コンピュータ上の空間に1900年のパリ万博の会場となったグラン・パレ(Grand Palais)を仮想の三次元空間に再現し、コンピュータ上でGrand Palaisに水を落下させ、水の動きを物理計算し、滝をシミュレーションする。その滝を、実際のグラン・パレにプロジェクションマッピングした。水は、無数の水の粒子の連続体で表現し、粒子間の相互作用を計算している。そして、水の粒子の挙動によって、空間上に線を描く。その線の集合で滝を描いている。そして、三次元空間上に立体的に描かれた滝を、我々が考える「超主観空間」によって映像作品にしている。

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teamLabの「追われるカラス、追うカラスも追われるカラス、そして衝突して咲いていく - Light in Space」のために作られた楽曲。光で描かれた八咫烏が空間を飛び回り、その軌跡が光跡となり光の空間に描く書『空書』を描いている。カラスが互いに追い追われる。追うカラスも、やがて追われる側になり、追いつかれカラス同士ぶつかると、カラスは散って花となる。また、カラスは、鑑賞者を把握しよけながら飛んで行くが、よけきれずに鑑賞者にぶつかると同じように散って花となる。鑑賞している人々の立ち位置の中心に作品世界の視点がゆっくりと一致するようになっている。どの場所でも良いのだが、全員が一箇所に固まって集まると、やがて、壁と床の境界がなくなり現実空間が消え、作品世界に没入しはじめ、カラスの軌跡が描く線が、空間に立体的に描かれはじめるだろう。全員で固まって歩くならば、鑑賞者作品は、世界に没入したまま、歩き回ることができるだろう。

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teamLabの「花と人、コントロールできないけれども、共に生きる - Kunisaki Peninsula」のために作られた楽曲。花は生まれ、成長し、つぼみをつけ、花を咲かせ、やがて散り、枯れて、死んでいく。つまり、花は誕生と死滅を、永遠に繰り返し続ける。 花は、鑑賞者のふるまい(ある一定の距離間でじっとしている、もしくは、花に触ったり、踏みながら歩きまわること)によって、花は、より生まれいっせいに咲き渡ったたり、もしくは、いっせいに散り死んでいったりする。作品はコンピュータプログラムによってリアルタイムで描かれ続けている。あらかじめ記録された映像を再生しているわけではない。全体として以前の状態が複製されることなく、鑑賞者のふるまいの影響を受けながら、変容し続ける。今この瞬間の絵は二度と見ることができない。

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teamLabの「秩序はなくともピースは成り立つ」のために作られた楽曲。無数のホログラムによるインタラクティブデジタルインスタレーション作品。ホログラムによって映し出された人々は、おのおの自律している。そして、楽器を奏でたり踊ったり、それらは近くの人々が奏でる音の影響を受けて行動している。全体に影響を与える者や、全体を把握している者、つまり、オーケストラでいうところの指揮者は存在しないし、中心や基準というような概念はない。しかし、彼らはお互いに影響しあい、やがて「引きこみ現象」が起こり、しばらくすると演奏に調和が生まれる。実際の作品中では音楽はインタラクティブになっています。vocal:福岡ユタカ、田中悠美子

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teamLabの「世界はこんなにもやさしく、うつくしい」のために作られた楽曲。インスタレーションでは、鑑賞者の影が文字に触れると、その文字がもつ世界が表れ、世界を創っていく。そして文字から生まれたものたちは、世界の中で互いに影響し合う。実際のインスタレーションでは音楽もインタラクティブな構造になっている。

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teamLabの「百年海図巻 アニメーションのジオラマ」のために作られた楽曲。次世紀まで上映し続ける『百年海図巻 [上映時間: 100年]』を、体感可能な時間にまで縮めた作品。

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teamLabの「平家物語 ウォータースクリーン絵巻 源平屋島合戦の巻」のために作られた楽曲。ウォータースクリーンならではの、美しくダイナミックな歴史物語。

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teamLabの「Black Waves」のために作られた楽曲。コンピューター上の空間で、三次元上の水の動きをシュミレーションし波を構築している。水は、無数の水の粒子の連続体で表現し、粒子間の相互作用を計算している。そして、波の表層部分の水の粒子の挙動で線を描き、三次元上の波の表層に線を描いている。そして、仮想の三次元空間に立体的に描かれた線の集合を、チームラボが考える「超主観空間」によって平面化し映像作品にしている。前近代の日本の絵画では、川や海など水は、線の集合として表現されることが多い。そして、その線の集合はまるで生き物かのようにどこか生命感を感じる。前近代の人々らには、実際、古典的な日本の絵画(川や海などで言うならば、まるで生き物のように見える線の集合)のように、世界が見えていたのではないだろうか。「なぜ、前近代の人々が川や海そのものに生命を感じていたかのようなふるまいをしていたのか?」、そして、「なぜ、彼ら自身も自然の一部であるかのようなふるまいをしていたのか?」という疑問へのヒントが、それらの絵画表現の中にあるように感じる。もし、ビデオカメラで切り取った本物の波よりも、本作の波の方に、より鑑賞者と作品世界との間に境界線がなくなるような、作品世界に入り込むような感覚、もっと大胆に言えば、その線の集合にすら生命体だと感じ、まるで鑑賞者が波に憑依するかのような体験をするならば、前近代的な日本の「世界の見え方」と、そこから発生する「世界に対するふるまい」とのつながりが見えてくる。自然とは観察の対象ではなく、「自分自身も自然の一部である」と考えていたかのようなふるまいは、単に、かつての人々の見え方が、川や海のような自然の一部を生命体のように見せ、自然の一部にすら憑依させてしまいやすい見え方だったからではないだろうか。つまり、自然と自分との境界がないような感覚になりやすい見え方だったからではないだろうかと思うのだ。

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teamLabの「小舟とともに踊る鯉によって描かれる水面のドローイングと蓮の花 - Mifuneyama Rakuen Pond」のために作られた楽曲。御船山楽園の池の水面に蓮の花が咲きわたり、鯉が泳ぐ。水面はセンシングされ、水面に映し出された鯉は、池に浮かんで進む小舟とインタラクティブに変化する。鯉の群れ全体に意思があるわけではなく、鯉は近くの鯉のふるまいに影響を受けながら自律的に泳ぎ、小舟が静かに浮かんでいると周りに集まり、小舟が動き出すと避けていく。小舟のふるまい、そして他の鯉のふるまいの影響を受け鯉は泳いでいる。そして、その鯉の群れの動きの軌跡によって作品は描かれていく。御船山楽園は、1845年開園、国登録記念物の名勝地でもある大庭園。

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teamLabの「Universe of Water Particles on the Grand Palais」のために作られた楽曲。コンピュータ上の空間に1900年のパリ万博の会場となったグラン・パレ(Grand Palais)を仮想の三次元空間に再現し、コンピュータ上でGrand Palaisに水を落下させ、水の動きを物理計算し、滝をシミュレーションする。その滝を、実際のグラン・パレにプロジェクションマッピングした。水は、無数の水の粒子の連続体で表現し、粒子間の相互作用を計算している。そして、水の粒子の挙動によって、空間上に線を描く。その線の集合で滝を描いている。そして、三次元空間上に立体的に描かれた滝を、我々が考える「超主観空間」によって映像作品にしている。

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teamLabの「Floating Flower Garden; 花と我と同根、庭と我と一体」のために作られた楽曲。鑑賞者の動きに合わせて浮遊する花々が、空間に埋め尽くされた庭園。鑑賞者が、生きた花が埋め尽くされた展示空間に入っていくと、近くに浮遊している草花は、一斉に上がっていき、鑑賞者中心に半球状の空間が生まれる。つまり、空間は花に埋め尽くされているが、常に鑑賞者中心に半球上の空間が出現し続け、鑑賞者は内部を自由に動き回ることができる。複数の鑑賞者が互いに近づくと、ドーム空間はつながり、空間はひとつになる。本作は、鑑賞者が花の中に埋没し庭と一体化する庭園である。2300本以上の花々は、空間に浮遊しながら咲き渡っている。草花は生きており、日々成長している。花々は、それぞれのパートナーである昆虫の行動する時間に合わせて、香りが強くなる時間がさまざまであるため、この作品空間においても、朝、昼、夜と香りが刻々と変わっていく。 日本の禅の庭園は、山の中で大自然と一体化するように修行を行っていた禅僧が集団で修行をするための場として、生まれてきたとも言われている。中国の禅の公案に「南泉一株花(なんせんいっちゅうか)」というのがある。むかし、陸亘大夫という人がいた。陸亘大夫は、筆法師の『筆論』の有名な句「天地と我と同根 万物と我と一体也」を「也甚だ奇怪なり」と南泉和尚に問うた。南泉和尚は「時の人この一株の花を見ること夢の如く相似たり」と、言ったという。人は花と一体化したとき、人が花を見ると、花もまた人を見る。そのとき人は、はじめて花を見ていることになるのかもしれない。

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teamLabの「追われるカラス、追うカラスも追われるカラス、そして衝突して咲いていく - Light in Space」のために作られた楽曲。光で描かれた八咫烏が空間を飛び回り、その軌跡が光跡となり光の空間に描く書『空書』を描いている。カラスが互いに追い追われる。追うカラスも、やがて追われる側になり、追いつかれカラス同士ぶつかると、カラスは散って花となる。また、カラスは、鑑賞者を把握しよけながら飛んで行くが、よけきれずに鑑賞者にぶつかると同じように散って花となる。鑑賞している人々の立ち位置の中心に作品世界の視点がゆっくりと一致するようになっている。どの場所でも良いのだが、全員が一箇所に固まって集まると、やがて、壁と床の境界がなくなり現実空間が消え、作品世界に没入しはじめ、カラスの軌跡が描く線が、空間に立体的に描かれはじめるだろう。全員で固まって歩くならば、鑑賞者作品は、世界に没入したまま、歩き回ることができるだろう。

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